私は漫画家を目指していたが

 

漫画家になることを目標としていなかった¢( ・・)ノ゜ポイ

 

私にとって漫画家は目標ではなく手段と考えていて

 

伝えたいことが多すぎてそれを伝える一つの手段として

 

漫画家を目指していた

 

ところが

 

キャラが暴走することで悪戦苦闘するようになり

 

テーマや伝えたいことがキャラに潰されたりすることもあり

 

気が付くとキャラに教えられることも増えて来た( °д°)←作者としてどうよこれ

 

小説も同じでキャラたちは生きていると感じ始めた

 

しかしそのキャラたちは私の描くこの世界の中でしか生きられない

 

そう思うと無下にキャラたちの主張を捻じ曲げてまで

 

自分の伝えたいことを優先する気にはなれない

 

出来る限りキャラたちの意思を尊重したいと思うようになった

 

もちろん、その中で伝えたいことを描いて行ける道もある筈だ

 

例えプロットを何度書き直そうとキャラがそうしたいなら私はそれを優先させる

 

こうなると物語が空中分解する或いは破綻する可能性は跳ね上がる(=◇=;)

 

支離滅裂になるかもしれない

 

そうならないように悪戦苦闘するようになった

 

不思議なことにそれがまた楽しいヾ(@^(∞)^@)ノ

 

私は手段の為に目的を忘れる悪癖がある・・・(。_。;)゜:。アセ 

 

そこで最も伝えたいことは

 

天才の真逆の存在が凡人ではないということ

 

私は天才の真逆の存在はマルチ人間、カリスマだと見ている

 

これは記事で何度も書いて来たことだが

 

ひとつを突起させるために他を犠牲にしている天才に対して

 

あるゆる方面で努力さえすれば何でも平均点以上を発揮できるマルチ人間は

 

様々な方面で努力して磨けばカリスマとなれる

 

多角的な視野で物事を分析して判断する性質は

 

一点突破して物事の本質を貫ける天才とは真逆で

 

しかも、真逆だから相殺し合う関係にも補い合える関係にもなれる

 

凡人とは何の才能もない劣性だと捉えられてきた

 

しかし私は才能がないのではなく、才能を作り出せる存在だと見ている

 

才能を新たに作り出し開花させる個性だから特定な才能を持っていない

 

何もない所から一から作るのだから当然時間がかかり大器晩成になってしまうが

 

これになると決めれば、どんなものにもなれるそんな可能性を凡人は持っている

 

この世界は優劣というスケールで人を計ってきた

 

しかしそれは今の時点を切り取った判断でしかない

 

凡人と呼ばれる才能が見えない人というのは

 

実はどんな才能も作り出せる可能性を持って生まれてきている

 

一から作る存在だから最初は誰よりも劣って見える

 

天才はそれをするために生まれて来たから選択肢は一つしかない

 

天才と真逆の存在に至っては何者にもなれない

 

つまり天才と同じで選択肢はないとみて間違いないだろう

 

才能を持った人はその才能に方向づけられてしまい易い

 

凡人だけが、なんにでもなれる無限の可能性を持っている

 

全ての人生をトータルで見れば優劣なんて存在しない

 

あるのはただ種類の違いだけだと捉えれば

 

特別でない人は一人も居ない

 

誰もがみんな唯一無二の存在だということ

 

つまり大切ではない人は一人も居ない

 

もし優劣が生まれるとすれば

 

それはその人の生き方に起因する

 

賢明に生きていることが前提だから

 

例え天才でもそれは変わらない

 

天才は努力しなくても出来る存在だと勘違いされているけれど

 

努力せずに誰も何事も成し遂げられないのはこの世界の法則だから

 

天才も努力しているのだが

 

天才の努力は一般的なものではないから

 

まるでしていないように見える

 

子供がゲームに夢中になり時間を忘れて一日中やり続けている状態こそ

 

天才と呼ばれる人たちの努力で遊んでいることと区別がつかない

 

食事をしていても、洗濯をしていても

 

散歩していてもすべては作品作りのヒントになる

 

無意識に四六時中作品のヒントを探して頭の中で努力しているのだが

 

本人に自覚がないから努力していないと本人すら勘違いしている有様だろう

 

種類の違う努力をそれぞれしている

 

天才と真逆な存在であるマルチ人間がカリスマとなるためには

 

様々なことに手を出して、手あたり次第やり続けることで

 

多角的で立体的に物事を捉える能力を手に入れる必要がある

 

表面的にみれば何もかも中途半端に投げ出す人のように見えるが

 

その一つ一つはチャンネルで多角的視野と立体的な感覚を養うための努力だとすれば

 

そう言う努力がその人をカリスマへ育てて行く

 

マルチ人間は努力すればすぐに平均点以上できてしまうが

 

努力しないと実は何もできない人である

 

常に何かに挑戦を続けていなければ、結局何者にもなれないまま消えて行く

 

