親戚付き合いはあまりしていません¢( ・・)ノ゜ポイ

 

ひょんなことから、一部の親戚と交流することになっていますが

 

中でも私にかなり似ているという娘を持つ親戚の人の家には時々呼ばれます

 

コロナ渦から足が向かなくなっていましたが

 

久々に呼ばれ連休に行って来ました

 

その子と会うのは何年振りでしょうか

 

前は小学生になる前だったような

 

子供の成長を見れば月日が経つのが早いと感じますよね

 

私と同じニックネームでまると呼ばれているのですが

 

久々に彼女と会うと当時の記憶より大きくなっていましたエッ∑(`・д・´ノ)ノ

 

小学生になったのだねΣ( ̄‥ ̄;)

 

相変わらずの無愛想っぷりで

 

私をチラリとみると「来たのか」程度の表情を見せて「いらっしゃい」とだけ

 

「この子まるちゃんに似ているのだけれど、ちょっと付き合い方が独特で暗めというか、まるちゃんみたいに能天気なところも似てくれたらなぁ」

 

「誰が能天気や」ヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

断じて私は能天気などではない( ̄‥ ̄)=3 フン

 

まるの母である私の親戚は何故か笑いやがった( °д°)

 

確かに見れば私の子供の頃に顔は似ている気がする( ̄‥ ̄;)

 

「久しぶりだね」

 

「お気遣いなく」

 

見透かされている感覚は思い過ごしではない(;¬д¬)汗

 

この子は感覚が鋭敏で大人だからと言って甘えることも尊敬することもない

 

その人を冷静に観察している所は確かに私に似ている

 

これは気が抜けない

 

私が小学生の頃を考えれば油断ならない相手だ

 

子供だからと舐めて掛かれば馬鹿にして子供らしいフリをするだろう

 

しかしそれは相手にされていないのと同じで

 

二度と心を開く事はないだろう( ̄_ ̄ i) 

 

私ってマジで難しい人間だったかも知れない(;¬д¬)汗

 

間違いなく彼女は私を試している

 

私は何故か愉快な気持ちになった

 

「まるはこの先何を目指す?」

 

唐突に聞くのが良い、突然想定外の質問は理論武装を崩す常套手段だ

 

ところが敵もさるもの引っ掻くもので返答は想定外だった

 

「終活」

 

Σ(@@;)あせる

 

小学生低学年の女の子が終活( ̄▽ ̄;)汗

 

私が驚いてつい口から出てしまうと

 

彼女はニヤリと笑い人差し指を立てて左右に振りながら「チッチッチッ」

 

「まるちゃんはわかってないなぁ」

 

こいつは私と弟を足して2で割った感じだ<(ФεФ;)>

 

「昨今は日本も荒れているこの先何があるかわからないでしょ大人も政治家も頼りないし」

 

この発想は私の家族とかなり近い

 

実の所私も兄弟たちと話し合い

 

それぞれ死後の段取りを済ませて

 

誰が先に亡くなっても残った兄弟が手はずを整えることにしている

 

弟はそうでもないようだけれど

 

兄と私はあまりこの世に執着していない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

どうやらこの子もこの世にそれほど執着していない様子だΣ(@@;)

 

それなら、この質問はどうだろうか

 

「ねぇまるは神様はいると思う?」

 

彼女が弟に似ているのであれば

 

弟は父と同じく神様の存在は信じていない

 

「いるよ」

 

当たり前のことを何故聞くといった感触だった

 

この感覚は私に似ている(ΦωΦ)

 

「でもね、神様が居ることを信じていても天国へは行けないよ」

 

「それはどうして?」

 

「だってまるの知っている神様は優しくて厳しい方だから」

 

「ただ存在を信じているだけなら、信じていない人と変わらない」

 

私が投げかけると

 

「信じていてもいなくても、神様が見ているのは、その人の心と行いだから」

 

これは私と同じ考えだ

 

宗教を信じようと信じまいと

 

神様の存在を信じようと信じまいと

 

それによって、救われたり地獄へ行くことは無いと見ています

 

神様が何を問うかと言えば

 

お前は何をして来たのか

 

どのような心の遣い方で生きて来たのか

 

どの様な気持ちで何を目的にどんなことをして来たのか

 

ただ信じていれば救われるということはない厳しさと

 

例え神様の存在を信じていなくても

 

善良に生きて来た人は等しく善良な恩恵を与えてくれる

 

仮に神様の存在を知り信じていたとしても

 

私の日常の中でどのような心の遣い方をして

 

何を日々成し遂げているのかを問われている

 

これはとても厳しい(=◇=;)

 

誰かを批判する心が芽生え裁いてばかりの人生なら

 

どんなに神様が大好きで信じていても地獄行き(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

お前は私を信じてくれているからどんなに悪事を働いても

 

天国へ向かえてあげるなんて理不尽な存在ではない

 

逆に神様なんていないと思い込んでいる人であっても

 

善良な生き方をしているの限り地獄へ行くことは無い

 

とても優しい側面をもっている

 

彼女もそのことを感じ取っているのだと

 

彼女の返答で感覚的に理解しました

 

神様の厳しさは法則を観察し分析してみ見えてきます

 

どんなに善行を積みどんなに世の中で貢献してきたとしても

 

その傍らで悪事を働いた場合

 

大目に見てもらえない

 

人情的にはこれだけみんなの為に貢献してきたのだから

 

これくらいの悪さは許されるという程生易しいものではない

 

これは小さなものでも許せば

 

