2019年1月
防府天満宮をあとにし、次に向かったのは、周防国分寺
距離は1㎞ほどしか離れていないので、歩いてでも行ける距離ですが、ここはもちろん車で!
ルートは、こんな感じ。
専用の駐車場も設けられていたのでホッとしました。
こちらが境内図
駐車場のすぐそばの聖天堂からすぐ境内となりますが、ここはやはり正面からってことで、
仁王門へと向かいます。
周防国分寺とは・・・
741年聖武天皇に詔(みことのり)によって国ごとに建立された官立の寺院です。
創建年代は不明ですが、756年よりさかのぼるものと推測されています。
この周坊国分寺内の現在の伽藍は奈良時代の創建当時の位置に立っており、
全国的にも珍しいのだそうです。
また創建当時の寺域をほぼ維持していることも、全国の国分寺の中で希有であることから
国の史跡に指定されています。
ご本尊は、創建当初は釈迦如来さまでしたが、人々の慶福を祈願するという趣旨から
薬師如来さまに替わられました。
その他に平安時代初期の日光・月光菩薩、藤原時代初期の四天王などが安置されています。
こちらが、周防国分寺の正面となります。
官立の寺院ということもあり、五本線の筋塀(格式の高さにより三本・四本、五本がある)となっています。
そして大きな仁王門↓・・・棟高は約12mだそうです。
中には、もちろん仁王像が安置されていました。(上手く撮れなかった・・・)
残念ながら当初の門は、1417年に焼失してしまい、現在の門は、1596年毛利輝元公が再建、
1767年に毛利重就公が大改修をしたものだそうです。
仁王門をくぐって・・・
正面に見えるのが、金堂です。
境内図によると、仁王門と金堂の間に中門があったようです。
仁王門のすぐ右側の大きな木の付近が、五重塔が建っていたとされる跡地だそうです。
創建当初は、七重塔だったそうですが、落雷等の火災で失われ、
鎌倉時代に五重塔が再建されたとのことでした。
その五重塔も室町時代(1417年)、伽藍全焼の際焼失してしまいましたが、
30年かけての発掘調査の結果、この位置が塔跡であることが明らかになったそうです。
五重塔跡地から見た金堂↓
金堂内須弥檀には、このような↓立派な仏像が安置されているとHPにあったので、
是非とも拝観したいと思い歩いていきました。
入口には、『拝観希望の方は金堂裏の事務所にて受付』とあったので、早速向かうと・・・
残念なことに『本日、休館日』と書かれていました。
「えっ?なんで?月曜日が休館日だから、日曜日は拝観できると思ったのに~」
まぁ、翌31日は、大晦日なので、参拝者が多くなるため、臨時的にお休みになったのかもしれません。
受付となる事務所前から金堂の後方を・・・
そのそばには、以前中門として使われていたものが、こちらへ移され残されていました。
この柵で囲われた一角は、水鑑の井戸と呼ばれています。
これは、太宰府に下向される菅原道真公が、この国分寺に参詣されたおり、
国分寺11代住職無我和尚より受戒をお受けになられそのお礼にこの井戸でお姿を写し、
自画像を描き奉納されたという伝説がある古井戸だそうです。
その『菅公水鑑の御影』は、寺宝として残され、毎年防府天満宮の御神幸祭の時、
お祀りしているとのことでした。
そしてこの井戸の前には、小さな鳥居があり、その奥に小さな祠が安置されていました。
境内案内図によると、大権現としか書かれていなかったので、詳しいことはわかりませんでしたが、
祠の中には、まん丸な石のようなものが安置されていました。
境内をぐるっと巡り、御朱印もいただけないまま、駐車場へと戻ります。
駐車場そばには、聖天堂が鎮座しています。
こちらは、開運・良縁・商売繁盛の神さまである聖天尊(歓喜天)が祀られています。
小さな御社ではありましたが、なかなか凝った装飾がなされているので、
篤く信仰されているんだろうなぁと思いました。
久しぶりに本格的な仏像を拝観できると思い、期待していたのですが、
一番残念な結果となってしまいました。
おまけに御朱印もいただけず・・・
これも年末旅行あるある事項だったと、改めて思い周防国分寺をあとにしたのでした。
時刻は、13時30分。
これから下関のホテルへ向かってもまだ早すぎると考え、
時間に余裕があれば行こうと考えていた湯野温泉へ立ち寄ってみることにしました。
湯野温泉で一風呂浴びて、下関へ・・・ につづく