臨在録の無位の真人について、

 

なにか参考になればと、過去の記事を

 

まとめてみました。

 

 

 

22年前の年賀状 ですが
正月早々 縁起でもない言葉を
並べて 家族からは辞めてくれと
言われながら 最近まで続けていましたが

私も 手術を経験したり
死を意識するような年に
なってしまいました

もはや死がいつ訪れるか
誰に言うでもないですが
伝えたい言葉 として
過去の年賀状を
時々 投稿したいと思います

当時は Windows が出始めで まだ MSDOS のソフトとか
 PC98とか の時代でしたので
 松 というソフトの 付録に付いていた 鶴 というお絵かきソフトで
 たどたどしく書いたものです(;_;)えー
 

 

臨済録はいいですね 無人島に一冊だけ 持って行くことが許されるなら

この本を持っていくというのことでしたかね

 無位の真人 とか有名です(^^)v🌼👨

年賀状シリーズになってしまいましたね(;_;)/~~~😅💦🌼👨
..
一般に人は あさましから逃げ出したいでいっぱいですが

あさましが消えることなく 喜びの中の他力 良いですね\(^^)/🌼👨

一切のこだわり 囚われ 束縛から離れたもの
無位の真人
臨済禅師 の説法
すごいですね(*^▽^)/★*☆♪🎵🌼👨

臨済禅師 の説法で
仏に会えば仏を殺せ というのも有名ですが

仏教でありながら 仏を殺せというのがものすごいことです 🌼👨

つまり 仏に頼ろうとする 自らの心に 問題があるということですね

  仏教の心は本当に奥深いものがあります(^^)v🌼👨

 

あるがまま、正念相続

他力

よるひるなしの、あさまし

よるひるなしの、ありがたさ

絶体絶命

ここにも

真森禅一致

ありがたいものがあります。 \(^^)/🌼👨

 

終わった人

テーマ:
 
かっての禅についてのトピでのものです。

○
終わった人

tozanji
(63歳/男性/新潟県東山寺)  1999年10月13日
19時40分 

いいですか、悟りのあるなしじゃないんです、
悟りなければ問題にならぬにしたって、
もと自分という、これっこっきりのものでしょう、
もって生まれた如来という、
仏という他にな-んもいらんのです。

つまりそれができないんですよ。
必ず悟りあり、禅あり仏教あり、坊主の地位あり、
ぜにかねあり、
なんだかんだなくっちゃ、生きて行けないって
気になるんです。
ちらっともそれあったら、収まり切れないんです。

いうなら、
「わがこと終わった。」
という実感です、他どういったってしょうがない、
どう説きようもないんです、

「終わった人。」
をどうしても作りたいんです。でなきゃ自由の分がない、
仏教のくびき、あるいは世の中いいわるい判断のとりこになる、
だったら面白くないんです、眼横鼻直にして他に瞞ぜられずと、
道元禅師の語にあります、そういう人が欲しいんです。 

********

今見てみると、和尚さん、当時と言うこと、ぶれてないですね。
まだ、掲示板初心のころだから、丁寧な部分があるかな。

「終わった人。」、
心の決着、

ぐうの音もでない。

無位の真人

無碍の一道

「念仏者は無碍の一道なり。その故は天神地祇も敬伏し、
魔界外道も障碍することなし」(歎異鈔)

念仏者も終わってなければならない。

終わってなければ、任せることもままならず、
他力も、又、遠いものでしょう。

森田療法の治ると言うことも、
治るを放下しているからこその事。
 

寂滅為楽

 
○

寂滅為楽。TENさんへ(1)

>有難うございます。
私のよな未熟者の発言を読んでいただき感謝です。
ぜひ、KUMACYAN1さんが気が向かれたときにでも
なにか書き込んでいただければ幸です。

いえいえ、わたしもいいかげんなものですから、
てんりんさんの方こそ良いものがありますよ。

>ホーム>健康と医学>メンタルヘルス>生きていくのが辛い
(心の病)
でも発言しております。
自分自身答えにいきづまった時などは、
ここに来てKUMACYAN1さんのご発言を読み
参考にさせていただいています(^▽^;)あはは…
難しい本を読むよりKUMACYAN1さんのご発言を読んだほうが
私には、解りやすいです。

