今年のお墓参りです


#広島県呉市川尻町 の #光明寺 ですね

#この世界の片隅に の プチモデル にもなった 

お寺のようです#こうの史代さん の

菩提寺 でもあるようです 

私の菩提寺でもあるのですが

前にも投稿しました #自転車の旅 の 

投稿の記事です


昭和50年9月24日(水)晴れ お婆さん宅に2日目 (富来)

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🌼能登の思いで お婆さんについて🌼


お婆さん(75才位)の先生は、これまたお婆さんで当時80才でした(#千田さん )。

どちらも真宗の人ですが、自分の燃え盛る業縁をなんとかしようと、自分流に長年

いろんな修行(滝行とか、山篭り、断食とか)されて、最後に”#あけがらすはや ”に

出会い、いくら死を覚悟して#荒行 をしても死なずいかされている自分の#生死の問題 が

落ち着き真宗の#得度 をされた人です。


お婆さんは東京住まいの奥さんでした、長年念仏を頂いてありがたく生活していた

のが、#東京空襲 のさなかに気が転倒して、いままでの平穏な信仰生活はなんだったのか

と、あらたな疑問が出、信仰がくずれ、いままでの法は偽者だったのかと、

このままでは死ねない、本物の法を見つけなくてはと、東京の家族の反対を押し切り、

能登の里に戻り(里だったかどうかはっきりしませんが。)説教をあさる毎日が

続くわけです。


真宗は修行はなく#聴聞 しかありませんので、#説教師 に遭うたびにこれは本物ではない

と、また次の説教師を待つ、また遠くまで足を伸ばし、近所でも法狂いの奥さんとして

有名だったそうです。


能登の思いで(2)お婆さんについて


そうして、得度された後に説教師として回っていた千田さんに出会い、

この人は本物だと、#心 が解決 されたそうです。

その後千田さん自体は、宿を持たない、流浪てきな人でしたから、

お世話をしたり、縁を深められたようです。


私も当時千田さんの書かれた著作を頂き、今も手元にありますが、その後の旅の途中、

広島に入院されておられるというので、旅の途中でありますが、汽車でその病院へ

遭いに行きました。


その前の晩、久しぶりに実家へ帰り、自分の悩みを手紙8枚位にしたため

千田さんに渡しましたが、体調が悪いと言うことで、低調に手紙もかえされ、

握手と一言挨拶し能登のことをよろしく伝え、千田さんの笑顔にてお別れをし、

また旅を続けました。


その後、能登からの便りで、私が旅から帰った時には

もう死んでおられたそうです。


生前に出会えただけでも、もったいないことで、

みえない法を頂いたような気がします。


能登のお婆さんとは、それから3年位、年賀状とかでやりとりがありましたが、

また死去されました。


細かい法がどうこうというのではなく、なにも行をするわけでも

ない、日常にこぼれる#念仏 にふれたひととき。真宗おそるべし。


今も私の心に、真宗的生き方が私の心に生きているのです。


能登の思いで(3)お婆さんについて


ともやすくんは#禅 に近いような気がしたのですが、真宗にも詳しいし、

こだわっていない風でした。泊めてもらった中に今思えば、

真禅一致 があったような気がします。


見せてもらった書籍には、#正法眼蔵 、#修証義 、#良寛 詩集 、

#教行信証 、...

禅も真宗もあったように思います。


なにはさておいても生死の問題、

死のなかにものを求めるのですからどちらも

違いはありません。


お婆さんの真宗も千田さんの法も、#生死 を明らめたもの。

念仏も禅も死のなかにあってこそ生きるものに相違ありません。


旅の続き(1)


お婆さん宅にての思いについて書き残したこと。


ともやす君と酒を飲み、程よい酔いで夜外に出て、暗い山や月を見ました。


山を彼が指し、”あの見たままが絵に描ければいいんですが”とか、

月を指して”これがそのまま見えれ ば”とか云っていました。


私は当時、心が混乱している時期なので、その時は月もみえず、

ついていけない心境でした。やたらうっすらと白んだ空に浮き上がっている、

暗い山があったことをが思い出されます 。


又、私が持っていた、非売品の#歎異抄 (前の会社の会長(真宗のお寺の子息)が作った

もの)の会長の後書きをみて、”この人はたいしたことはない、ありがたやの伝統的な

信仰だな”といっていました。確かに、”留学時代、親鸞聖人が共にいる気で頑張った

とか”の文がありましたもので 。


旅の続き(2)


又、自転車で一緒に貝堀から帰る途中、”あなたはまだ帰っても座禅とかの修行を

続けるつもりでしょう”と心をみすかされました。


そのとおり、二人と別れた後、やたら修行心が出て私は#座禅 に熱を入れていくのです。


せっかくのお婆さんやともやす君の、ままの法から、正反対に突き進んでいくのです

からなんとも。でもやはりそういう道が用意されているということでしょうか 。


また、ともやす君は近くの禅寺の住職とも知り合いのようで、時々行くと言って

いました。あなたは座禅はしないのかといったら、 ”私はしませんと苦笑いしていました。” お婆さんと、ともやす君の共通意見として、#親鸞聖人 関連で、歎異抄も良いですが、

教行信証や他の著作も良いですよということでした。