どうしても嫌なものは嫌なのだ。

 

それは、ほかのひとにとって取るに足らないものかも。

なんでそんなことくらいで怒るのか(嫌がるのか)理解できないかもしれない。

 

 

 

「冗談だよ」

「ちょっとからかってみただけ」

 

わたしは、こどものころから、そういったことをよく言われた記憶がある。

 

わたしは母親から、よくからかわれていた。

 

わたしが、すぐ本気になるものだから、それがおもしろかったのか、母親はよけいにからかってきた。

 

「かわいいから、からかいたくなるのよ」と言っていたが。

 

いやいやいや。

わたしには、それは嫌がらせでしかなかった。

 

本当にかわいいと思っているのなら、やさしく抱きしめるか、そっとしておいて欲しい。

 

 

 

ひとを傷つける言葉。

バカにしたり、見下したり、侮辱したり、当てこすったり。

 

それらを言うことによって、笑いを取るという手段があるのも知ってはいる。

 

しかし、わたしは、そういうのがいっさい苦手なのだ。

 

 

 

わたしが「やめて!」と泣き喚いて、

 

「冗談だよ」

「ちょっとからかってみただけよ」

 

という言い訳が相手から出る場合、それは決して笑えるものではない。

 

「冗談の通じないやつ」

 

と言われても、わたしにとってそれは笑えない冗談であり、笑えない傷つくだけのものは冗談じゃない。

 

それらは、冗談という逃げ場を用意した攻撃である。

イジメというのも、そういうカタチを取る。

 

 

 

「そんな真っ直ぐ過ぎるガチガチな考えかたをしていたら、おもしろくないし、気を遣ってしゃべれない」

と言われたこともある。が。

 

ということは、そのひとの会話のほとんどが、他人に対する「からかい」であり「揶揄」であり、「当て擦り」だということになる。

 

そういうひととは、できるだけ関わりたくない。

 

 

 

「言葉」というものは、発せられかた、言いかた、ニュアンスなどによって、意味を変える。

 

 

楽しく会話が弾むひとたち。

そういうひとたちの発する言葉には、「やさしさ」「ユーモア」「愛」があり、ブラック・ジョークも毒吐きも、そういうひとたちとだったら大丈夫。

 

 

 

 

、、、あ、思い出した。

 

わたしは、くすぐられるのも大の苦手だ。

 

どうしておとなは子どもをくすぐりたがるのだろう。

泣いて拒否しているのに、恐怖で苦痛でしかないのに。

 

 

「からかい」と「くすぐり」。

ほんとに嫌だったな。

 

 

 

あ、もうひとつ思い出した。

 

海辺やプールなどでの、水の掛け合い。

あれも、嫌だな。

息ができなくて、わたしにとっては苦痛でしかなかった。

 

 

 

と、そういうことを、ふと、今日、思い出した。

 

 

だけど、「からかい」「くすぐり」「水の掛け合い」などを好むひとたちもいるわけで。

 

趣味、嗜好、価値観というのは、ホントひとそれぞれ。