ん? んんっ?
あ! メイバランスminiが無い💦
五分粥から全粥になってカロリーが増えるので、そのあたり調整します。とのことだったけど。
手術の翌日(3/14)の朝から、昨日(3/24)の昼まで、ともに歩んできたメイバランスminiちゃん。
3/14〜3/16の3日間は鼻チューブから、そして3/17からは口からストローで。
たくさんお世話になりました!
メイちゃん、ありがとう😭
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わたしのいる病棟には、高齢の入院患者さんが多くて、食事や排泄、清拭や入浴介助、身の回りの世話など、看護師さんを始め介護士さんたちがとてもよくやっておられる。
むかーしむかしの話だが、わたしがまだ二十歳になるかならないかのころ、介護の勉強を試みたことがある。
で、「障害児コース」か「高齢者コース」のどちらにするか。
わたしは、高齢者のお世話のほうがいいと思った。
頑張って生きてこられたお年寄りのみなさんが、余生を少しでもラクにしあわせに過ごしてもらえたらいいな。なんて考えていた。
子どもについては、これからの人生を、もしわたしが関わることによって、台無しにしてしまったらどうしよう。という恐怖があった。
結局、少しだけ高齢者介護の勉強はしたものの、資格を取るには至らなかったのだけれど。
しかしいま、介護を受けている高齢者のかたをみると、そこに自分の姿を重ねてしまう。
する側ではなく、自分が介護される側のイメージのほうが強い。
入院中だから、余計にそう感じるのかも。
逆に、ときおり聞こえてくる赤ちゃんの泣き声や、子どものむずがる声が、とても愛おしい。
また、近くの公園で遊ぶ子どもたちのはしゃぐ声に、元気をもらっている。
自分が若いころは、遠い存在だった高齢者がいまは身近なものとなり、
年齢を経たいま、子どもたちが遠い存在となる。
わたしも若かったころは、そこにいるだけで周囲のひとたちにエネルギーを与えていたのかもしれないな。
そしていまは、子どもたちや若いひとたちからエネルギーをもらっている。
エネルギーを無理やり奪うようなことは避けたいが、「与え・与えられ」はエネルギーの循環だ。
いまは核家族やひとり暮らしが多いというが、大家族で暮らしていたころは、家族間・家庭内でもエネルギーの循環が行われていたんだろうな。
若いひとたちはエネルギーを放出する代わりに、お年寄りから知恵や工夫を学び、またそれを後世に伝えていく。
今夜の夕食は全体的に淡い色合い。
でも、味はしっかりしていて、おいしかった❤︎
このCP10、実に好みの味なのよねぇ
退院してからも飲みたいので、思い切って通販しちゃいました!
退院はうれしいけれど、食生活をもう少し考えなくちゃねぇ。
病院で出される食事、本当においしくて。
やさしい味で、身体にも負担が少なさそう。
いろんなものを少しずつ、っていうのかいいんだろうけど、自分で作るにしても、どうも同じような、自分にとって使い勝手のいい食材ばかりを買っちゃうしなぁ。
で、めんどくさいから、つい大量に作っちゃう。
で、ついつい大量に食べちゃう。
せっかくキレイな状態になっているんだから、このままキープしたいねぇ。
ま、とにかく野菜多めで、四角く刻もう。
そして、ごはんはお粥にしよう。
味付けは薄めにしよう。
うん、頑張る!
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