兄から敬語が何故日本でこれだけ発達しているのか考えてみろ

 

と子供の頃に言われて

 

色々と歴史も調べましたが一向に分かりませんでした(=◇=;)

 

私の認識不足でなければ

 

日本以外にも敬語は存在しますが

 

日本以上に敬語が複雑に発達している国は知りません( ̄_ ̄ i) 

 

ただ日本の敬語には厳格な命令が無いところから

 

海外に比べて身分の隔たりが厳密ではなかったようです

 

海外では身分が明確に分かれていて奴隷制度まであり

 

身分の低い人には発言権もないから敬語が発達する必要もなかった

 

身分が厳密である程敬語は発達しない

 

身分が確実に限定されていれば敬語はそれほど必要ではなくなります

 

何故なら

 

身分の低い者の発言権は無いからです

 

ただ命令に従うのみです

 

発言を許された時のみ発言できる

 

それでも発言した場合は処刑される可能性もある(((゜д゜;)))

 

貴族社会のピラミッドにおける敬語は上下関係が殆どなので

 

それほど多彩である必要はありません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

ということは日本は身分はあったにせよ

 

低い身分のものが容易に発言できていたフラットな文化だったことが窺えます

 

また身分も厳密で明確に振り分けられていた訳では無いようです

 

士農工商も身分ではなく横並びの区別である可能性が有力です

 

敬語が発達していたことから奴隷制度がなかった可能性は濃厚です

 

身分が明確ではない縦割り社会は弊害も多いのですが

 

それを回避するためにも敬語は必要になって来ます

 

相手を立てて、自分はへりくだることで人間関係を円滑にしていた可能性は高い

 

つまり縦割りで横との身分は明確では無かったから敬語を発達させることで

 

人間関係を円滑にする目的ではないかという答えに辿り着けます

 

しかし、敬語に対する最近の使い方や目的はそこからずれている様に私には思えます

 

目上の人だから敬語を使う事は敬語の目的の一つです

 

同格でも敬語を巧みに使うことでお互い気分よく関われた

 

ただ目下の者が目上の人に対してだけ使う敬語であれば

 

これほど多彩に発達する必要はなかったと思います

 

昨今は海外のはっきりくっきりした身分制度の価値観の影響で

 

敬語の使い方や目的は大きく変化してしまいました(=◇=;)あせる

 

ビジネスも海外風です、ファミレスなどは外来日本語敬語と私は命名してやりました

 

今はそれが浸透しているというとんでもない事態です(=◇=;)

 

ただでさえ日本語の多彩さを忙殺されているのに

 

思考は言語に影響していますが

 

言語が豊富ならより複雑な発想が生まれます

 

実は日本の言葉は終戦後かなり減らされています

 

本も相当焚書されていて多彩な表現も日の目を見ることはなくなりました

 

言葉を減らされる事で思考の振り幅が狭くなっています

 

更に言葉は禁止されたり減らされ続けています(=◇=;)

 

昭和で改定された、全然の後に否定形のカタチは

 

それまでは否定文でも肯定文でも使われていた

 

全然の後には自由な言葉か綴られる所を

 

これによって否定文しか浮かばなくなる(=◇=;)

 

これは一つの例に過ぎません¢( ・・)ノ゜ポイ

 

思考がうまく機能しなければ洗脳され易くなるのは当然です

 

儒教的な序列や奴隷制度的な身分、昔の日本では嫌厭された人を見下す思想

 

権威主義など様々な価値観に毒された状態では

 

日本の敬語の使われ方も変化してしまう

 

敬語の素晴らしさを知った上で私が何故敬語厳禁で部下や後輩と付き合っているのか

 

本来日本人が毛嫌いしていた価値観が今日本に浸透しつつある昨今では

 

この使われ方の敬語では自分の自尊心より虚栄心や自己顕示を育ててしまいやすい

 

目下のものに敬語を使われなかっただけで腹を立ててしまう程

 

心が縮こまってしまい易くなります(=◇=;)汗

 

私という人間は特にその傾向が強いから

 

