私は偉そうな態度に見えるため

 

この言葉で責められたことが非常に多いのです(=◇=;)

 

だから良い印象を持っていませんでした

 

ほとんどの人は、もっと謙虚に生きろとか

 

偉そうにするなという意味でこの言葉で私を責めるためにぶつけていましたが

 

実際この言葉と向き合い真意を追求してみると

 

これは謙虚に生きなさいという訓戒の言葉ではないことに気がつきますΣ(@@;)

 

この言葉の真意に辿り着く為には

 

他力と自力について知る必要があります

 

私は自力を重視して生きています

 

しかし自力とは何かを知る為には

 

他力の存在を知る必要があります

 

他力とは何なのかを追求してみれば

 

実は私たちは他力の中で生きていることに辿り着きますΣ(・ω・ノ)ノ!

 

例えば地球と言う存在がなければ私たちは生まれて来ていない

 

この環境が少しでも違っていたら人間という種族が生まれていたかどうかわかりません

 

私たちが生命を維持する為には空気が必要です

 

酸素濃度の違いによっては生きられない

 

水もなくては生きられない、海の水が蒸発して大気中に浮かんで雲を成して

 

それが雨となり大地に降って山が濾過して浄化して湖を作ったり川として流したり

 

また海に帰る、水は循環していて、私たちはその水の恩恵で生きている

 

例えば金属は鉱物から出来ていてガラスもその一つです

 

スマホの画面のガラスも鉱物から出来ています

 

食物連鎖については思う所がありましたが

 

しかしそのシステムによって生かされている

 

人間は自分たちが耕し家畜を育て、流通してスーパーへ行けば食料品などを

 

簡単に手に入れられるようになりましたが

 

まず鉱物の恩恵がなければビルも立たない金属がなければ

 

内燃機関も電池も蒸気機関も生まれなかった移動手段は馬などを利用していましたが

 

その馬がいなければ人力だったかも知れません

 

他の存在なくして人間の科学の発達もなかった訳です

 

ガラスがなければレンズも生まれない顕微鏡も作れない

 

様々な恩恵の中で生かされていることに気が付きます

 

一時期原因不明の病気で衰弱して命も危うい時がありましたが

 

その時に健康であることそれだけでも奇跡では無いかと考えさせられました

 

不作や異常気象など気候変動によって収穫が滞れば飢える可能性もあります

 

農作物も科学の力で効率良く収穫できるようになったとはいえ

 

基本は変わりません、何か問題が発生して食物が絶滅してしまったら

 

他の動物も共倒れになり人間も生きられなくなります

 

食物連鎖のような絶妙なバランスで生きている(((((・_・;)

 

他力の恩恵無くして生きられないとすれば

 

他力ありきなのです

 

この事実に辿り着いた時には自然と頭が下がる想いになります

 

如何に科学万能と人間の自力を誇ったところで他力の存在が無ければ

 

あり得ない事だらけなのです

 

この事を認識すれば、自力でどんなに成功できたとしても

 

自分を誇ろうという気持ちにはなれません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

私はこの時生かされているのだと認めざるを得ませんでした

 

そして感謝せずにはいられない気持ちになりました

 

自力による成功をこの先手に入れられたとしても

 

それが法則を利用しての成功であれば法則がなければあり得なかったと言えます

 

だから自分を誇る気にはなれません

 

成功すればするほど法則に感謝の念が湧いて来るばかりです

 

この他力は全て神様の愛だとすれば

 

神様の愛の中で私たちは生かされていることになります

 

だから成功すればする程、他力の存在を自覚することになる

 

さて人間も私以外は他力だと捉えれば

 

他者の存在もまた必要不可欠です

 

日常のありとあらゆる道具や日用品はそれを作っている人が居て初めて

 

手にすることができます

 

便利なグッズも日常で必要なアイテム、冷蔵庫や洗濯機などは有難い存在ですが

 

これを発明した人がいなければ私たちはこの文明の力を手に入れられなかった

 

だからどんなに自力で生きて行こうとしても

 

他力の存在がなければ何も出来ない

 

この事実を知れば、世界中に名を残すような偉業を成し遂げたとしても

 

他力への畏敬の念が強くなるばかりです

 

自分を誇る人はこの他力の存在を見ていても認識していないからでは無いでしょうか

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」これは神様の愛である他力の存在に対する

 

畏敬の念から自然に起こる現象だと私は認識しました

 

神様の懐はこんなにも広くて暖かいんだなぁと涙腺が緩みます

 

ただ神様は厳しい存在でもあります

 

それは、人間の自力に対して決して手を貸さない

 

チャンスを与えてはくれますが、あくまでそのチャンスを生かすのは

 

私たち人間の自力の力のみです

 

科学の進歩も、快適な日常品も人間の努力、自力無くしては生まれなかった

 

それが私にとっては他力の存在になります

 

そして私の人生をどのように歩むか、成功できるかは運命ではなく

 

自分の力で切り開いて行ける可能性を持っています

 

私たちは可能性を与えられている、しかしその可能性を生かすも無駄にするのも

 

全ては私次第ということになります

 

そう言う意味で私は自力を重視していますが

 

決して他力を蔑ろにしているわけではありません

 

神社に行っても願い事を祈願することをしないのは

 

既に必要なものは与えられているし、必ずチャンスは与えてくれると信じているから

 

敢えて祈願する必要はないと考えました

 

だから主に報告と気晴らしに面白い話をしに神社へ行きます

 

神様に笑える話をする人は少ないかも知れないから

 

一人ぐらいそういう人間が居ても良いかなと考えましたヾ(@^(∞)^@)ノ

 

神様のお腹の皮が捩れるほど笑わせたい願望があります

 

日常の腹を抱えて笑った話を奉納するために人が少ない日を選んで参詣します(ΦωΦ)

 

因みに私が天然系の人が大好きなのは

 

この世界に必ず一定数天然系の愉快な人が生まれる事実を知れば

 

神様も笑いが大好きな側面を見つけることができるからです

 

神様は笑いが大好き、そうでなければこの世界にお笑いは存在しない(ΦωΦ)

 

だったら笑える話をしに行こうと決めました

 

Σ( ̄ロ ̄lll)なんの話やあせる

 

私は偉そうな態度はとりますが

 

決して自分を誇ることだけはしないと決めています

 

この考え方については長くなるのでまた機会があれば記事にします😯

 

他力と自力の関係と他力への畏敬の念

 

しかし自力の大切さを今は噛み締めています

 

与えられている他力の恩恵を如何に生かすかは私たち次第だから

 

自分の頭で考える習慣と感性を磨いて研ぎ澄まし可能性を最大限に引き上げる

 

成功か否かはスポーツの試合と同じだからワクワクしますヾ(@^(∞)^@)ノ

 

まる☆