そうでしたか、まあ難しい事はむしろ苦手なので(笑)。
何かを感じていただければ幸いです。(^_^)

>KUMACYAN1さんのご発言であるメッセージ892は、
だだ苦しみから逃れたいがために
盲目的に生きていたかっての私の姿を思い出し
苦笑いしてしまいました…
(今もそうかも…)

これについては、トピずれじゃないかなと思って
いかなり出そうかと
迷ったのですが、何か感じて頂ける人も
おられるのじゃないかなと
意を決して
投稿しました。

そのように感じて頂いて、投稿しておいてよかったですね。

>>極楽だけ欲しがる人、
成仏だけ欲しがる人、
悪霊を遠ざけ、善霊だけ欲しがる人
これらの人に成仏はありませんよ。 
>特にこの言葉は、「はっ!」としますね。

そうですね、この辺りが一番のポイントだと思っています。
安心が欲しいと、心の追求や、求道を続ける。
結果、なかなか得られないものです。

そうではなく、不安も安心も両方という不安も安心も
当分に見られて始めて、
不安、安心を超えた安心と言う物が得られるものです。

親鸞の地獄一定。
地獄こそふさわしいとなって始めて、
地獄と極楽が同一線上になる。
地獄、極楽どちらでも良い。
無碍の一道というものが出てくる。

探さない、得ない、
探さなくても良い楽
得なくても良い楽
ここが解ると、スット楽になるものです。
心が寂滅する。心が静かに収まる。

禅でも無得の得と言います。
得ないところを、得るわけです。
得ないところに妙味がある。
無心を得ようとしても得られない、
無心を離れたところに無心があるわけです。

心の決着をつけようと、安定を得ようと頑張る。
けれど、なかなか得られないものです。

或時、どうにもならないとこまで来てしまう。
どんずまりです。
決着、安定への欲求を手放さざるを得ない。
そこでふと、心が軽くなる、楽なものが見つかる。

無決着の決着。
決着の無いところに決着があるわけです。

無安定の安定。
安定を放棄したところに安定がある。

不安が来れば不安で行く。
安心が来れば安心で行く。
心がみだれれば、みだれたままに。

どこまでも心が滞るところがない。
滞っても良いわけですから。
滞っても、滞っていないわけです。

心がこうなければならない物がなくなる。
心の位がない。
臨済録では無位の真人といっていますね。

寂滅為楽。TENさんへ(2)

><生きていくのが辛い(心の病)>の掲示板は、
森田療法を生かせると思います。
こちらのほうもKUMACYAN1さんが気が向かれたときにでも
なにか書き込んで
いただければ幸です。
森田療法で救われる人がいると思います。
だだ、KUMACYAN1さんにもさまざまな
ご事情がおありでしょうから無理にとは
申しません。書き込む書き込まないは、
あくまでも本人の自由意志によると思います。

そうですか、ちょっと覗いてみました。
回答される方も多いようですね。
この辺りタイミングなど、難しいものですから、
かえって混ぜ返しても良くないですし、
考えも違うかたも
いらっしゃるでしょうし、
議論になっても良くありませんので、
難しいところです。状況を見て投稿するかも知れませんが..。


>私自身インターネットにはまり込みすぎて
仕事のほうに支障がでそうです。
このような悩みの場合どのように解決すればよいのか
KUMACYAN1さんに
お聞きしたいところです(^▽^;)あはは…

まあ、私とて同じ事ですよ、仕事がせっぱつまらないと、
どうしてもそうなりますね。(^_^;
インターネットも良し悪しですね。(笑)

>これからも仕事が忙しく書き込めないまでも
ロムだけはしていきたいと思います。
よろしくお願い致します。

こちらこそよろしく。HPにも挨拶にいずれ行きます。
ご存知かと思いますが、哲学カテの「禅について」
でmarucyan1で、野弧禅で恐縮ですが時々投稿しています。
 
