鬱状態からの解放

○
toさんの投稿
 
はじめまして。

実際には3度目ですが、立ち寄っただけなので、
かしこまった訪問はこれが初めてです。
このトピには正直いって救われています。感謝です。

どこが救われているのかと言うと、私、この1年程ノイローゼみたいに
なってしまいました。

きっかけは子供の心配事だったのですが、それに追い討ちをかけるように
私自身の病気が発見されました。急に命にかかわることはないのですが、
現代の医療では治すのが難しいらしく、先行きのことを暗く考えているうちに、
鬱状態のスパイラルに入り込んでしまったようで、心療内科から安定剤を
もらったりしていました。

そんな矢先にこのトピに出会いました。

くまちゃんは私と同世代なのか、もっと若いのかわかりませんが、いわゆる
団塊の世代に属する私は、くまちゃんのヒョーヒョーとした生き方にいろいろと
気づかされました。というよりも、かつての私と同質なものを発見し、親しみを
覚えました。森田療法、鈴木大拙、禅、親鸞、自転車旅行・・・多感な時代の
源流へとさかのぼるような目眩を感じました。

トピは今1257まで読みました。ひとつのことをさしているのでしょうが、
読むたびにいろんなことに気づかされます。

私の不徹底さがくっきりと見えてきて、くまちゃんは悟っているよな、
とあらためて感じ入るしだいです。

トピを読み進むにつれて、私の気負いもうすれ、
病いへの不安感もすこしづつ消えてきたようです。

ありがたいことです。

他力の徹底のためにこのトピと出会ったのかもしれませんね。

今一番の関心事は、「身体的な苦痛」です。病いの影響か、
あるいは精神的なものなのか、いまだに不明なのですが、
ときどき息苦しさを覚えます。

すると、不安感とイライラもやってきて、仕事も手につかないような
放電したような虚脱感に襲われます。「身体的な苦痛」も森田療法は
クリアできるのでしょうか。どう対応したらよいのでしょうか。

長く続いてほしいトピです。くまちゃんの健闘を祈ります。  
   

◎
私の返答

生死の大問題。toさんへ。

>はじめまして。
実際には3度目ですが、立ち寄っただけなので、かしこまった訪問は
これが初めてです。このトピには正直いって救われています。感謝です。

ととらさん今日は。
そうでしたか、なにか感じられているとは思いましたが。
なんとも、心が少しなりとも軽く成って頂ければ幸いです。

>どこが救われているのかと言うと、私、この1年程ノイローゼみたいに
なってしまいました。きっかけは子供の心配事だったのですが、それに
追い討ちをかけるように私自身の病気が発見されました。急に命に
かかわることはないのですが、現代の医療では治すのが難しいらしく、
先行きのことを暗く考えているうちに、鬱状態のスパイラルに入り込んでしまった
ようで、心療内科から安定剤をもらったりしていました。
そんな矢先にこのトピに出会いました。

そうでしたか、大変だったんですね。

>くまちゃんは私と同世代なのか、もっと若いのかわかりませんが、
いわゆる団塊の世代に属する私は、くまちゃんのヒョーヒョーとした
生き方にいろいろと気づかされました。というよりも、かつての私と
同質なものを発見し、親しみを覚えました。
森田療法、鈴木大拙、禅、親鸞、自転車旅行・・・多感な時代の源流へと
さかのぼるような目眩を感じました。

なかなか共通点がありそうですね。世代的にも似通っているせいもあるのでしょう。
大拙居士、禅、親鸞なども御存知でしたか。

>トピは今1257まで読みました。ひとつのことをさしているのでしょうが、
読むたびにいろんなことに気づかされます。私の不徹底さがくっきりと見えてきて、
くまちゃんは悟っているよな、とあらためて感じ入るしだいです。
トピを読み進むにつれて、私の気負いもうすれ、病いへの不安感もすこしづつ
消えてきたようです。ありがたいことです。
他力の徹底のためにこのトピと出会ったのかもしれませんね。

そうですね、人の出会いといいますか、不思議なものがあることは確かですね。
私もいいかげんな男ですが、かって、悟ろうと、神経症を解消しようと必死だった
わけですが、ふとありのままを受け入れてみれば、非常に心が軽くなると云う事。

