考え方の違いによって
違う意見が生まれることは良くある
それだけでなく
感覚の違いが様々な影響を与えている場合もある
例えば、同じ出来事に遭遇しても
それに対してどう感じるかは人それぞれ違う
私が笑い転げる出来事に対して腹を立てている子もいた
またその逆もあるΣ(¯∇¯;)!!
考え方の違いから受け止め方も変わるという場合もあるが
咄嗟な判断だけにフォーカスしてみれば感覚の違いである可能性は高くなる
とは言え咄嗟な反応だけでは、その人の本当の感受性とは判断できない場合もある
思想や思い込み、考え方が感受性に影響する可能性にフォーカスしてみると
同じ景色を見ているのに、一人は哀愁を感じて
もう一人は陽気な気持ちになっているΣ( ̄‥ ̄;)
これは瞬間の感覚だから双方の感受性の違いと受け止められるのだが
果たしてそれだけだろうか?
私の体験でしかないが、中学生の頃
桜が舞い散る姿を見た時
儚さを感じる子が意外と多くて驚いたのを覚えている
私は桜が散る姿に儚さを感じたことは一度もない
どちらかというと華やかで、とても陽気なイメージだ:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜:。+゜
しかし、その感想を言うとほとんどの子は首を傾げる(;¬д¬)
何故桜の花びらが舞い散る姿に儚さを感じる人が多いのだろうか
もっと多彩に色々な感受性があって良いと思うのだが
少なくとも私の感覚に共感する子は一人もいなかった(=◇=;)
ふと理由を分析してみたくなる
そのまま調べてみると
何か意図的に刷り込まれている痕跡が見え隠れしていた
桜の花びらが舞い落ちる姿に儚さを感じるような物語と重ねたり
そのように感じさせる歌が相当あるのだΣ(・ω・ノ)ノ!
桜の花びらが舞い落ちる様を儚いイメージでなければならない
そんな人たちが存在しているのだろうか∑(-x-;)
このように、一つの感受性を植え付ける傾向は他にも多数見つけられる
実家に出戻りしてから人に絡まれやすい体質に変化しても
私のこのような感受性で共感を得たことはない(;¬д¬)
それでも学校に通っている間はそれほど困らなかった
ウケ狙いのギャグだと勘違いされてきたからだが
社会人になってからは困ることが多くなってきた(=◇=;)
子供の頃学校では問題になっても死活問題にはならない
せいぜい孤立する程度のことで
孤立することには慣れているからそれほど苦にはならない¢( ・・)ノ゜ポイ
しかし、社会人なると仕事に差し支えることもある
会社でも私に対して好き嫌いがハッキリ分かれてしまい
それだけなら嫌がらせによる仕事の支障程度で済むから
なんとか対応できていた、どこの世界にも黒い人間はいるものだ
好き嫌いと善悪を混同してしまう人が多いのかも知れない(;¬д¬)
また相性の悪い人もいて意見を戦わせる場面も多いが
この場合新しい発見も生まれるから悪いことばかりではない¢( ・・)ノ゜ポイ
しかし嫌がらせというのはマイナスにしか作用しない
私は条件反射的に仕返しをしてしまうから
割に合わない恨みを買うことになってしまう
それでも反射神経で対処することができるから問題ないのだが
会社運営に関わる立場になると
会議を真っ二つにして議論させてしまうことが増えてきた(=◇=;)
そういえば、人に絡まれやすい体質に変化してからは
クラスを真っ二つに分けてしまうことが多くなった
それまでは一対多数という図式がデフォルトだったのだが
怪物級の真っ黒い女子の置き土産のせいで
人に好かれることが増えてきたからだろう
私は生涯忘れることができない敗北感を彼女に植え付けられた(=◇=;)
敗北感は彼女だけではない
実家に生還してからの私は敗北だらけで
常に劣等感を家族に感じていた
兄の頭の良さは雲の上の存在と感じる程で
この人には一生勝てないと本能的に感じた・・・(。_。;)゜:。アセ
弟の頭の良さは、一度記憶したことは忘れない特殊な記憶力も凄いが
奴の頭良さは人間関係を自在に操る能力だ
そういう意味では弟は怪物級の真っ黒い女子と同類と見て間違いないだろう
しかし今考えてみても理解できないのは
怪物級の真っ黒い女子は私にやり込められ、窮地にたち孤立させられた
私に対して恨み骨髄になる筈なのだが
彼女はそのことに対して少しも恨んでいない様子だった
それどころか陰で私を褒めちぎり私の悪印象を払拭していた
彼女の恐るべき洗脳技術を持ってすれば
私をもう一度孤立させることも出来た筈だが
何故か彼女はそれを選択しなかったようだΣ( ̄‥ ̄;)
それどころか私が転校してからも
クラスメートたちが私に対して好印象を抱くように印象操作していた
私が転校すれば関係ない話なのに
しかも驚くことに
その学校へ出戻りしてから知ったのだが
彼女が転校するまで私に対する悪印象払拭を続けていたようだΣ(¯∇¯;)!!