それなら敢えて、敬語を使われない環境に身を置くことにしました

 

また、敬語を使われることで自分が偉くなったと勘違いしないためでもあります

 

心理学的にはあまり尊敬していない相手でも敬語で接して行くうちに

 

自分がその人を尊敬しているように錯覚を起こす作用があるようですが

 

敬語を使わなければこの効果は期待できません

 

つまり心理学を使って自分を良く見せようとすることをしない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

敬語を使わなくて部下達に舐められないようにする為には

 

日々自分を磨く必要があります

 

より自分に厳しく自分磨きをする環境に身を置くことで

 

怠け者気質でも嫌でも自分を磨いて実績を示し

 

舐められないようにしなければならない

 

余程の偏見がない限り、この世界は実績がものを言うから

 

言葉や立場ではなく人間力で部下と対峙しょうと考えました

 

これは後輩達に対しても同じです

 

これからは肩書きではなく「人間力」が威力を発揮する時代になって行きます

 

より自分を磨き人間的な魅力のある人に人は集まる

 

権威主義の時代は音を立てて崩れようとしています

 

それにしがみついて生きれば道を誤ることになりかねません

 

時代が変わろうとしているのだから

 

古い価値観にいつまでも囚われず

 

新しい時代に備えて自分を変革させる必要があると考えました

 

後々敬語を生かす時が来るかもしれませんが

 

そのためにも敬語のない付き合い方をすることで

 

自分を磨くことにしました

 

日本の敬語を大切に思うから敬語のない世界に身を置いて生きる

 

偉そうに見えるし嫌われるし舐められやすい

 

ろくなことにはならない┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

ところが数年もすれば、舐められなくなりました

 

元々好き嫌いははっきりと分かれる状態ですが

 

現状変わらなくなりました

 

いま部下達にも敬語厳禁で付き合ってもらっていますが

 

困ったことと言えば、奴らの議論に巻き込まれること位でしょうか

 

少なくとも私は自分が偉くなったと勘違いしなくて済みますヾ(@^(∞)^@)ノ

 

部下たちは人が来た時には敬語を使い私を立ててくれるので

 

私に対してのみ敬語を使わずタメ口で付き合ってくれているようです

 

このように経歴でも権威でも立場でも無く私という存在で生きて行く

 

人間同士の付き合いを重視する

 

それは相手に対してもそのように接しています

 

例えば、デパートで店員に何かを聞いた場合

 

その人の名札からその人の名前で感謝を言います

 

タクシーに乗れば乗務員の名前で話したり

 

得意先や子会社の社員の人も名前で呼び合います

 

掃除に来ている人にも名前で呼び合ったり

 

会社の警備員にも名前でやりとりしています

 

必然的に私の名前はかなり普及します(=◇=;)汗

 

〇〇会社の社員という自覚しかなければ上部だけの付き合いになり易い

 

お互いに名前で呼び合えば

 

私は〇〇会社の〇〇氏と交渉していると自覚します

 

その人も〇〇会社を背負って自分はここへ来ていると自覚してくれます

 

名前を呼ばれて嬉しく感じる人と嫌な人もいます(;¬д¬)

 

何故嫌がるのか考察みてください(Φ▽Φ)♪

 

例えその日限りで後々会うことの無い人でも

 

その人と対峙します(ΦωΦ)

 

タクシーを乗る時、たまたまかなり前に乗ったことのあるタクシー乗務員だった場合

 

タクシーメモを纏めた手帳を見て思い出して会話に花が咲いたりすることもあります

 

勿論なんのメリットもありませんが

 

人間同士の付き合いを楽しくする練習にはなれます

 

と言ってもこれは私の個性に合ったやり方なので

 

個性によっては害になります

 

Σ( ̄ロ ̄lll)なんの話やあせる

 

後々一転して敬語を重視するようになるかもしれませんが

 

今は自分を磨く時期なので、これに付き合って貰うことにしました

 

師匠の様な元上司は敬語を重視していましたけどね(;¬д¬)

 