他力と云う事も、共通な点がありますね。

ですが、時節といいますか、なかなか理解しがたいものがあることは確かです。
苦しさを、そっと苦しいままにすると云うことは、なかなか大変な事ではあります。

ですがなにか時節によりそっと、そこに触れることが出来ると、
禅の語録、無位の真人とか、無碍の一道と云う事も、わかる感覚が出てきます。
何も特別なものは、ないんですよね。
非常につまらないままに、なんとかて生きて居られることだけですから。

ととらさんも読み進むにつれ、何かのものに触れられたのかも知れません。

>今一番の関心事は、「身体的な苦痛」です。病いの影響か、あるいは
精神的なものなのか、いまだに不明なのですが、ときどき息苦しさを覚えます。
すると、不安感とイライラもやってきて、仕事も手につかないような放電したような
虚脱感に襲われます。「身体的な苦痛」も森田療法はクリアできるのでしょうか。
どう対応したらよいのでしょうか。

例外はないですから、「身体的な苦痛」が、病いの影響か、
あるいは精神的なものであろうと、事実は事実ですから。

これが来ていると、まず受け入れる以外ないわけです。
一度、それを認め、逃げることなく、治療の方法を探し、
病院に行く事も良いでしょうが、結果はどうであれ今来ている現実は現実として、
受け入れると云うことですね。

ですから、それが死への病であっても、これはしかたない。
そういった覚悟のようなものがあると、もしそれが心の病であれば、
覚悟したぶん、治癒していくわけですね。

治っても良いが、治らなくてもそれはそれで、しかたないなの心持が、
心のどうどうめぐりをストップさせますから、
逆に治る方向に導いてくれるわけです。

ですから、禅でも大死一番とか、生死の大問題とか云うわけですね。

>長く続いてほしいトピです。くまちゃんの健闘を祈ります。  
 
どうもありがとう御座います。
最近は、レスも遅れているのですが、私も頑張ります。


○
toさんの投稿

ご返答
ありがとうございました。

先日古書店で「神経症の時代/わが内なる森田正馬」という本にでくわしました。
その中で岩井寛さんの壮絶な病いと森田療法との葛藤が描かれていました。
私の現況なんて甘い甘いと戒められました。「如来の奴隷」という言葉が
印象的でした。お礼まで。  
   
○
toさんの投稿

自転車旅行
 
トピ全部読ませてもらいました。

私もくまちゃんと同じ頃に
友人とふたりで自転車旅行をしました。
宗谷岬をスタートして沖縄をめざしたのですが
琵琶湖で挫折しました。
HPなつかしかったです。

また寄らせていただきます。  
   
◎
私の返答
 
懐かしいですね。ととらさんへ。

>ありがとうございました。
先日古書店で「神経症の時代/わが内なる森田正馬」という本にでくわしました。
その中で岩井寛さんの壮絶な病いと森田療法との葛藤が描かれていました。
私の現況なんて甘い甘いと戒められました。「如来の奴隷」という言葉が
印象的でした。お礼まで。  

そうでしたか、それぞれの人が、その人なりに受け取られるものがあるのでしょう。
森田博士も、著作を見ると、禅とか真宗とかの共通点を見出しておられます。
行き当たれば、何にか同じ物が見えてきますね。

>トピ全部読ませてもらいました。

そうでしたか、お疲れ様です。(^_^)

>私もくまちゃんと同じ頃に
友人とふたりで自転車旅行をしました。
宗谷岬をスタートして沖縄をめざしたのですが
琵琶湖で挫折しました。
HPなつかしかったです。

そうですか、同時期でしたか。
調度カープが初優勝の時でした。(小倉にいる頃です。)
それから、四国を走っている時が日本シリーズで、調度季節は今ごろで、
やはり野宿には寒かったですね。
その時は阪急か近鉄が相手でしたか、まるで勝てなかったですね。

能登を走っている時、布施明のシクラメンの香りが流れていました。
その年のレコード大賞でしたね。
又、途中、岩崎弘美の歌声も始めて聞きましたが、顔はわからず、
帰ってから始めて見ました。(新人賞でしたね。)

北海道でなにか遭っていたかも知れませんね。
本当に懐かしいものです。(私は27の時でした。)

でも当時、テントで座禅もし、歎異抄も読んでいましたがさっぱりでした。

>また寄らせていただきます。  
   
いつでもぞうぞ。