前回の続き
先ずこれは自分が忘れない様に書き込んでいるのが第一です。第二に親族に向けてです。
なので読んでもらっても大丈夫ですがあまり面白くないと思います又コメントなどは自由に書いてもらってかまいません。感想などでも全然受け付けます。
さて前回は小学校に入学した所まででしょうか。
此処からはややこしいのですが、先に少し注意しなければなりません。
◉自分の記憶のお話
◉もう一人の自分から聞いた話し
に途中から分かれます。ポイントになったら説明をし直しますのでよろしくお願いします。
では
自分の記憶の話し
小学校に上がって退屈な日々でした。
だって授業が理解出来ない。
そもそも疑問だらけでした。
と、その前にテストなどは全て100点でした。
なぜなら、授業中の事思い出せばいいだけだかね。
流石チート脳さて冗談は置いといて
理解出来ない部分ですが
例えば1+1=2何故?
誰が何時何処でどんな時決めたの?
そもそもなんでそうでなければならないの?
疑問でした。
先生に聞いても答えてくれませんでした。
母親に聞いても納得いく回答は得られませんでした。
りんごやみかんの話しで話してくれましたがウッう〜んと言う感じでした。
まぁ他にも疑問は多々有りましたが割愛させて頂きます。
変わり者と言えば変わり者でした。
後相変わらず元気な子で毎日クラスに入りランドセルを自部の作ったに置いたら。
男女問わず目に入った人から片っ端に殴りかかりました。いや〜なんでだろうイライラしてたのは確かです。
何にと問われれば今思うに自分以外の人が幸せそうだったからだと思うからかな。
だって周りの人達は毎日薬は朝昼夜と飲んでなかったですし当時体力作りと言う理由で毎朝走ってなかったし、お小遣いもまわりはだいたい1日100円でしたね周りの子は僕は毎朝マラソンして10円でした。後はまぁ僕自身の素行の悪さもあいまって陰口言われたりした事が原因だと思います。
そんな日々を送ってました。
なので友達も少なかったです。
幼馴染が2人保育園からの友達が1人でした。
でも小学校に上がると中々会う機会がなかったですね。
新しい友達が出来てそっちの子と遊ぶ様になったりして家で過ごす事が多くはなかった。
どちらかと言うと家に帰りランドセルを置き外に出かけてました。
外は凄い刺激的で毎日飽きませんでした。
一人で遊ぶのが多かったですが。
それでも楽しかったですね。
ミツバチの蜂蜜を取りに行って食べたり。
野良犬野良猫と遊んだり。雲ただ眺めたり
夕日を見たりかなり些細な事で楽しんでいました。
後時にはでもないか、時間について考えたりしてました。未来現在過去が正しいですか。
その瞬間瞬間を楽しんでました。それについて考えたりそんな時風が横から吹いて来ると未来と現在と過去を見た感じがして楽しかったです。
それと比較的に夕方に帰りませんでした。
5時に帰ってきなさいとよく言われて5時に帰ってませんでした。なぜなら僕の中での解釈でしたが現地を毎回5時に帰ってました。なので近所なら問題はさして無かったですが、ほぼほぼ毎日片道1〜2時間の場所で遊ぶ事が多く知らない場所に行くのが楽しくて遊ぶ場所も固定されず子供で行くのは間違い無く失敗すれば死ぬだろういや大人であっても死ぬだろう場所をわざわざ選んで遊んでいました。少し前にふわっとした話しも書きましたがそれらを同時にやっていました。
なので毎日怒られていました。
夕方からの過ごし方は比較的に多分周り子供と大差無いと思います。
アニメみて、夕飯食べて、比較的律儀?母親に宿題やれと言われやって、お風呂に入り、9時に寝るでしたね。
そんな日々を送っている中事件が起きるのです。
いつものように道草食いながら家に帰りランドセルを置き、これもいつもの日課貯金しているお金を見る。
そうなんです、毎日朝のマラソンのお小遣いを貯めていたのです。10円ばかり貯まるのは大変なのでいくらか溜まったら100円玉や1000円札に替えてもらってそんな箱に黙っていくお金が楽しくて仕方ありませんでした。お年玉は毎年母親が郵便局に入れてくれていたので正直興味無かったです。
それよりも毎朝のマラソンの10円のお小遣いが貯まるのが楽しかったです。
3千円ほど溜まり何を買おうか悩んでいた時いつものルーティーンで箱のお金を見るで見たら無かったのです!