ジャニー氏も芸能界に貢献したのだからと擁護する人もいるようですが

 

善い行いをして善良に生きて世の中に貢献していれば

 

悪さしても良いという法則が成り立ってしまいます(=◇=;)

 

多くの人の為に貢献してきたのだから

 

気に入らない相手の一人や二人どんなに傷つけても構わないのだ

 

という甘えは通用しない(=◇=;)

 

ジャニー氏の話になったので

 

ついでに言うと

 

色を好む英雄は破滅している

 

世の中に貢献して来た英雄は色を好むという刷り込みがありますが

 

色を好む英雄がその後どうなったかは決して話さない

 

色を好む英雄はダメになる(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

地獄行きか天国かは神様が決めるというより

 

自分の生き様で決まると考えた方が良いと私はこの考えで自分を自戒しています

 

そしてこの子は

 

小学生でそのことを感覚的に理解している

 

この子の「終活」という言葉は

 

人間は何れ死ぬことを考えれば生きている間はすべての自分の生き様は

 

終活と同義になります

 

私がそれを噛み砕いて彼女へ投げかけると

 

「そうだけど」

 

そんな当たり前のことを何故いまさら言うの?

 

と言った顔で答えました(;¬д¬)

 

「楽しい終活になれると良いね」

 

「うん」

 

始めて笑顔を見せてくれました( ̄▽ ̄;)

 

私と類似したこの子もきっと

 

無意識に大自然の木々や植物たち、生物たちに話しかけたり

 

気持ちを感じ取ったり

 

それと同じように自然に神様の存在を感じていて

 

無意識にその神様に話しかけたりしているのでしょう

 

そして時々神様から答えが返って来る

 

その答えも私のメンタルが低い状態の場合は

 

神様のフリをした邪気が嘘を聞かせることもある

 

これは兄の実験によって思考する能力を身に着けてから気が付いたことですが

 

何から何まで神様の声ではない

 

時々神様のフリをした邪気がイタズラのように嘘を聞かせて来る

 

ところが、その判別は難しい

 

何故ならそんな声を聞いているときの私はメンタルが不調な場合です

 

冷静な判断が出来ていない

 

しかも不調である自覚が無い場合は間違った考えに走ってしまう(=◇=;)

 

所が理論的に考えてみれば明らかに矛盾するわけで

 

私は私のうちから聞こえて来る声ですら鵜呑みには出来ないのです

 

だから例え神様の声と思われる閃きでも

 

自分が咀嚼して納得できなければしない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

こんなことを言えば神様のお考えは人間には理解できる筈はない

 

と指摘されたりもしますが

 

その通りではありますが

 

神様はその人が理解出来ないようなことはさせない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

これはその人が乗り越えられない試練を与えないのと同じです

 

それに神様だって

 

言われたことを言われたままわけもわからずしているロボットのような人より

 

キチンとどういう理由で何をしようとされているのか理解して

 

自分の意志で行う人どちらを望まれているか考えれば

 

理解できるように自分を鍛えなければならないと気が付くと思います

 

マルチンルターが宗教改革をしてプロテスタントが生まれたのも

 

何も考えず教義を鵜呑みにしているカソリックの姿に疑問を抱いたから

 

異端と言われようと自分が信じたことを実行していた

 

神様の言われるままのロボットであっては神様が可哀そうだと思えて来て

 

だから私は理解できることは出来るだけ理解するように頑張ることにしました

 

とは言え、人間の個性に対して神様は千手観音のように

 

その人に合わせて付き合ってくれている

 

信心深い人にはそのように、神様など信じない人にはその人なりに

 

理解できなくても行う人、理解しなければ何も出来ない人

 

クールな人、情緒的な人、のんびりした人、せっかちな人

 

その人の個性に合わせた付き合い方をしています

 

私の個性ではこのように接しているだけかも知れませんが( ̄▽ ̄;)

 

この子はやはり私に類似したタイプのようですΣ(@@;)

 

「まるちゃんは少しは頭が回るようだね」(`・ω・´)b

 

この偉そうな対応は私に似ているのか、それとも弟に似ているのかむかっ

 

「それはどうも、ご指導ありがとうございました」(o*。_。)oペコッ

 

私が小学生の子供に教え諭され頭を下げている現場に丁度現れた

 

彼女の母はこの光景を見て笑い転げやがりましたヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

例え小学生の言葉でも、そこから何かを学べた場合は

 

頭を下げて感謝を示すのは当然のことだと思うのですが

 

新入社員や後輩たち、部下からも教えられることは多いのです

 

近所のガキんちょたちからも

 

驚くような気づきのヒントを与えられたりします

 

子供だからと舐めてかからない方が良さそうです( ̄▽ ̄;)

 

その心構えを見失わないためにも

 

近所のガキんちょたちにも敬語厳禁でタメ口で付き合って貰っています

 

では

 

この子のように自分に類似したタイプの子からは

 

何も学ぶことは無いのかといえばそうではありません¢( ・・)ノ゜ポイ

 

こういう人と出会えた場合は非常にラッキーなのです

 

外側から自分を観察する機会を与えられたわけで

 

より自分を客観的に分析できるチャンスだから

 

余り人には話さない私の内面を垣間見るチャンスを生かして

 

自己分析してみるのには非常に有難い相手だと私は見ています

 

実際この子から自分の生きる姿勢を再認識させられて

 

初心に帰ることができました\(*´▽`*)/

 

まる☆の怪しげな宗教的な記事になってしまった怪しいブログ(;¬_¬) ダメだあせる