先日、今度あった時には絶対気持ちを伝えたいな、、

と長年思っていた人に会うことができた。

仕事の配達の途中だったので、長く話す時間はなかったけど、短い時間の中でもまた涙があふれた。

前の記事で14年前の乳がん宣告の事をかいたが、
私は、宣告された日から、何日も自分の悲しみや辛さに向き合う事から逃げていた。

なんだか、そこに触れてしまったら、自分が壊れてしまうような、入院、手術までの日々の当たり前の、長男を小学校に送り出したり、次男の幼稚園の送り迎えをしたり、仕事をしたり、家事をしたり、
そんな日常が、手につかなくなるんじゃないかという不安から、完全に辛さから、逃げ、悲しむこともせず、大丈夫大丈夫と、カラ元気にしていたような気がする。

そこに、触れないように触れないように何日間も平気なフリをして、日々を送っていた。
確か、入院まで、三週間くらいあったと思う

そんな中、入院中、学童保育をお願いしようと、手続きをして、学童保育の場所にいった時の事だ、、

私と同じくらいの歳の先生がでてきた。
それまで、
幼稚園、小学校に事情を話しにいった時も、私は、気丈にそして明るく振舞えていた。

が、しかし、この学童保育の先生の、お待ちしておりましたよ、、という優しい笑顔をみた時、私が何かを感じとったのか、、
何もまだ、話ししてないのに、
涙がポタポタこぼれてきた。

私はそこから、30分くらい、、、いや、もっと、
ただただ、泣いてしまったのだ。 しかも、子供のように、しゃくりあげながら、、、ただただ涙がこぼれた。

一生懸命せきとめていた川が轟々と流れ出してしまった。

その間、何もまだ話ししてない、何も知らないその先生は、
ただただ、ずっと、私の背中をさすってくれてた。

何も聞かず、たたもくもくと、さすってくれるその手が温かく、、
ますます、涙がでた。

私が何故、そこで涙がこぼれたのか、、

もう、その方の雰囲気と体を流れているものに、反応したとしか思えない出来事だった。

私は、ずーっと14年間もたびたびそのことを思い出し、感謝を一人で送っていたが、絶対あうことが、できたら、あの時のあの気持ちを伝えたい、、と思っていたのだ。

それが、偶然あうことができたのである。

嬉しかった
めちゃくちゃ嬉しかった
本当に嬉しかった
そして顔をみたら、やはり、また泣けた。
そして、その時の思いを伝えてたら、
また、
あの笑顔で

元気そうで、うれしいです。

と言ってくれた。

で、

また涙


こんな、何も言わずとも、何か溢れているこんな人になりたいなぁとこころから思いました。
あの時、受け止めてくれてありがとう、助けてくれてありがとう。
私の魂がありがとうを言えたのを、私自身も感じました。

そんな私の今の日々、
毎日毎日、姑の嫌味をどう受け取ろうか、
模索中😅

まだまだ、理想には、遠い日々かな😅😅

優しさというより、

憎しみがまだまだ、溢れ出てるはず😅😅

てへへへ