鬱状態からの解放

○
toさんの投稿
 
はじめまして。

実際には3度目ですが、立ち寄っただけなので、
かしこまった訪問はこれが初めてです。
このトピには正直いって救われています。感謝です。

どこが救われているのかと言うと、私、
この1年程ノイローゼみたいに
なってしまいました。

きっかけは子供の心配事だったのですが、
それに追い討ちをかけるように
私自身の病気が発見されました。
急に命にかかわることはないのですが、
現代の医療では治すのが難しいらしく、
先行きのことを暗く考えているうちに、
鬱状態のスパイラルに入り込んでしまったようで、
心療内科から安定剤を
もらったりしていました。

そんな矢先にこのトピに出会いました。

くまちゃんは私と同世代なのか、
もっと若いのかわかりませんが、
いわゆる
団塊の世代に属する私は、
くまちゃんのヒョーヒョーとした生き方にいろいろと
気づかされました。
というよりも、かつての私と同質なものを発見し、親しみを
覚えました。森田療法、鈴木大拙、禅、親鸞、
自転車旅行・・・多感な時代の
源流へとさかのぼるような目眩を感じました。

トピは今1257まで読みました。
ひとつのことをさしているのでしょうが、
読むたびにいろんなことに気づかされます。

私の不徹底さがくっきりと見えてきて、くまちゃんは悟っているよな、
とあらためて感じ入るしだいです。

トピを読み進むにつれて、私の気負いもうすれ、
病いへの不安感もすこしづつ消えてきたようです。

ありがたいことです。

他力の徹底のためにこのトピと出会ったのかもしれませんね。

今一番の関心事は、「身体的な苦痛」です。病いの影響か、
あるいは精神的なものなのか、いまだに不明なのですが、
ときどき息苦しさを覚えます。

すると、不安感とイライラもやってきて、
仕事も手につかないような
放電したような虚脱感に襲われます。
「身体的な苦痛」も森田療法は
クリアできるのでしょうか。どう対応したらよいのでしょうか。

長く続いてほしいトピです。くまちゃんの健闘を祈ります。  
   

◎
私の返答

生死の大問題。toさんへ。

>はじめまして。
実際には3度目ですが、立ち寄っただけなので、
かしこまった訪問は
これが初めてです。このトピには正直いって救われています。
感謝です。

ととらさん今日は。
そうでしたか、なにか感じられているとは思いましたが。
なんとも、心が少しなりとも軽く成って頂ければ幸いです。

>どこが救われているのかと言うと、
私、この1年程ノイローゼみたいに
なってしまいました。きっかけは子供の心配事だったのですが、
それに
追い討ちをかけるように私自身の病気が発見されました。
急に命に
かかわることはないのですが、
現代の医療では治すのが難しいらしく、
先行きのことを暗く考えているうちに、
鬱状態のスパイラルに入り込んでしまった
ようで、心療内科から安定剤をもらったりしていました。
そんな矢先にこのトピに出会いました。

そうでしたか、大変だったんですね。

>くまちゃんは私と同世代なのか、
もっと若いのかわかりませんが、
いわゆる団塊の世代に属する私は、
くまちゃんのヒョーヒョーとした
生き方にいろいろと気づかされました。
というよりも、かつての私と
同質なものを発見し、親しみを覚えました。
森田療法、鈴木大拙、禅、親鸞、
自転車旅行・・・多感な時代の源流へと
さかのぼるような目眩を感じました。

なかなか共通点がありそうですね。
世代的にも似通っているせいもあるのでしょう。
大拙居士、禅、親鸞なども御存知でしたか。

>トピは今1257まで読みました。
ひとつのことをさしているのでしょうが、
読むたびにいろんなことに気づかされます。
私の不徹底さがくっきりと見えてきて、
くまちゃんは悟っているよな、
とあらためて感じ入るしだいです。
トピを読み進むにつれて、私の気負いもうすれ、
病いへの不安感もすこしづつ
消えてきたようです。ありがたいことです。
他力の徹底のためにこのトピと出会ったのかもしれませんね。

そうですね、人の出会いといいますか、
不思議なものがあることは確かですね。
私もいいかげんな男ですが、
かって、悟ろうと、神経症を解消しようと必死だった
わけですが、ふとありのままを受け入れてみれば、
非常に心が軽くなると云う事。

