わたしは自分の両親に対し、相当な恨みつらみを持ち、寂しさ哀しさを痛いほど感じ、息苦しさを抱えて生きてきた。

 

そう。

生きてきた。

 

それでも、こうして生きてきたんよね。

 

 

なぜかむかしから、うちの親とは言葉が通じない。という感覚が、わたしにはあった。

同じ日本語を話し、イントネーションもよく似た同じ言葉を使っているはずなのに、どうも通じない。

 

それが、コドモゴコロに歯痒くて。

親にとっては「わけのわからないことを言う子ども」と映り。

 

 

わたしはただ、「そうなんだー」ってニコニコ受けとめて欲しかっただけなんだけどな。

 

ま、でも。

例えば、同じ「りんご」を観たときに、どう感じるかはひとそれぞれ。

 

丸い。

赤い。

味。

食感。

持ち重り感。

「林檎」という漢字、書けるかな?

匂い。

シャキッとした食感。

色止めのための食塩水の味。

パソコン。

キャラクター。

食べたい。

嫌い。

熱を出したときのことを思い出す。

描いてみたい。etc...。

 

まあ、いろいろあるけど、わたしと親とは、ことごとくものの見かたや感覚が違ってたんだと思う。

 

 

でね、いまとなっては、違うっていうのはおもしろいこと。

違いを知ると世界が広がる。

なんて考えられるようにもなったけど。

 

 

わたしの言いぶんを認めてもらえないことが、哀しかった。

親の言うことがすべて正しい。それ以外は却下。っていうのが、とても息苦しかった。

 

だって、わたしはそう感じたんだもの。

感じたことをなかったことにはできないわ。

 

だけど、ねじ伏せられたなあ。

 

 

話せば話すほど、通じない世界。