話せば長くなるけどまずは簡単に経緯
とその前に結構読んで嫌になる事も書きますのでそう言うの嫌ですと思う方ははこれ以上は読まない事をオススメします。
では経緯
まず自分は28歳で覚醒しました。
解離性同一性障害でした。8歳~28歳まで別人格が自分の代わりに人生を歩んでくれました。
本人はと言うと簡単に言えば寝てました。
最初に現れた人格が死にかけた自分を助けてくれました。母親にお風呂場で水が張ったお風呂の中に顔を水の中に入れられて首を絞められ【ああもう死ぬんだなと思い意識が無くなりました】そしたらもう1人の自分が生まれて水の中から這い上がったそうです。そこからはもう1人自分を中心に状況に応じて乖離して28まで生きて来たそうです。そんな生活も20歳を超えてきつくなり28になったら職場で意識が無くなる事も多々あり病院に運ばれる日々そして話せなくなり記憶喪失になり緊急入院。
入院して3日後に自分が覚醒してまず自分が思った事は「ここ何処?」「確か水の中にいたはずだけど」「体デカ」「どゆこと?」「声も出ない」「あと何故か大人の人から怒られてる?」でしたね〜懐かしい
まぁ翌日頭の中にもう1人の自分が色々教えてくれて導いてくれて仕事も頑張り1日20時間ほど働いて又体を壊し仕事辞めて又入院して今度は心臓に問題あり貯蓄したお金でまかない何とか退院して新しく働いた場所がまともだったんですけど今度は通勤が原因でモートン病になり早速治療1年間治療も虚しく「治らない治せないから我慢して生きて下さい」と言われせっかく良い職場も仕方なく退社。その後も治せないか色々病院を探して専門家を見つけて1年間治療するも最後に医者に言われた事が「君は頭がおかしいからなおらない」と言われ母親と肩を落として帰った事を昨日のように覚えてます。
結局塞ぎ込み引きこもり1年前に入院して知り合った友達達から「お前鬱になってるから精神科行った方が良い」と親や周りから奨められて28の時お世話になった精神科に行きました。そしたら「大鬱病です」と診断されてまた急遽入院してコントロール出来るまで3ヶ月かかりました。でもそこでも付き合って行くしかないねと言われました何故かと言うと【モートン病足が痛い→気分が落ち込む当時事フラッシュバックする→さらにテンション下がる】の繰り返し1日の中で夕方になるとテンション下がるのでお風呂に入ると【シャワーも駄目】モートン病酷くなる痛くなる思い出すの繰り返しですかね。
そしてやけ食いして糖尿病になり新たに病気が増えるの負のスパイラルに陥りました。
でもとりあえずA型作業所に通い3年特に変化なくこれはまずいと思い色々な人に相談したら従姉妹に姉的存在の人がもう一度勉強もかねて家の施設に来ないと言われ去年思い切ってA型作業所を辞めて佐世保にあるあねの所に去年3月に行き待っていたのは勉強では無く新しい事業の立ち上げのお手伝いお勉強という名のしかも給料無しのタダ働きそんな生活に追われていたら今度は起立性障害まぁ簡単に言ってしまうと、いつでもどこでも立ちくらみです。些細なことで立ちくらみが起きてしまい意識が飛ぶ倒れる。朝起きって上半身上げただけで立ちくらみ布団に又パタっと倒れる。とかetcで結局佐世保に来て7月~8月半ばまで入院しました。
退院早々待っていたのが苦情の嵐、理事長【従姉妹】から呼び出されまぁ無い事ばかりの自分への苦情の数々、よっぽど自分を追い出したかったのでしょうだって理事長の従兄弟ですから扱いが面倒だったのでしょう。正直言い返そうか悩み一応理事長にはそう言った事実はないと告げましたが理事長も向こうの味方と言うよりもそうでいないとならない。示しがつかないと言うやつです。なので8月の下旬東京に帰るか自分やの知り合いのやってる施設に移るか選べと言われ、即決で東京に帰ると言ったら今度は家の両親まで味方につけて施設に移るように説得され渋々施設の見学に翌日行き面倒なのでここで良いと言い9月までに荷物を持って行きますと引越しの段取りも終わりその日の夕方理事長から言われた一言が「明日引越して荷物も今日中にま停めて明日には出て行って」と言われ施設側にもその場で連絡をしたら明日の14時まで入居して下さいとの事を言われたらしく、もうそうする事しかできない状況に追い込まれ鬱も酷くなる一方でした。