今まで出会った人は殆ど

 

共通点に目が向いてしまう人ばかりだった (((((・_・;)

 

私はぼっち体験も原因しているかもしれないが

 

相違点に目が向いてしまう性質が強い

 

私と同じだという共感より

 

自分とは違う所を探しいる感じだ

 

これは私の妄想の域を出ないかもしれないが

 

一人一人同じものを見ていても違う感覚で捉えている可能性を感じる

 

その人が見えている世界と私の見えている世界は

 

同じものを見ていてもまるっきり違うのではないかと時々思える

 

何故なら、私が感じた感覚に共感されたことが殆どない(=◇=;)

 

勿論私は人と違った事をしたい訳でも、みんなとは違う生き方をしたい訳でもない

 

ただ私が感じたものを素直に言葉にしただけだ

 

多くの子たちは共感力を身に付けて周りと歩調を合わせるように仕向けられている

 

学校だけでなくテレビなど様々な番組、アニメやドラマでもその傾向を

 

刷り込むような内容が含まれている

 

自然と人の目を気にする人になって行く

 

知らず知らずのうちに人目を気にするように仕向けられているのだが

 

何故か殆どの人はそれに気が付いていないΣ(@@;)

 

ぼっち時代が長かったせいか、私はその呪縛から外れて生きて来た

 

その呪縛の内側に居る限りそれは認識できない状態にいる

 

しかし刷り込まれた価値観はその人に浸透して自分の一部になっている

 

私はその圏外に追いやられ、人間の世界の刷り込みより

 

自然の声に意識を向けるように子供時代を過ごしていた

 

これは手相のソロモンの環の影響だろうか

 

私の場合線が二重になっているΣ(@@;)

 

最近知ったのだが

 

直感閃きタイプは恐らく太陽線と結びついた神秘十字線が影響しているらしい

 

スーパー神秘十字線と呼ばれているらしい (((((・_・;)

 

人間界の刷り込みから外れて自然界の声に耳を傾けるように生きて行くと

 

人間でありながら自然界側から人間の世界を観察するようになる

 

あらゆるものを見るのではなく観察する癖はこのぼっち時代についたのかも知れない

 

人間界の外側から人間の世界を見れば矛盾だらけに見えてしまう

 

明らかに全然違う個性をしているのに

 

無理矢理共通点を見つけて安心している様子だ

 

何故みんなと同じだということに安心感を抱くのか私には不思議でならない

 

違うから私の存在意義があるというのに( ̄▽ ̄;)

 

実家に出戻りしてから人から絡まれ易くなって気が付いたことだが

 

一緒であることに強い執着心を持つ女子たちの性質に驚かされた

 

私は常に異端視されて来たから

 

初めからそんなものに執着心など持っていない

 

それにこんな奴らと同じだと思いたくない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

だからこいつらと違う所を自然と探すようになる

 

親しく接してくれる子もいるが

 

そんな子たちに対しても違いに意識が向く

 

刷り込まれた価値観によって全然違う個性なのに

 

同一視感情を抱こうとしている傾向を感じた

 

恐らくこれは学校などによりみんなと一緒が一番良いという刷り込みがあったのだ

 

それぞれ違うからこそ価値があるというのに¢( ・・)ノ゜ポイ

 

違うから違う人の弱点を補える

 

その人の弱点が違う人にとって強みとなる可能性もある

 

得意不得意分野があるのは

 

人間が一人で生きて行くように出来ていない前提で作られている証拠ではないか

 

適性は役割に直結していると私は見ている

 

弱さや強さもそれぞれ個性に応じて違う

 

冒険心の強い人は忍耐力が弱い、しかし新しい事に挑戦するのに躊躇いはない

 

好奇心の強いものは、初めて挑むことに躊躇どころかワクワクしながら挑む

 

逆に忍耐力が強い人は新しいことに挑戦するのに慎重で中々腰を起こさない

 

