かなり愚痴が入り込んでおります(=◇=;)

 

不愉快に思われる方はどうか寛大な心でスルーしてください(>人<) !!

 

スルーゾーン

 

 

問題が発生している場合

 

対処にのみ従事してしまうと

 

その問題自体解消することはできることもありますが

 

何故その問題が起きたのかを知らなければ

 

再発する可能性は大きく

 

根本的解決に辿り着いていない可能性は高いわけです

 

これは単純明快で誰もが理解できることだと思います

 

ところが、不思議な風潮を何度も体験しています

 

例えば、私は社会人になって

 

同期の子たちが「ゆとり世代」だとバカにされる現場に何度も遭遇しましたΣ(@@;)

 

私自身は言われたこともありませんが∑(-x-;)

 

暫くの間マスメディアでもあたかもゆとり世代を攻撃したり馬鹿にするような内容が多く

 

そう言う風潮を肌身で感じたりしますが

 

よくよく考えてみてください

 

ゆとり世代が自然発生的に生まれてくるわけではありません

 

そこには必ず、ゆとり世代を生み出す原因がある訳です(ノ´▽`)ノ ⌒(先入観)

 

ゆとり世代はゆとり教育によって発生していることは間違いないでしょう

 

ところが、原因より結果ばかり批判する風潮を垣間見て愕然としました(=◇=;)

 

何故原因に目が向かないのか

 

これも何らかの意図的な力が作用している可能性はありそうですよね(;¬д¬)

 

私はニートが発生しているにも必ず原因があると見ています

 

もちろんニート本人が原因ではない他の原因ですΣ(@@;)

 

しかしニートにばかり目が向いてしまう傾向を感じました

 

いくら結果を責めても根本的解決にはなりません

 

何故ニートが生まれるのかその原因を追究して、そこを改善しない限り今後も増え続けます

 

これは船に浸水が発生して、水を懸命に船外へかき出すようなものです

 

肝心の浸水の原因である穴を塞がない限り、浸水は止まらないのと同じ原理です

 

ところが最近のマスコミでは原因ではなく結果ばかりを追求する構図で伝えているので

 

必然的に結果ばかりに目が向いてしまいますよねΣ(@@;)

 

面白おかしく批判すればそれだけでネタになりますが

 

その原因を追究することで解決してしまえばネタが消えてしまうからでしょうかΣ(@@;)

 

私は今の部署を任され引き受ける時に

 

出来るだけ早くこの部署を無くすことに微力を尽くすと宣言しました

 

当然笑われましたジョークだと思われたようです( ̄ー ̄)

 

初めから出世欲などありません¢( ・・)ノ゜ポイ

 

自分で自分の首を絞めていると言われたこともありますが

 

要はトラブル処理や改善が必要のない会社にすることを目的にしないと

 

トラブルはいくらでも生まれて来るからです

 

問題が発生する度に解決して再発防止対策を練る仕事だと勘違いしている人が多いようで

 

それでは浸水の水をかき出しているだけになります

 

仕事は永遠に続き終わらない

 

まず原因を追究する必要があります

 

それが会社のシステムに問題があった場合可及的速やかに改善する必要がありますよね

 

だからいくつかの条件を提出しました

 

前代未聞だと叱責の声はありましたが、運よく社長は認めてくれたので可決

 

会社運営に干渉できる部署になりました

 

必然的に重役を始め会社の上層部は快く思わない

 

何かと利害が絡んでいるようすなので触れられて欲しくない暗部もあるようですね

 

ですがどんなに圧力があろうと

 

根本的解決をするためには断固決行しなければならないこともあります

 

必然的に辞表は常にデスクの引き出しの中に置いています

 

まぁいつ亡くなっても良いように死後の段取りも済ませて生きているので

 

辞表位では大した問題にも感じませんが¢( ・・)ノ゜ポイ

 

この会社でも原因を追究されると困る人が見えてきますΣ(@@;)

 

必然的にトラブルのきっかけになった人物にのみ批判を集中するように仕掛けてきますが

 