他力と云う事も、共通な点がありますね。

ですが、時節といいますか、なかなか理解しがたいものが
あることは確かです。
苦しさを、そっと苦しいままにすると云うことは、
なかなか大変な事ではあります。

ですがなにか時節によりそっと、そこに触れることが出来ると、
禅の語録、無位の真人とか、無碍の一道と云う事も、
わかる感覚が出てきます。
何も特別なものは、ないんですよね。
非常につまらないままに、
なんとかて生きて居られることだけですから。

ととらさんも読み進むにつれ、
何かのものに触れられたのかも知れません。

>今一番の関心事は、「身体的な苦痛」です。
病いの影響か、あるいは
精神的なものなのか、いまだに不明なのですが、
ときどき息苦しさを覚えます。
すると、不安感とイライラもやってきて、
仕事も手につかないような放電したような
虚脱感に襲われます。「身体的な苦痛」も
森田療法はクリアできるのでしょうか。
どう対応したらよいのでしょうか。

例外はないですから、「身体的な苦痛」が、病いの影響か、
あるいは精神的なものであろうと、事実は事実ですから。

これが来ていると、まず受け入れる以外ないわけです。
一度、それを認め、逃げることなく、治療の方法を探し、
病院に行く事も良いでしょうが、
結果はどうであれ今来ている現実は現実として、
受け入れると云うことですね。

ですから、それが死への病であっても、
これはしかたない。
そういった覚悟のようなものがあると、
もしそれが心の病であれば、
覚悟したぶん、治癒していくわけですね。

治っても良いが、治らなくてもそれはそれで、
しかたないなの心持が、
心のどうどうめぐりをストップさせますから、
逆に治る方向に導いてくれるわけです。

ですから、禅でも大死一番とか、
生死の大問題とか云うわけですね。

>長く続いてほしいトピです。くまちゃんの健闘を祈ります。  
 
どうもありがとう御座います。
最近は、レスも遅れているのですが、私も頑張ります。


○
toさんの投稿

ご返答
ありがとうございました。

先日古書店で「神経症の時代/わが内なる森田正馬」という本に
でくわしました。
その中で岩井寛さんの壮絶な病いと森田療法との
葛藤が描かれていました。
私の現況なんて甘い甘いと戒められました。
「如来の奴隷」という言葉が
印象的でした。お礼まで。  
   
○
toさんの投稿

自転車旅行
 
トピ全部読ませてもらいました。

私もくまちゃんと同じ頃に
友人とふたりで自転車旅行をしました。
宗谷岬をスタートして沖縄をめざしたのですが
琵琶湖で挫折しました。
HPなつかしかったです。

また寄らせていただきます。  
   
◎
私の返答
 
懐かしいですね。ととらさんへ。

>ありがとうございました。
先日古書店で「神経症の時代/わが内なる森田正馬」という
本にでくわしました。
その中で岩井寛さんの壮絶な病いと森田療法との
葛藤が描かれていました。
私の現況なんて甘い甘いと戒められました。
「如来の奴隷」という言葉が
印象的でした。お礼まで。  

そうでしたか、それぞれの人が、
その人なりに受け取られるものがあるのでしょう。
森田博士も、著作を見ると、禅とか真宗とかの
共通点を見出しておられます。
行き当たれば、何にか同じ物が見えてきますね。

>トピ全部読ませてもらいました。

そうでしたか、お疲れ様です。(^_^)

>私もくまちゃんと同じ頃に
友人とふたりで自転車旅行をしました。
宗谷岬をスタートして沖縄をめざしたのですが
琵琶湖で挫折しました。
HPなつかしかったです。

そうですか、同時期でしたか。
調度カープが初優勝の時でした。(小倉にいる頃です。)
それから、四国を走っている時が日本シリーズで、
調度季節は今ごろで、
やはり野宿には寒かったですね。
その時は阪急か近鉄が相手でしたか、
まるで勝てなかったですね。

能登を走っている時、
布施明のシクラメンの香りが流れていました。
その年のレコード大賞でしたね。
又、途中、岩崎弘美の歌声も始めて聞きましたが、顔はわからず、
帰ってから始めて見ました。(新人賞でしたね。)

北海道でなにか遭っていたかも知れませんね。
本当に懐かしいものです。(私は27の時でした。)

でも当時、テントで座禅もし、歎異抄も読んでいましたが
さっぱりでした。

>また寄らせていただきます。  
   
いつでもぞうぞ。