定期的に私の思い出話を持ちかけ、みんなが懐かしむように心理操作していた
出戻りしてから学校のみんなの対応が激変していて驚いて理由を追求してゆくうちに
彼女のその足跡に辿り着いたΣ(¯∇¯;)!!
勿論生理的に私が嫌いな子や相性の悪い子は継続して私のことが嫌いだが
それで好き嫌いがはっきり分かれるようになった
嫌い一色だった頃に比べれば少しは生きやすい状況だ
彼女はサイコパスに違いないと思うが
何故自分にとって何の特にもならないことをしたのだろうか
サイコパスにとって自分の利益以外興味は無いはずだ
どんなに考えても私の為に尽力することでの彼女の利益が見つからない
ともあれ彼女の恐るべきところは
私は未だ彼女に好意を感じていることだ( ̄_ ̄ i)
奴めそんな私の感情を予測して、したり顔で転校して行ったに違いない
或いは、このようにクラスを二分する状況になることもお見通しだった
とも考えられる
弟の見解は少し違っていた
元々私はクラスを二分する個性の持ち主だったというのだ
「まるはかなり個性がキツイからな、当然好き嫌いに分かれる方が自然だ、また感受性と考え方も独特過ぎて惹かれる人もいるが拒絶されることも多いだろう、必然的に反対派と賛成派に分かれる、それを自覚した方が良いぞ」
それにと言いかけてやめた
珍しく弟が戸惑っている感じだ
「言えよ、何を伝えあぐねているんだ」( ̄‥ ̄)=3 フン
「まるは頭が悪い」
ヾ(。`Д´。)ノ奴が戸惑った理由はこれか
「頭の良し悪しには種類がある、知識の豊富さや勉強の良し悪しとは別に知恵の豊さ、嘘の上手い奴、まるの言う真っ黒い女子のような心理操作に長けている奴も頭が良い、コミュニケーション能力も頭の良さがなければ上手く使いこなせないだろうからな」
弟が言うには
私はコミュニケーション能力の適性は持っているのだが
頭が悪くてそれを使いこなせていないらしい
あくまで弟の判断だが(;¬д¬)
友人たちも私のコミュニケーション能力の有無で意見が分かれている
クールな友人は笑い転げて話に参加しなかった(((((・_・;)
なんとなくだけど彼女は明確な答えを知っている気がする
弟の見解の続きだが
私にはある種の恐さを抱かせるところがあるようだ
人の心を見抜いてしまう性質を本能的、直感的に持っていて
それだけでなく洞察力も身につけている
「直感力で大凡見抜いている上に洞察力もずば抜けていて、ちょっとした所作や言葉で相手の心理の奥の気持ちを見抜いてしまう、勘の良い人間なら自分の隠しているものを簡単に見抜く相手は警戒するし、近づきたくもないだろう」
それを他の人に感じさせる時点で
私は頭が悪過ぎで話にならないらしいヾ(。`Д´。)ノ
結局自分の特性を上手く生かせていないのだそうだ
「頭の悪い奴ほど、自分の頭の良さを相手に感じさせてしまう」
これは弟の持論で奴は詭弁哲学の天才だから
どこまでも疑わしいが(;¬д¬)
時々心に残る言葉が口から出てくる
弟は自分の頭の良さを「ひけらかす」とは言っていない
感じさせると言うのは本人の意思でそうしているわけではないようだ
能ある鷹は爪を隠すという諺が生まれた理由も
戦略的にという意味ではなく
人に自分の頭の良さを感じさせない方が人間関係は上手く行く
生きやすい生き方の知恵かも知れないと私はその時そんな考えが脳裏に浮かんだ
少なくとも弟はそれを実践している
奴はテストの点数は高得点だがスバ抜けてはいない
これがもしわざと平均点以上で目立たない点数を出しているとすれば
そんな可能性が浮かんでしまえば
つい奴に鎌をかけてしまう
「それで本当は満点を取れるのに、取らないのか」
「学年トップなんて面倒臭いのは御免だ、高得点でもずば抜けていないというのが一番目立たない、それより悪くても良くても意外と目立つものだから」
図星だった(°□°;)背筋に冷たいものを感じた
しかもしれっと俺が頑張れば学年トップになれると思っている
ただ奴ならあり得ると思えるから背筋が凍りそうになる(((゜д゜;)))
そんな弟が兄を恐れているから、兄はそれ以上に頭が良いのだろう
こんな奴らが兄と弟なのだ
私が妬みや嫉妬、劣等感の塊になるのもわかって貰えると思う
兄のように突き抜ければ市民権を得たり
弟のように適当な雰囲気で頭の良さを隠している生き方も有利だと知った
この場合バカにする奴らも現れるが
弟はそういう奴らに舐められない算段もしている
圧力をかけるような真似はしない
そう言う奴を仲間に引き込むほどの洗脳技術を持っていた