朝見て箱に10円をしまい帰って来て見たらなかったのです!混乱しました。
母親がその日はいたので尋ねました。「箱のお金がないんだけど知らない?」そしたら「お金なら借りたから」えっ「じゃあ返してよ!!」と言ったら「どうせ、無駄使いするんだから郵便局に返しとくね」納得がいきませんでした「今すぐ返せ!」に対して「今はお金無いから無理」くそっーて思いました。理由も聞きました「新聞屋の支払いに使った」との事もう泣く事しか出来ませんでした。そうしてお金は貯めていると誰かに使われるとすり込まれました。
そんな誕生日がやや過ぎた頃の嫌な出来事でした。
自分の誕生日は5月12日なのですが弟も5月25日とあって毎年5月25日お祝いする事になり12日の誕生日は特に誰からか祝いの言葉もなく普段と変わらず過ごすのが当たり前でした。
なのでいつも1人で祝ってました。
まぁそれは今も変わらないのですが。
そんな誕生日が過ぎた6月半ば位ですか弟が熱を出したので母親が弟を前に僕を後ろに自転車に乗せて行きつけの病院に向かっている最中ちょうどガソリンスタンドを横切ろうとしてガソリンスタンドをまさに通過する時自転車の車輪が溝にはまってしまいそのままガソリンスタンド側に倒れてしまいました。
倒れる瞬間体を守る為に左腕着いた瞬間ガクッと外れてしまいました腕の関節が外れてしまいました。
お母さん曲がらないよて言ったら母親が曲がらない腕を強引に曲げた瞬間皮突き破って真っ赤な血と共に骨が飛び出しそこで気絶次気がつけば病院のベッドの上結構血を持って行かれたらしく輸血したらしい。腕も曲がらない様にギブスで完全に固定されていました。
まぁそんなことより弟が心配でした。弟は大した怪我も無く病院で薬ももらい家で祖父母がめんどみているとの事でした。起きた時には父親も病院に来てくれていて「大丈夫か?」と聞かれたので「大丈夫」と答え母親も「本当にごめんね」と謝り「大丈夫だから」と答えてあげました。大事をとって約1ヶ月ほど入院して何事も無かったので退院ギブスを外すまでは更に3ヶ月ほどかかりましたが。その間夏休みに入り長崎の佐世保のおばあちゃんのいえを尋ねる事に、当時はまだ新幹線が大阪までしかたしかなく夜9時の寝台列車で佐世保に行きました。初めての事ばかりで興奮して寝つけず大変だった事を覚えてます。夜中にちょうど目が覚めてしまい駅に止まっていたのでどこか調べに歩いたら広島でした。廊下にある折りたたみの椅子を出ししばらく景色を眺めてとは言っても今みたいに明かりがあまり無い時代だったので真っ暗な景色が続き眠くなったのでベッドに戻り寝ました。
翌朝起きて食堂車まで行き朝食を食べて結局着いたのは朝の10時過ぎに着きました。
ス..ス...(゚Д゚(゚Д゚ノ(゚Д゚ノ)ノスゲー!!!はしょりますが初めての佐世保初めてのおばあちゃんおじさん達そして従兄弟従姉妹の面々挨拶周りからはがほとんどで観光らしい事は全く出来ませんでした。ただ唯一凄いと思ったのが潮の満ち干きでした。川が水いっぱいだと思ったら帰る時は全く水がなく底に下りられたからびっくりしました。
母親に「早く上がって来ないと溺れるよ」と脅されて渋々カニを摂るのもソコソコに弟と2人川から上がったのを覚えてます。
後そうですね。おばあちゃんの家が山の上にあったのにはびっくりしましたそこからの眺めが良くてたまにこっそり今もその景色を楽しみに見に行きます。
後はおばあちゃんと一緒に住んでいたおじさんの娘当時は高校生でしたがまぁ従姉妹のお姉ちゃんですね。おばあちゃんが朝のパンが無いので僕と2人で下まで買って来てと頼まれてましたがスッゴイ嫌そうにしてたの覚えてます。「1人で行けるよ」と必死におばあちゃんに説得し「一緒に行くのめんどくさい」と本人いる前で堂々と言われ少し凹んだのを覚えています。