その代わり遠くを見通す能力が発達する

 

必然的に長期的な計画を立てるのに長けて行く

 

このように弱い所と強い所は人それぞれ違う

 

だから人間におけるバランスとは一人の人で完結されるものではなく

 

一人一人がバランスのとれた人物になるというより

 

さまざまな人が力を合わせる事によってバランスがとれる

 

そう考えた方がチームワークが強化され易くなる

 

実際みんなが同じようになれと言っても無理な話で

 

同じように出来ない人は必ず現れる

 

それを不良品扱いする人が多いのに驚いた Σ(¯Д¯;)

 

出来ないことに可能性があるのに(((゜д゜;)))

 

規範通りにいかないはみ出る人というのは

 

新しい何かを作り出せる可能性がある個性をしている可能性が高い

 

その個性を生かせば良いわけなのだ

 

大昔の日本人はそのことを熟知していた

 

だから適材適所を重視してその人の個性を生かす努力をして来たのに

 

明治維新から西洋文明だけでなく文化まで取り入れてしまうことで崩れ始めた

 

終戦後更に西洋のビジネススタイルを刷り込まれる

 

昨今はそれがあたかも神の如く信じられている

 

私から見れば大昔の日本人の方が西洋のビジネススタイルより遥か先を歩いている

 

だから今の日本は退化させられている

 

周回遅れの西洋文化を日本が遅れていると錯覚させられて追うものだから

 

後退の一途を辿って行く

 

日本人の繊細な感性は一人一人の個性に合わせて指導する道を導き出しやすい

 

西洋文化は特定の教えに人を合わせようとする性質が強い

 

必然的にその方針に合わない存在は不良品として処理する¢( ・・)ノ゜ポイ

 

これは日本人には合わないと思う

 

そろそろ大昔の日本人のスタイルに目を向ける頃合いではないだろうか

 

世界中は確かに西洋のビジネススタイルで動いているが

 

これを変える事は不可能ではない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

何故なら世界を動かしている国は決して多くないからだ

 

大昔の日本の文化が実は世界に起きている諸問題を解決するヒントが

 

ふんだんに隠されている

 

きっと多くの人はそのことに気が付いているのに

 

知らないふりをして居る(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

世界最古の磨製石器が日本で見つかっている、しかも三万年前となれば

 

アフリカから人類が発生して世界に分布した定説が覆ってしまう遺跡発掘が

 

次々に現代の技術で発掘されているのだが

 

世界に忖度した科学者はそれを控えめにしか発表しないため

 

誰もその事実を知らない、学校もそれを教えないのだから呆れる┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

多様性という言葉の遣い方も変だ

 

違和感だらけの世界

 

悲観的考え方や愚痴に対して否定的な考えが発信されているが

 

私はそれらを否定的に見ていない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

問題は愚痴を愚痴としてしか処理していない所にある

 

まずその愚痴の内容を分析して解決策を探せばアイデアのネタになる

 

悲観的な考え方は一つの可能性として捉える事で

 

もっとフラットな分析をする事が出来る

 

前向き過ぎる事に危険性が孕んでいると私は見ている

 

因みに私は前向き過ぎる考えに走り易い(=◇=;)

 

慎重派の先輩とケンカしながら仕事をすると

 

不思議と効率が良い方法を発見することが多い

 

ムカつく相手ではあるが、この先輩に助けられた事も少なくない

 

私がフォローすることの方が多いのだが∑(-x-;)

 

違うタイプが居るから

 

人間の振り幅が広がる、これは可能性の広がりと言っても良い

 

私は散々迷惑な個性だと言われ続けて来たが

 

今回のような非常に大変な問題が勃発すると

 

以外に活躍する機会が増える

 

発想の違いは時に役に立つという事だろうか

 

最初は「はぁ?」と怪訝な顔をされるが

 

話し合いが進むにつれて私のアイデアに辿り着く(=◇=;)むかっ

 