私にはとても真似できない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
「そういうことは面倒臭く感じないんだ」
私は弟にツッコミを入れた
「そんな奴らをつけあがらせればもっと面倒臭いことになるだろ、絡んでくる奴らをまるのようにいちいち叩き潰していたらモグラ叩きゲームで一生を終わることになる、その面倒臭さと奴らを懐柔する面倒臭さどちらが面倒か考えれば明白だ」
「それで懐柔できない場合はどうするんだ」
「さぁその時は退場してもらうだけだ」
「精神的に追い詰めて学校から追い出すつもりか」ヾ(。`Д´。)ノ
「別にこの世から退場して貰っても良いぞ、そういう奴は意外と孤立することに弱いからな」
私は一瞬背筋を凍られた(((゜д゜;)))
「冗談だ」
( ̄ー ̄)
Σ( ̄ロ ̄lll)なんの話や
話がかなり横道に逸れたので戻そう(=◇=;)
感受性、感覚は人それぞれ違うもので
類似した考え方をしていたとしても
この違いによって物事の受け止め方や捉え方はかなり違ってくる
考え方は似ているのに時々話が食い違う相手と遭遇する理由の一つはこれかも知れない
感受性、感覚はその人に大きな影響を与える
ところが、それとは別にその人の人間性、心だけでなく感受性、感覚にすら影響する
もう一つの可能性があることに行き当たる
それが「思想」だ
その人の思想はその人の性質すら歪めてしまうほど大きな影響力を持っている
それが植え付けられたものなら、実に恐ろしいことだw(¯△¯;)w
私たちが当たり前に思っている常識の中にも刷り込まれたものが存在するかも知れない
だから私は違う可能性に意識を向けることにした
部下たちは「まるちゃんは考え過ぎだ」と見ているようだが(;¬д¬)
余程違う可能性を見つけ出す訓練をしないと
刷り込まれた価値観に呑み込まれてしまう可能性が高い
特に注視しているのは
ほとんどの人が同じ方向を見ている場合
また、同じような感想を持っている場合
さらに、殆どの人が同じような考え方をしている場合は要注意だ
自然発生的にそうなったのか
それとも意図的に誰かによってそのように仕向けられているのか
分析する必要がある
今にして思えば子供の頃にぼっちになれたことは幸運だったかも知れない
クラスの奴らを俯瞰で客観的に観察する習慣がついたからだ
勿論、目的は復讐心だったが
冷静に観察する必要があった
子供の頃からそういう習慣が身についたおかげで
人に絡まれ易い体質になっても、常に俯瞰で観察する癖は発動している
どんな事態に陥っても、どこからどんな攻撃をされても対処するために
私は常に注意深く周りの動き、所作を観察する癖がついている
副産物として咄嗟の突っ込みに対応して
即座に返すことができるようになった(=◇=;)
このような習慣が身について自然に俯瞰で観察できるようになると
学校でも一つの価値観の植え付けが行われていることに気がつく
その先生の価値観かも知れないが
クラスメートたちの殆どが呑み込まれている状態でも
私だけはこのクラスを俯瞰で客観的に見ている私を感じながら
先生の洗脳を観察していることは多かった
私の性質上自分の考えが正しいのか試さずにはいられない
そこで
そういう授業の後はその先生に
「上手いね、価値観の植え付け」
なんて仄めかした
その先生の反応を見て判断することにしたのだ
顔色を変えたり、怒り出したり、はぐらかしたり
先生によって違うが意図的にしている感触を得ることが多かった
後々テレビ番組やドラマ、映画、漫画やアニメなどでも
刷り込みや印象操作が組み込まれていることに気がつく
昭和のドラマでは
売り込みたい商品をトレンディドラマと呼ばれた映像の中に盛り込み
主人公たちに着せたり使われたりしている
舞台設定にも印象操作は使われている
売り込みたい商品をさりげなく設置していたり
この当時は恐らく印象操作の実験をしていたのではないだろうか
洒落た台詞回しから価値観を刷り込んだりもしている
才能を感じる脚本家のドラマのセリフでは自然なセリフの中で
特定の価値観を植え付けるシーンが時々見え隠れしている
それを見つけることを楽しみにドラマやアニメを見ている時期もあった
元々は表現力を学習するつもりで研究していたのだが
子供の頃感じた刷り込みや印象操作と類似した感触があったから
自然とそういうものを探すようになった
しかし純粋に映画などを楽しめない(=◇=;)
ただ個性豊かなキャラたちなのに何故かその部分では同じところを見ていたり