私がそこへ辿り着くと圧力をかけて来る始末です

 

必然的に私は外部の会社と連携して白日の下に晒すことになります

 

やられたらやり返す性質が未だに抜けていませんね∑(-x-;)自己嫌悪に陥ります

 

この部署が必要でない会社に早く作り変えなきゃヽ(;´ω`)ノたまったものではないわ

 

これは昔からなのでしょうか

 

原因を追究するより結果を叩く風潮があるのは

 

それとも、最近になってその風潮が強くなったのでしょうかねΣ(@@;)

 

私は子供の頃から兄に鍛えられていました

 

実家に生還して兄は最初に私にこう聞いてきました

 

「まるは因果関係を追求して生きるか、それとも何もわからず流されて生きる、どちらが幸せだと思う」

 

小学生の私は因果関係がわからないので辞書で調べ

 

「当然何も知らないで流されて生きる方が幸せに決まっていると答えました」

 

「人の掌の上で転がされながら生きていてもか」

 

「その自覚がなければ、それなりに楽しく生きられる」(ΦωΦ)

 

兄は呆れ果てた顔でしたが

 

「では何故原因を追究しない」

 

「原因を追究して幸せになれるとは限らないから、私が何故親戚に預けられたのかを追求して本当のことを知ったら幸せに感じると思える?」

 

兄はゆっくり首を横に振りました

 

私が感覚で物事を捉えて生きていることを兄は理解したようですΣ(@@;)

 

問題はそれからなのです

 

私の好奇心の強さが半端ないことを知った兄は

 

いろんな出来事に遭遇する度に私の好奇心を擽り

 

原因を追究するように仕向けやがりました∑(-x-;)

 

そして、私がこの世界は謎だらけであることを教えやがりましたエッ∑(`・д・´ノ)ノ

 

こうなるともう止まらない

 

何もかもがおかしいと思えるようになってきましたよ

 

何をするにも何故それをするのか聞いて来るし

 

私は大体の場合何となくしていることが多いことも自覚させられました

 

またその何となくは大体の場合正解で良いようになります

 

更に父には懐疑的に見ることを叩き込みやがりました

 

「学校で教えることは疑ってかかれ、先生の言うことも信じるな」

 

まったくなんて親だ┐( ̄ヘ ̄)┌

 

私の点数があがらないのは、考え過ぎてしまうからだヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

と父に抗議すると

 

「いやいや謙遜するな、お前の地頭が底抜けに悪いからだ自信を持て、人の影響される程お前は頭が良くない、頭が悪すぎて馬鹿にもなれないのだ」

 

その時はカンカンになって怒りましたが

 

今にして思えば言い得て妙だと思います

 

実は頭の良い人ほど陥り易い心理トリックというものがあることを知ったからです

 

私は瞬時に感覚で捉えて行く性質が強いですが

 

理屈が立つ人程詭弁トリックに引っ掛かりやすいようですΣ(@@;)

 

厳密に言うと詭弁に引っ掛からないように身構えると

 

詭弁を囮にして特定の考え方に目が向かないようにする

 

詭弁自体は簡単に見抜いてしまうのですが、そこに印象操作が組み込まれていて

 

考え方を固着するように仕組まれている場合は引っ掛かりやすい

 

それが二元論であったり二者択一であったり

 

それ自体は心理操作であったとしても

 

本当はそれ以外の原因に目が向かないように仕組まれている

 

これは感覚で感じ取る人には通用しにくいものです

 

実は頭ではその詭弁すら理解できない状態なので印象操作はかからない

 

その上直感的にその人が一番触れて欲しくないことに気が付いてしまう

 

しかし残念ながらこの手のタイプの人は論理的に相手を論破する能力が欠落している

 

そのため真実を知っていながら相手に言い負かされてしまったり

 

丸め込まれてしまうことが多いのですよね∑(-x-;)

 

そこで兄は徹底的に私に論理的に考える訓練をさせやがりました

 

と言っても強制的ではなく

 

私の好奇心を刺激して自然にそうなるように仕組みやがったのですヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