凡人も無限の可能性を持ってはいるが

 

これになりたいと一生をかけて目指すものが見つからなければ

 

可能性だけで消えて行く

 

天才もその道を歩こうとしなければ、ただの天然系の子で消えて行く

 

残念ながら努力しない者は何者にもなれない

 

ただ流されて生きて行き消えて行く

 

それはそれで幸せなら問題はないのだが¢( ・・)ノ゜ポイ

 

幾人も生まれる天才肌の人の殆どがプロとして活躍していないのは

 

本人がそれをするために生まれていることに気が付いていない

 

或いは、それ以外に興味をもってしまっている

 

普通に生きようとしている人もいる

 

しかし、それでもその人にとって幸せを感じる生き方なら

 

それはそれで幸せかも知れない

 

ただこの考えが正しければ

 

神様がこの世界を作った事を前提にすれば

 

出来る人出来ない人とか勝ち組負け組なんて二元論が支配する世界ではなく

 

もっと自由に縦横無尽な生き方と可能性で満ちていて

 

何の能力もない人と天才を対比して二元論の呪縛に縛られた

 

閉鎖的で窮屈な悲しい捉え方はしなくて済む

 

何の能力もないとされてきた凡人は無限の可能性を持って生まれているとなれば

 

この世界に優劣など存在しない、あるのは種類の違いだけ

 

努力の違いで結果は異なるけれど

 

これも努力が足りないという量的な捉え方ではなく

 

質や種類の違いによる結果の違いだとすれば

 

どのような努力で研鑽を積んで来たかで結果のカタチも千差万別となる

 

こうなれば生き方や考え方、物事の捉え方や努力の質量や種類によって

 

その人の可能性は千変万化となり得る

 

そんな風に世界を捉えて行けば

 

神様とは本当に優しいなぁと思えてくる

 

弟は鼻で笑いやがるけどね(;¬д¬)|||

 

「まるは本当に甘い、甘すぎる、頭が悪すぎて泣けて来るぞ」

 

頭の良い弟には私とは違う世界が見えているようだ

 

奴の考えは気にしないでおこう¢( ・・)ノ゜ポイ

 

まとめると

 

凡人とは天才の反対、真逆の存在ではない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

天才の反対はカリスマである

 

凡人は何の才能もないからと言って劣性ではない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

なんにでもなれる無限の可能性を持って生まれて来た存在だ

 

「凡人万歳」✧◝(⁰▿⁰)◜✧

 

するとクールな友人が

 

「残念だけどねまるちゃん、あなたはその凡人ではないよ」

 

「何を言っている私は凡人だ」( ̄‥ ̄)=3 フン

 

「どちらかというと何者にもなれない部類だわね」

 

「そんなことはない、私は凡人だ」ヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

「自分が凡人であることをドヤ顔で自慢げに言う人間を始めてみたわ」

 

と他の友人が言ったものだから

 

みんな笑い転げやがったヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

透かさずクールな友人が一言「その凡人ですらないのだけどね」

 

その言葉に友人たちはのた打ち回って笑いやがった

 

ヾ(。`Д´。)ノDASH!←腹は立つけど言葉が出て来ない

まる☆

 

※追伸

 

前回ちらりと時事ネタを書くとブログ記事で否定されるブロガーさんがいます

 

これは私の見解をもっと公開してくれという要請だろうかΣ(@@;)あせる

 

否定されるともっと大胆に書きたくなるのは人情というものです

 

直接コメントでされたわけではないから反論はしないですが

 

それに気晴らしの範疇から外れるから書かないようにして来ましたが

 

少し考え直したい心境になりました

 

パー

 

たとえ突っ込みどころ満載であったとしても

 

良かれと思い諭してくれている可能性もあるから

 

ここは弟の説を信じて感謝して受け止めるようにしましょう

 

やがて思いと行為はその人に跳ね返ってくるはずだから(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

無いとは思いますが

 

マウントや心理操作でしているとすれば

 

余程気が弱い人である可能性は高くたいしたことは無い人だから

 

相手にしない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

しかし、そんな方ではない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

と言うことで

 

諭そうとしてくれた気持ちには心から感謝をしつつ

 

私の芽生えた悪意も(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ

 

※追記

 

余り政府の言葉を鵜呑みにしない方が良さそうです

 

事実を冷静に分析すれば

 

台湾政府が日本政府を忖度した発言であることは見えてきますよね(;¬д¬)

 

実際政府の発表が二転三転したということはかなりあります

 

今回は真実だとは限らない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

こういう時は時系列を整理して流れをみれば

 

不自然さが見えてきます

 

多少台湾の言葉の翻訳が必要になりますが

 

表現の変遷をフォーカスすれば不自然さや変化から

 

どういう経緯があるのかは見えてきます

 

こういう自分の頭で考える習慣がこれからはもっと必要になって来ます