佐世保の夏休みの思い出てこんなものかな。
そして、秋いつものように変わらずその日は18半位に帰宅そしていつものように母親が玄関で仁王立ちいつものように怒られ靴を脱ぎ謝ろうと玄関に上がった瞬間そこからは怒とうだった、首の後ろと右脇を抱えあげられ力技で強引に風呂場まで連れていかれ、間髪入れず水のはった昔ながらの底の深い風呂に頭を強引に風呂の底に押し付け10秒位したら引き上げ又間髪入れず押し込まれて抵抗するも無力で何も出来ずそれを何回繰り返したか覚えてないけど段々と力がはいらなくなりそして1度引き上げられて僕が母親から言われた最後の言葉が「お前みたいな言う事聞かない子死ねばいい」と言われ胸ぐら掴まれ今度は仰向けになるよう湯船に後頭部から押し付けられ首を締められ「あぁ短い人生だったけど仕方ないかな苦しいな辛いな」で意識を失ってしまった。
ここからがもう1人の自分から聞いた話し
苦しいなんなんだ、どうなってる?
水?沈んでる何故?それはともかく出よう。
風呂のなかにいる?いた?
そもそもここは何処で俺は誰なんだー
まずはいったんこの水風呂から出よう。
息が苦しいからまず息を整えて息を吸って吸えない
吐く大量の水が口から吐き出された。
とりあえず息を整えて
ふぅ
未だに状況が分からないんだけど
1なぜ風呂の中にいた?
2ここはどこ?
3自分は誰なんだ?
とりあえず安全?なのか?
音が鳴ってる方に行こう何かわかるかもしれない
扉を開けるとテーブルの上には食べ物とお皿が並べられてる。右手側の部屋に人がいる声をかけてみよう。
「あの」そうしたらボソッと一言「ちっ生きてたの」はっきりと俺は聞こえた今度はこちらにわかる音量で名前で呼ばれ「今度から早く帰って来なさい、早くぬれた服ぬいで新しい服に着替えてきなさい」と言われたのですぐに服を脱ぎさっきいた風呂場まで戻る洗濯機があったので服はそこに放り込めば問題ない。
体を拭くものは適当にこの辺りのものを使えば問題ないと思いたい。
後は服の問題さっきと反対の通路に行けば扉と階段この扉と言うより玄関か。
階段かな登るとまた通路先に扉左手にも引き戸解らないと思っていると左手側の引き戸から子供が出てきた「お兄ちゃん何してるの?」どうやら俺は兄らしい弟らしいその子から服のある場所を聞き服に着替え終わった事を母親らしい人に報告しにそうするとご飯の準備が出来た事を弟に伝えて来て欲しいと言われ言われるがまま階段を上がり弟を呼びに行くそして母親らしき人はやはり母親らしい「お母さんは仕事に行くからお父さんが帰ってくるまで留守番お願いね」と言われ出ていった。
食事も終わり父親が帰るまで留守番だ弟は楽しそうにテレビを見ていたが俺はそれどころではなかった。
名前わかった
母親もわかった
弟もわかった
父親もいる
とりあえず台所と居間風呂場にトイレ玄関に階段2階左手側は自分達の部屋奥の扉が未だ不明
そしてなぜ風呂桶の中で倒れていて水の中で仰向け吐くほど水飲んでいて母親の「ちっ生きていた」てそゆこと?何が?殺されかけて殺ししくじったて言う事だけしかわからん解らない事だらけで明日からどうしたらいい。
て
言うのが最初の目覚めた日らしい
らしいと言うのは記憶が無いからね
僕が次目覚めた時は28歳だったから
うーん簡単に言うと青春とか解らないんだよね。
懐かしさとかないんだよね。
忘れないようにぼちぼちもう1人の自分の教えてもらった空白の21年間を書き残しておこうと思う。