自分の弱さを認める事を強調して来る先輩が複数いますΣ(@@;)

 

私が強気だと勘違いしているようです(=◇=;)

 

強気で生きれば弱気を背負い込むという心理や法則を知っているから

 

強気で生きるなんて割に合わないことはしません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

強気の心は自分の弱さを認められない(;¬д¬)

 

強気で生きる事と自信を持って生きる事はまるで別物です¢( ・・)ノ゜ポイ

 

強気を気を中心に考えれば意味合いが変わってきますが

 

強気は何かに対して持つ心の状態であるとすれば

 

本来の状態ではなく強がっているとか強く見せる

 

勇気を奮い起こして立ち向かう状態とも捉えられますが

 

いずれにせよ今の自分の力量を度外視して立ち向かうとか挑む状態

 

この状態では自分を客観視していない可能性は高い

 

勿論認識理解した上で、挑む人もいますから一概には言えませんが

 

強気の持ち方によっては弱さを背負い込むことになりかねません(=◇=;)

 

相手に自分を強く見せる、強がっている場合や

 

自分の力量を超えて挑めば無鉄砲になってしまったり

 

実力も無いのに立ち向かう、自分を客観視できず力量を度外視して立ち向かう

 

このような場合の強気は無鉄砲となります

 

運よく成功してしまった場合でも何故成功できたのか分析すれば問題無いのですが

 

逆に過信に繋がると傲慢や虚栄心を育ててしまう可能性も高くなります

 

自分を客観視して力量を計り自覚した上での強気なら

 

例え敗北してもそこから何かを学ぶ心の余裕が生まれます

 

また力量を計ることで成功率が低いと理解しているから

 

実現できなくても心のダメージはそれほど無く

 

寧ろ敗因から何かを学ぶ姿勢が生まれて教訓と言う宝物を掘り当てることが出来ます

 

ところが、虚栄心や傲慢な心を育ててしまうと

 

何かを学ぶより精神的なダメージが大きくなり凹むことになります

 

本来の力量を誤認しているため必要以上の過度の期待から

 

上手く行かなかった時には自分の虚像の分だけダメージを大きく受けます

 

無駄に大きなダメージは割に合いません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

合理的な性質の強い私としては虚像なんて無意味に自分を評価するのは止めて

 

客観的に分析することを選択します

 

さて、心の弱さについてですが

 

弱さに対して強さが前提の言葉のようです

 

だとすれば、強さと弱さの捉え方によって扱い方が変わります

 

強さは弱さが前提の言葉です

 

依然長所と短所は同じものの裏表だと話しましたが

 

強さという長所は弱さという短所がセットで存在していると見て間違いない

 

強い所があれば弱い所も自然に生まれて来るとすれば

 

自分は強いと思えば、間違いなく弱い面も存在している

 

光が強ければ影も強くなるように

 

強くなればなるほど弱さもまた強くなって行く

 

面白い現象ですΣ(@@;)

 

強く成れば弱さが小さくなるのように思いますよね (((((・_・;)

 

これは、長所を伸ばせば短所が小さくなるように見えるのは

 

長所と短所は同じものの裏表です

 

だから長所を強化すれば必然的に短所も強化されます

 

問題は長所として発揮する場面を増やすことで

 

短所として発揮する場面を減らしている

 

表面的には短所が小さくなったように見えますが

 

長所を強化した分短所も強化されてしまいます(=◇=;)

 

長所として生かす技術を身に付けることによって

 

他者との関りや自分の人生との向き合い方が変わります

 

一方で短所を無くす努力というのは

 

短所を弱らせることになり、同時に長所も弱くなります

 

合理的な性質の強い私としてはこんな勿体ないことはしない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

そこで私の短所をどうしたら長所として生かすかを考えました

 

この技術を磨くことで表面的に見れば短所を減らしたように見えます

 

実際のところ短所は少しも小さくなっていません

 

長所を強化した分寧ろ短所も強化されています( ̄▽ ̄;)