「だから最初に私が言った通りでしょ」と口から出るのだが

 

私のアイデアであると認めたくない奴らは話をすり替えやがるヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

結局無駄な時間を浪費して、このアイデアが採用された

 

しかも、これは私の発案のアイデアだということは閉口する

 

何とか解決の道筋が見えて来たε-(´∀`*)ホッ

 

まぁ誰のアイデアかなんて大した問題ではない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

こういう場面が増えて行くと

 

私の意見は自然と通り易くなる( ̄‥ ̄)=3 フン

 

こうなると最大に懸念する事は、今度は私が会社を私物化した一部の重役たちと

 

同じ存在になってしまうことだ

 

私がそうしようとしているわけでは無い

 

そういう癖の付いた奴らが自然とそのようなシステムに組み込んでしまう

 

大体、誰かをリーダーにしてまとまるカタチが気に入らない

 

リーダーを立ててまとまるのは人間の習性なのだろうか

 

確かに、誰かの考えに従って流れに身を任せるのは楽だ

 

それを正義だと思い込めば、そのリーダーに利用されていても

 

自分が正義だと信じ込んで生きられる

 

中にはそのリーダーを利用する輩も生まれるだろう(;¬д¬)

 

私は人間を格付けとか、権威主義とか性質的に大嫌い(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

誰かをリスペクトして、その人に従って生きる事は

 

思考停止して自分の頭で自由に考える事を放棄しているのと変わらない

 

これが人間の性質だとすれば、人間をやめたくなる

 

捉え方を改めよう、そう言う個性もあると言う事かも知れない

 

少なくとも私はそう言う個性では無い

 

リスペクトしている相手でも、全てを全面的に信じたりしない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

リスペクトする相手の欠点を見つけては楽しんだりする(,,꒪꒫꒪,,) 

 

意見が分かれて対立すれば徹底的に戦う( ̄へ  ̄ 凸

 

リスペクトする気持ちは変わらない、だからこそ手を抜かない

 

私に対する支持者が増えれば、私の思い通りに事が進みやすくなる反面

 

私が間違えればみんな総倒れになる

 

実に合理的で危うい関係だ(;¬д¬)

 

これでは私憎しで攻撃されている方が遥かにマシだ

 

部下たちはこの状況を喜んでいるから困った(=◇=;)汗

 

如何にこれを崩すか考える必要がある

 

「まるちゃん余計な事考えていないでしょうね、折角支持者が増えたのだからこれからは思い通りに生かせば良いでしょ」

 

勘の良い部下が先回りしてストップをかけるが

 

「余計なことなど考えていないぞ」(;¬д¬)

 

奴は私をのぞき込んで

 

「これはまた何かやらかすつもりね」

 

奴らは心理学やプロファイリングの専門家だった(=◇=;)

 

頭では理解しているのだが

 

自分の理想が自分の未来への道を阻害する可能性を

 

私は基本的に実際主義者なのだが

 

こんな時に自分なりの考え方に執着する癖を発見する

 

無意識に理想という幻想を作り出しているのかも知れない

 

これは瞑想をしながら、自分と向き合い幻想と未来への青写真(イメージ)の違いを

 

明確化して理想と言う幻想ではなく、未来へのイメージにすり替える必要がある

 

「わかった理想は追わない」(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

私の言葉に何故か部下たちは反応して取り囲まれたΣ(@@;)

 

感覚の違いは説明を必要とする(=◇=;)

 

しかし部下の一人が

 

「まるちゃんにやらかさないようにと言っても無駄よ」┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

なんて言いやがったものだから

 

「お前私を諦めたらそこで試合終了だぞ」ヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

私の抗議が発火点となり、奴らの笑いの火山が噴火した( ̄ー ̄)

 

まる☆の結局何の話や迷宮ブログΣ\( ̄ー ̄;)ちゃんとまとめて書けあせる

 

こうならない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