先週、滋賀で1人暮らしを始めたムスメが
朝起きてるかどうか気になって
仕方のなかった私。




【ムスメへの心配も不安も手放す】
と決意したら
すぐにお試しがありました。




2日後の夜9時にムスメから
腹痛を訴える電話があったのです。




結論から言いますと
タクシーがつかまらなかったので
救急車をお願いし
『感染性胃腸炎』という診断で
病院で点滴をしてもらい
ことなきをえました。




でも、電話を受け取った時は
サアーッと血の気がひきましたよ。




夫がいたので2人で
救急病院を探し
タクシー会社を探し
「ここに電話してタクシーに来てもらって
この病院に連れて行ってもらいなさい」
と指示を出し
「タクシーがつかまらない!」
と再度ムスメから電話があったので
「救急車呼んでいい!緊急時だからよかよか!」
と言い
私は滋賀へ行く新幹線の時刻を調べました。




で、この時間には
京都まで行く新幹線がないことを
初めて知りました。




京都までだったら
20:01ののぞみが最終で
新大阪だったら
21:09のみずほが最終。




そっか。
距離があるということは
何かあっても
すぐには駆けつけられないということなんだね。




ムスメは1人暮らし3日目で
1人で救急車に乗って
1人で点滴を受けて
1人で支払いをして
1人で家に帰って
1人で寝たんだ。




こりゃ、ムスメを遠くへ行かせるのは
親は心配で不安だわね。




だから、私の母は
私を手放したくなかったんだ。




母は自分が心配で不安になりたくなかったから
私を手放したくなかったんだ。




それに気付くと
ムスメを遠くの大学に行かせることができた私は
とっくにムスメへの心配も不安も
手放せているような気がしました。




と同時に
自分が心配で不安になりたくないが為に
私を側に置いて過保護に育てた
母への怒りも噴き出してしまいましたが
ここは押さえ込まず
出して出して出しておこうと
自分に湧いてくる感情に
そのまま耳を傾けました。




母と私とムスメ。
三世代の関係性。




私とムスメに何か起こると
私と母との関係性を思い出し
様々な感情を味わうことになる。




それはあまり心地のよいものではないけれど
ムスメが私に見せてくれる行動によって
私は1つ1つ
母から植え付けられた制限を
手放しているような気がする。




きっとそれは
とてもありがたいことなのだろう。














ムスメは結局
翌日のオリエンテーションも
翌々日の授業開始日も
欠席しました。




でも、もう、私は心配も不安もありません。

私がどうこうできることではないことに
やっとこさ気づけました。

これが車で3時間くらいで駆けつけられるところだったら
駆けつけてあれこれ世話焼いてたな、きっと。




でも、どうもこうもしようもないことがあるんだとわかったら
すーっと気持ちがラクになりました。

ムスメよ、遠くに行ってくれてありがとう。

この距離のおかげで
やっとやっとやーっとあなたへの不安と心配が手放せたよ。




まあ、また時々お試しはあるだろうけど。
1つ1つ、クリアしていけます。