同じようなところでつまづいたり傷ついたりしていて不自然に感じる
一つの価値観を植え付けているのを感じると少し興醒めしまう(;¬д¬)
最近では、本来違和感を覚える考え方を刷り込むセリフや独白でも
雰囲気のあるシーンの映像と音楽に呑み込まれるカタチで
疑問を抱かせないように誘導する手の込んだドラマも時々みかける
否定され続け傷ついて来たと話しているのに
何故人の考えをさらりと否定していたり印象付けるのか
私には違和感だらけでも
音楽と映像の凝ったシーンや洒落た会話で絡むシーンを付加することで
その違和感を払拭しながら物語を進めていたりする
巧妙な表現力だと感心することもあるほど洗脳技術は進んでいる
とは言え冷静にまた客観的に分析すれば矛盾だらけなのだが
そんな疑問の声はあまりレビューでも見つけられない(=◇=;)
これは映画やドラマだけに限ったことではない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
日常生活の中で、街の中で自然に目に入るものでも印象操作はある
探してみると面白い
少し興味深い動きを最近感じた
駅など公共のエスカレーターで「これは上り専用です」とか
トイレの前に立つと、こちらはトイレですとアナウンスが響く
至れり尽くせりのように見えるが、こんな過保護をしていると
国民はますすま自分の頭で考えなくなってしまう(=◇=;)
国民が自分の頭で考えないように仕向けているのではないかと邪推してしまう程だ
障害者の為にしているのだとしたら
もう一工夫すればもっと効率的な発想が浮かぶと思うのだが
もし真剣に取り組むなら、そちらの技術も発達させることができるのに
言葉ではなく音や光、その光の色合いなどで
トイレの所在やエレベーターの上り下り専用レーンを識別させることも可能だろう
これが一般化してほとんどの人が認知することができれば
日本人のみならず海外の人でも認識できる可能性が生まれる
しかし、今までの発想からだと日本語だけでなく多国語でアナウンスする
という非合理な発展しかしないように思えてならない(=◇=;)
光の色や音を一つのイベントに刷り込むことで
障害者、健常者だけでなく日本人と海外の人に関わらず
その色や音でその場所を認識するシステムを作ることで
最初に刷り込む必要はあるけれど、言葉で説明するよりも早く認識しやすい
迷う人が少なくなる可能性も生まれる
だが、光と色が人の心理に影響する可能性を示す論文もある
音の周波数によっては心や身体に影響する可能性も見つけられているが
何れも決定的な根拠はまだ証明されていない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
しかし可能性はある
当然不具合も問題も起きるだろう
混乱する人も出てくる
何か新しいことを始めるからには必ずリスクは生まれる
本当の知恵は新しいことを生み出す発想だけではなく
そこから生まれる問題を解決することにこそ真価があると私はみている
会議でもリスクを見つけ出す努力をする人は多いのだが
その問題を解決することに頭を使う人は少ない(=◇=;)
頭の使い方は自分の人生を豊かにするのに重要な案件だと思う
Σ( ̄ロ ̄lll)なんの話や
懐疑的にこの世にあるあらゆるものを観察してみれば
面白いことに気がつくことは多いと思う
注意深く観察してみれば
こんなところにも、こんな工夫がという楽しみも見えてくるから面白い
また自分の感性では見えないことでも
自分とは違う感受性、感覚を持っている人が見えている世界に耳を傾けてみると
今まで自分が目に入っている光景とは違う世界を垣間見れる可能性もあるから
私はそんなことを気づかせてくれるプログは毎回楽しみに足を運ばせている
高校生の時にはそういう人を選んで絡んでいたお陰で
そのことに気がついた
会社でも自分とは違うロジックで仕事をしている人や
違う感受性の人と絡むことを楽しんでいる°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
他の人とは違う自分の感受性や感覚を
人とは違うという理由で否定するのではなく大切にして欲しいと思う
実はそれが心強い武器になる(Φ▽Φ)♪
ただそれが外界から刷り込まれた価値観によって歪められた感受性や感覚なのか
一度は向き合ってみる必要はあると思う
まる☆の結局何の話や迷宮ブログΣ\( ̄ー ̄)それ一番ダメな記事だ