自分に子どもができて、母になると、喜びと同時に、つねに心配がつきまう。
お腹にいるときも、生まれてからも、また成長するにつれても、いろんな心配が出てくる。
学校へ行くようになってからは、
勉強は大丈夫だろうか、友達とはうまくやれているのだろうか、塾は行かせたほうがいいのだろうか、習い事はどうしよう、、、。
と、心配事は尽きない。
だけど実際のところ、いくら心配したって、あれこれ言ったって、どうにもならないんよね。
いや、どうにもならないどころか、逆効果。
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わたしの親も、わたしのことをいつも心配していた。
それと同じように、わたしは自分の娘のことが心配。
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だけど。
思い出しのだ。
親から、しつこく心配されているとき、こどものわたしは直感的に、その「心配の理由」を見抜いていたな、と。
だから、心配されればされるほど反発し、親の期待や希望とは違うほうへ行ったんだと思う。
わたしの父親の口癖が、
「心配をかけるようなことはするな」
「未成年のうちは親に責任があるのだから、親の言うことを聞け」
「ひとに迷惑をかけるような生きかたはするな」
というもの。
あまりにも言われ続けたことにより、父親の本心が透けて見えた。
「我が子であろうと迷惑をかけられるのは困る。特に未成年が何かやらかした場合、すべて親が尻拭いをしなければならないのだから、おとなしくしておけ」
そっか。
心配の理由は、迷惑をかけられるのが嫌だから、なんだね。
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なので、二十歳になるまで、わたしはわたしの人生を諦めた。
ぐっと我慢し続け、二十歳になったとき、
「これで自由だ!もう親にあれこれ言われる筋合いはない!」
そう心の底から叫んだ。
そしてわたしは、やっと親から分離できた。
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そんなわたしに子どもができて、わたしも子どもに対し、心配が溢れそうになった。
まさしく連鎖である。
そしてまた我が子も、子どものころのわたしと同じように、「心配の理由」を見抜くのである。
心配すればするほど、逆効果。
あー、あのころのわたしと同じだ。
だからわたしは心配をやめた。
いま一緒にいるこの毎日を楽しむことにした。