結果から言えば翌日根性出して引越し無事入居しました。そして、何日かお休みを頂きました。そして、去年9月から今年の2月までそこの入居先のB型作業所に通い卒業。今年3月から同じ建物ないにある就労支援移行所に通い初め就労に向けて色々な仕事などや座学や体力向上などのカリキュラムをこなして過ごしていましたがそんな中イラストが描けると言う事もありイラスト描くお仕事をもらっているさなか今月の29日30日にあるハンドメイドのイベントに出店するにあたり、ゆるキャラをデザインすることに、それと同時平行にパンフレットのキャラクターデザインも頼まれ忙しい日々を送っているさなかいざゆるキャラのデザインが終わりゆるキャラの名前の決めで「うちわエビもとちゃんwithモートン」と言う差別の名前が職員から出てきて社長も喜んで参加する始末その場は空気悪くするのもあれだと思い笑いましたが、傷つきました結局普段の鬱病も相まって眠れず、翌日の朝朝礼後に又その案を出した職員から今度は名前長すぎだから「モートンちゃん」でどう?と言われ傷つきそれでもイラストのお仕事はやらないといけなかったので打ち合わせとかデザインについて話し合いパンフレットの方も進めていきました。結局その日の夜も寝れず又翌朝朝礼前にその職員が又やってきて「モートン病のモートンちゃんじゃなくて作者の名前にちなんでモートンちゃんでどう?」と言われまぁ〜お解りだと思いますが3日間寝れず翌朝社長に相談したら病院に行きなさいと言われたまたまその日診察日と重なりバイクで行くと言ったら社長にダメと言われ、職員に車で連れて行ってもらい職員同伴で診察を受け事の経緯を先生に話したら「それ完全に差別ですよ。問題になるケースです」と言ってもらい職員はいまいちピンと来なかったみたいですがとりあえず薬が増えました。頓服も出ました。でその日の夕方問題発言した職員から呼び出しがあったので行って見ると、社長を始めそれらに関わった職員ほぼ全員集まっていて、社長からまず「今後モートンに関わる事は言いません」とありました。ただ病気の状態状況などを聞く時だけはモートンというとの説明がありそれには同意しました。でもそんな中社長の隣に座っている問題発言をした方は息をフゥフゥさせながらこちらを睨んでいました。社長の発言も終わり自分の発言になり酷く傷ついた事しんどかった事を言ってるさ中問題発言したかたが自分らは悪くないあれはあくまで冗談だと言い始めて冗談でも言っていい事と悪い事があると言ったら今度は僕に対しての注意をし始めその事は前日謝罪もしたし誤って酷い事を言ってしまった職員にも【病院に引率してくださった職員さんですが】昼間先生のいる前できちんと謝罪した事を言うと自分の事を棚に上げてまだ文句をいう始末に収集がつかないので社長がだまって聞くようにと促されて、1呼吸おき未だに謝罪がない全員に解るように細く砕いて話しを進めました。そしたら全員黙ってしまい社長含め青ざめ特に謝罪の言葉もなく終わりました。結局せっかく描いたゆるキャラは白紙に理由は又僕がフラッシュバックするかもしれないからだそうです。そんな中イベントが迫り又1からゆるキャラのデザインを今度は1人で担当お願いされました。結論から言うとあの後も今現在進行形で眠れたり眠れなかったりが続いていて昨日今回のイベントは自分達でやるのでデザインは考えなくて良いと言われました。
でもパンフレットは未だ頼まれているのでそちらの方には力を入れないといけないかなと思っています。
ここからは余談ですがある方が自称デザイナーまじウケると言われましたがさほどショックは無いです。何故なら今紛れもなくこれでお金をもらっているからです。たとえ収入が人より少なくても今はデザインのお仕事をしているので結構楽しんで過ごしてます。
あっでも就労支援移行なので今より良い収入の仕事に就きまぁ3年ほど頑張ってお金を貯めて早く東京に戻ろうかなと思っています。
見る人居ないと思いますが一応見た人にむけて最後まで読んでくださりありがとうございました。m(❁_ _)m


















