昔友人が言った

 

「奇跡は期待しない」

 

彼は私から見ても変わり者だ

 

「私たちは可能性を作り出せる力を持っている」

 

軌跡を願って歩むより

 

神様が手を貸したくなる人になる方が

 

粋な生き方だと思う

 

「それはどんな人」

 

「奇跡を期待する下心など持たず、真っ直ぐで直向きに頑張り続ける人」

 

そのことを福沢諭吉は知っていた

 

「天は自ら助くる者を助く」

 

これは自分の人生を精一杯生き抜く人の姿で

 

天の助けを求めての歩みではないと彼は捉えている

 

また

 

中国で南宋初期に活躍した儒学者、胡寅(こいん)が残した

 

『読史管見(とくしかんけん)』に記された言葉

 

「人事を尽くして天命を待つ」

 

その言葉の彼の解釈は

 

人事を尽くす

 

それこそが天命だから

 

これは自分たちが出来ることは自力だけだから

 

大地に足を踏みしめてしっかりと歩いて生きて行く

 

きっと神様は

 

自分の可能性を信じて疑わず懸命にいきている姿がすきなのだと思う

 

と彼は言った

 

また続けて

 

「結果よりその生き様こそ貴いと思う」

 

と付け加えた

 

その姿勢は昔通った空手道場の師範の姿勢と重なって見えた

 

師範は結果では決して褒めなかった

 

決して「良くやった」とは言わない

 

ただ「頑張ったな」とだけ

 

結果を出せなくても

 

その姿勢をみていたのだと今なら理解できる

 

人はどうしても結果に囚われてしまう

 

本当の奇跡は

 

結果ではなく

 

その人の生きる姿勢から生まれてくる

 

彼の考え方は私の個性に合致していると感じられた

 

「結果ではなく原因を作り出す事に意識を向けた方が良いよ」

 

結果を出すための努力ではなく

 

その結果を生み出す原因を作り出す人になれたなら

 

私は何をすべきかが明確になって行く

 

「結果は後からついて来るものだから」

 

これは考え方というより感覚だと私は直感した

 

元々直感閃きタイプだったけれど

 

思考する習慣を身に付けた私が

 

この感覚を取り戻すことで

 

以前のようなアイデアが溢れて来るようになった

 

この姿勢で歩き続けて行ければ

 

時々立ち止まって振り返ったりすると

 

奇跡だらけだと気が付く( °д°)

 

無条件に「ありがとう」という気持ちで溢れて来るから不思議だ

 

 

 

 

相変わらず私流の歌詞の解釈です(;¬д¬)

 

まる☆