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楽天ブログ更新です
なにもかも。(Pさんへ)
>「考える必要はない。」
「どうこうしようとしない。」
このことが大事なのですね。わかっているつもりなんです。一瞬安心もします。
「考える必要はない。」は、不可能な事です。
これは座禅なんかやっているとき良く
経験したりする事ですが,止める事はできません。
座禅は雑念をそのまま流す方向で行います。出っぱなしにするわけです。
ひとつの特定の状態を選ぶ事ではないんですよ。
是が良いと言うものはどこにもないと云う事です。
「考える必要はない。」とすると、一つのものを選んでいる事に成ります。
>ありのままでいいと思いながら、この思考回路にふりまわされます。
ありのままといっても、ありのままと言う特定のものが
有るわけではないんです。
>でも・・・すぐに考えているんです!
雑念が頭にうかんで、沢山考えている自分がいます。
が、あればそれでいいし、今の自分の状態がそのまま良いことになります。
>ありのままでいいと思いながら、この思考回路にふりまわされます。
この状態が来ても、振りまわされるのも良いわけです。
>どきどきばくばくパニックです。
これになれば、この状態も良いことになります。
なにもかもが、良い訳です。
あるがままとは、今の状態がそのままよいと云う事です。
○
不識(Pさんへ)
>症状について何もしないでいるとまた不安になります。
もうずっとこのままかと
時々絶望的になりそうになります。なぜなのでしょう。
>結局何もない、治る方法はないとしたら、どうしたらいいのでしょう。
ありのままでいるということはすごく苦しいことなんです。
流れにまかせるという
ことも予期不安がある限り大変なことです。
くまさん、教えてください。
絶望でいいんですよ。なんにも方法がないことを知る道なんですよ。
禅の逸話ですが、
有る時達磨大師に、その時の王が尋ねた。
仏法の根本を教えて下さいと。
達磨は答える。不識と。
つまり知らないと云う。
なにもないんですよ。求めるものはなにもない。
求める気持ちが、余計不安を大きくしている。
治すことがなにも無い、何もないと知る事が、治る事なんですよ。
絶望大いに結構なんですよ。
ゆっくりいきましょう。
私の青春時代、3回ほどクラシックギター教室の門を叩いたことがあります。
いずれも2年も続いていないと思いますが。
一回目は北九州市の小倉で。
2回目では、呉市の広のフラメンコギターの先生で、それも興味があったので、
その時はフラメンコギターを選択しました。
憧れの、ラスゲアードの弾き方など、先生の自前の ものが教材でした。
3回目は広島平和記念公園の近くのギター教室で、先生がコピーした楽譜で
今回紹介する、有名なギターの小品曲等でした。
小さなロマンス、美しい曲で、ギターの小品曲の定番になっているようです。
これも良く練習していて、弾けるようになっていたのですが、
再挑戦ですね。
これも美しい曲なので、良く練習していました。
ラグリマ(涙)も有名ですね。初心者の登竜門です。
今は弾けませんですが。
楽天ブログも始めました。