日々自分の発する言葉は自分の脳や心に影響を与えるという考え方のようです

 

だからプラス思考の言葉も重視していました

 

日本の言霊重視の思想も付加されているのでしょう

 

私は現代語は古代日本語の発音ほど言霊の力は強くないと見ています

 

また呼吸法や魂を込めなければ言霊は発動しない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

これだけ言霊の力を弱められた言葉に変えられている以上

 

言葉の力よりもイメージの力の方が強くなっている可能性は非常に高いのです

 

だからもし気を付けるとすれば

 

言葉ではなくイメージを前向きにする方が効果的だと思います

 

プラス思考の言葉をどんなに使おうと頭のイメージがマイナス思考では

 

プラスの結果を生み出せない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

まだ紙に文字を書いて、それを見ながら音読する方が効果的です

 

発音には呼吸法と魂を込めては必須ですが

 

空手道場に通っていた時師範がいっていました

 

ダラダラと百回突きや蹴りをするよりも

 

たった十回でも全身全霊で行えば、そちらの方が磨かれる

 

これは他の事でも同じだと思います

 

時間ではなく効果を重視して修練を積んだ方が上達し易い

 

敬語厳禁という遠回りを敢えてしていますが

 

この遠回りは決して無駄ではないと信じています

 

敬語厳禁にしていますが

 

私は日本の敬語を調べる程に

 

その美しさや優雅さを感じてスッカリ好きになりました

 

後々一転して敬語を重視する時が来る可能性は高いのですが

 

物事を一足飛びに実行すれば無理が来ます

 

物事は段階を踏まえてステップアップしながら実現して行くのがベストです

 

段階を蔑(ないがし)ろにしては上手く行かないことの方が多いのです

 

中には段階をすっ飛ばして出来てしまう人もいますが

 

それはそのことに対する適性の問題、地固めが出来ている可能性

 

才能や予めの基礎訓練を他の事で果たしている可能性

 

遊びが基礎訓練になっていたと言うこともあります

 

殆どの場合は段階を踏まえる必要があります

 

私は今は敬語厳禁の段階なのだと自覚しています

 

また虚栄心や自己顕示が強い個性でもあるので心が育つまでは

 

敬語で付き合ってもらうことは避けたいのです( ̄‥ ̄)=3 フン

 

 

因みに、言霊と関係したことで

 

呪詛や呪いを活用した民族や国は滅んでいます(=◇=;)

 

辛うじて生き延びている民族もいるでしょうけれど

 

何故そうなるのかは、人を呪わば穴二つという言葉にヒントがあります

 

これを実行した人に救いはありません

 

恐らく自分も地獄へ行くことを覚悟の上で呪いをかけるのでしょう

 

例え相手が神様を冒涜したり人を何千人殺した極悪人だったとしても

 

その相手を呪うものは、その相手と同じ地獄へ行くことになります

 

正義の実行として機能していたとしても

 

その人は自分の魂を犠牲にして相手を呪うことになります

 

人間が人間を成敗する場合は自分の命を代償に捧げていることを自覚しないと

 

何故自分は地獄へいるのかも知らないままです(=◇=;)

 

これを回避する道は無いから本当に覚悟が必要です

 

悪人を成敗するよりも、善良な人を生かす道を歩いた方が世の中の為になります

 

また成敗ではなく悪人を善人に変える道をあるければ最高ですが

 

誰にでも出来ることではありません(=◇=;)

 

散々っぱら、やられたらやり返す主義だった私は、こっぴどい目に遭いながら

 

学習しましたヽ(;´ω`)ノあせる

 

成敗には自分の未来(あの世の幸せも含む)を代償に捧げる必要があります

 

人を生かす道は険しいですが、自分と相手の未来は明るい\(*´▽`*)/

 

しかし、外敵から自分や家族、大切なもの、自分の国を守ることは別です

 

これは成敗とは意味合いが変わります

 

まる☆の思いっきり脱線して怪しげな話で終わった疑惑ブログΣ\( ̄ー ̄;)だめだろあせる