 

ただ短所より長所として発揮する場面を増やしているだけです

 

自分とどう付き合うかで自分の人生は大きく変わって行きます

 

後はアスリートやスポーツ選手が技を決めるために技術を磨くのと同じように

 

自分のこの性質を長所として活用する技術を日々磨いて行くことで

 

成功の精度を上げることで人生を切り開いて行くことも出来ます

 

ここまで知った上で、強さと弱さを捉えてみましょう

 

強さと弱さはセットで存在しているとすれば

 

強さを強化すれば弱さも強化されてしまう

 

強く成れば強くなる程弱さを背負い込むことになりますヽ(;´ω`)ノ

 

この強さとは万能ではなく

 

その人の個性によってどこが強いかが違ってきます

 

人はそれぞれ違う強さと弱さを持っている

 

万人共通に強さ弱さというのは一つのスケールで便宜上定めた基準の様なものです

 

物事や何かに挑む場合もその人の個性に合った強さを利用して

 

それに立ち向かえば勝率は上がります

 

何かに挑戦するのが苦手の弱さを持った人がいるとして

 

挑戦することに何の抵抗もない強さを持った人もいます

 

一方で挑戦することが苦手な弱さは

 

何かに対して耐え忍ぶ強さ、忍耐力を裏表として持っています

 

挑戦することに抵抗の無い強さを持った人は

 

実は忍耐力や耐え忍ぶ強さを持っていない弱さをセットで持っている

 

この弱さを克服して行けば挑戦する強さも損なわれてしまう

 

何かに挑戦することが苦手な弱さを克服しようとすれば

 

忍耐力や耐え忍ぶ強さが損なわれる

 

となれば自分の持ち味を生かすことに専念した方が良いのではないかと

 

私は考えました

 

適度に挑戦する強さを身に付けてバランスを取るという生き方もアリです

 

忍耐力や耐え忍ぶのが苦手な弱さを少し克服することで

 

慎重さが芽生えて挑戦する強さは損なわれますが

 

バランスを持って生きるのも一つの生き方だと思いますが

 

私は自分の持ち味を強化する道を選びました(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

どうやら人間は他者との関係が前提で存在しているようです

 

だから私の弱さは、誰かが補うようになり

 

また誰かの弱さを私の強さが補うようになる

 

本当の協力関係は

 

依存的に寄りかかるのではなく

 

それぞれの分野で自立して個性として磨きをかけた人同士が協力し合う

 

弱いから寄り添うのではなく

 

自分の磨かれた強さが相手の弱さを補う関係だと私は見ています

 

同じものを同じように受け持つのではなく

 

自分の任された荷物は自分一人で責任を持ち

 

自分ではどうにもならない弱い所を他者に任せる

 

団体のスポーツの役割に似ていますね

 

バレーボールではセッターやアタッカー、レシーバーなどそれぞれが

 

自分の適性がある得意分野を磨き役割を担うように

 

共同の目的である試合に勝つ勝負に挑むような感じで

 

協力し合うカタチだと私は思うのですが

 

私に弱さを認めさせようとする先輩たちの話を聞けば

 

かなり依存的なイメージが強い(=◇=;)

 

素直になれとか頼れとか

 

反省しろとかもその目的は依存心から生まれている

 

私が目指し日々鍛えている事とはかなり違うので(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ却下

 

つまり

 

弱さを認めるも何も

 

強さと弱さはセットで存在している訳だから

 

必然的に弱さと強さは認識の圏内にあります

 

今更認めるも何もありません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

しかし、私がどのように説明しても

 

その先輩たちは大体の所理解できない様子で

 

「お前と言う奴は相当の変人だな」となります(=◇=;)

 

変人ちゃうわヽ(`Д´)ノむかっ

 

決まって奴らは笑いやがりました゛(`ヘ´#)むかっ

 

 

まる☆の誰が変人やっ抗議ブログΣ\( ̄ー ̄;)そんな内容ではないぞあせる