これは後々兄が白状しやがりました

 

「まるは恐らく感覚でその時その時の適切を感じ取って、どんな状況でも楽しく生きて行けるタイプだと理解している、そこに原因を追究する性質を追加した場合どうなるか実験した」

 

人間をしかも自分の妹を実験体にしやがったヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

暫くは兄のことをマッドサイエンティストと呼びましたよむかっ

 

真実を追求して知ることが

 

必ずしも幸せになれるとは限らないと今でもその考えは変わりません

 

というのも知らなくても良いことを知ってしまうことで余計に傷つくことも多いからです

 

夢でメラメラからも「仏像が何故半眼なのかを考えなさい」と言われたし

 

中学生になった頃には

 

「仏像が半眼なのはこの世界のことは半分目を瞑った方が腹を立てず穏やかに生きられるからだ」

 

という答えに辿り着きました

 

今は違う捉え方をしていますけどね∑(-x-;)汗

 

何も考えず政府など何者かの掌の上で転がされて生きたとしても

 

その時その時を楽しく生きられたら幸せな人生だという考え方は変わりませんが

 

子供の頃から身に着けさせられた原因を追究する性質がその道を歩かせてくれません

 

こうなると、そんな能天気な生き方は最早出来ないと判断するしかない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

となれば、徹底的に原因を追究して生きて行くしかなくなります

 

まぁ兄に恨みごとの一言くらいは言ってもばちは当たらないでしょうヾ(。`Д´。)ノむかっ

 

「確かに原因を追究する生き方は安楽ではないが、自発的に生きることができる、人に動かされながら生きて搾取され利用されやがて死んで行くのではなく、自分の人生を自分の頭で考えて選択して生きる術を手に入れられる」

 

例えば政府が必要もない税金を課税して、本当は消費税を引き下げることも可能なのに

 

財政難だと思わされて引き下げなかったとしてもその事実を知らなければ

 

国が大変だからと我慢しながらそれなりに楽しく生きようとすれば出来てしまう

 

国債を発行すれば済むことなのに何故しないと疑問すら抱かなければ

 

社会に貢献している気持ちで生きられる:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜:。+゜

 

レジ袋の有料化が何一つ環境問題に貢献していない事実を知らなければ

 

環境の為になるのならとマイパックで買い物をすることもそれほど苦にならない

 

頭の良い人は既に何故レジ袋の有料化による効果がこれだけ出たと

 

政府が公表しないのかに疑問を抱いてしまうでしょう

 

こうなると政府のどす黒い癒着や利権にもぶち当たってしまう∑(-x-;)

 

改憲に乗じて何故「国民の基本的人権の尊重」の文言を削除したのか気になってしまう

 

これでは独裁政権にならないだろうか?

 

頭の良い人が悲観的思考に囚われやすい理由は

 

知らなくても良いこの世界のどす黒いものが見えてしまうからでしょうね∑(-x-;)汗

 

もし実家に帰らなければ、父や兄と出会わなければ

 

私は恐らくこんなどす黒いことにも興味すら抱かないで楽しく生きていたに違いありません

 

ですが、もし○○だったらというのは意味がない仮説です¢( ・・)ノ゜ポイ

 

物事の現象や結果から原因を追究する性質は身についてしまっているものだから

 

身についていない頃にはもう戻れません(=◇=;)

 

何故日本の現状を世界と比較するとき比率、パーセンテージでしないのか

 

新型ウィルスの感染者に対して重症化及び死傷者のパーセンテージで示さないのか

 

天気予報は何故大変な地域を違う地域でも強調するような表現をしているのか

 

その地域の人には特に示す必要はあると思いますが

 

影響されない地域なのにその地域のことをまるで自分が今住んでいる地域のことのように

 

印象づいてしまうような表現をしているのは意図的なのか等々

 

ニュースに触れる度に疑問が溢れかえってしまうのだから仕方がない¢( ・・)ノ゜ポイ

 

まる☆のお陰で能天気に生きられないグチ愚痴ブログΣ\( ̄ー ̄;)能天気に生きているぞ晴れ