参拝日 2017年5月4日 木曜日 北口本宮冨士浅間神社 ②
2本の大きな御神木の間に、北口本宮冨士浅間神社の拝殿があります。
拝殿奥には、弊殿、本殿が接続されていて、権現造りの社殿となっています。
御祭神は、
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)=富士山の女神
彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと)=天照皇大神の孫神様・木花開耶姫命と夫婦
神武天皇の曾祖父神様・海幸彦・山幸彦の父神様
大山祇神(おおやまづみのかみ)=木花開耶姫命の父神様・全ての山の神様
拝殿の向拝部には、豪華な装飾がなされていました。
拝殿内上部には、大きな天狗さまのお面・・・
奥に見える本殿の扉には、松と鶴が描かれ、全体的にキラキラしてました。
この本殿は、山梨県内で随一の豪華な桃山期の特色が見られ、多様な技法が使われているそうです。
参拝後、拝殿にある納経所で御朱印をいただきました。
その時いただいた案内↓
そのときいただいた案内↓
拝殿前の階段を下りると、参拝順路が示されていたので、それに従い歩きます。
拝殿の脇には、“七色もみじ”と呼ばれるモミジが植えられていました。
普通、この時期のモミジは、青モミジが主流・・・。
でもこの“七色もみじ”は とても優しい色合いでした。
わたしは、初めて見たので、その美しさに見入ってしまいました。
その“七色もみじ”を横に見ながら社殿奥へと進んでいきます。
突き当たったところに見えるのは、東宮、その左側が神武天皇社です。
拝殿の後方には、再び大きなスギの木が・・・
この木は、樹高30m、目通り幹囲7.8mもある大きな木で “冨士次郎杉”と呼ばれているそうです。
そばには、“夫婦うめ”と呼ばれる梅の木も植えられていました。
こちらが、先程見えた東宮
御祭神は、天津日高彦火火出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)=富士権現とも呼ばれています。
1223年、北条義時の創建と伝わっているそうですが、
現在の社殿は、武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願して浅間本社として造営したものだそうです。
ここからだと拝殿の奥に位置する本殿がよく見えます。
社殿の後方を歩いていくように順路は続いています。
そこには 恵比寿社が鎮座され、事代主神(ゑびす)さまと大国主神(だいこく)さまが祀られています。
この恵比寿社は、富士山に向かっているそうです。
またこの事代主神(ゑびす)さまの像は、日光東照宮の眠り猫で知られる左 甚五郎作と伝わり、
“富士ゑびす”と呼ばれています。
そしてこちらが、西宮
御祭神は、天照大神・豊受大神・琴平大神
1594年谷村城浅野左衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立されましたが、
1615年鳥居成次の本殿建立により現在地に移され、西宮となったのだそうです。
見た目通り、全体の形式は、東宮と同じだそうです。
西宮の横には、石段があり、鳥居が設けられ、奥には、小さなお社が・・・
ここが、吉田口登山道の起点となる登山門。
富士山の麓から徒歩で登る、唯一の登山道の入口ということらしいです。
奥には祖霊社があり、鳥居のそばに立つ石像は、富士講の丸藤宮元講の先達像とのことでした。
登山道口前から社殿を・・・
拝殿、弊殿、本殿となっているのがよくわかります。
左側には、境内社が並んでいます。
順路に従い、前方に見える“夫婦檜”に向かって歩いていきます。・・・
さらに左奥には、諏訪神社が鎮座していました。
御祭神は、建御名方神・八坂刀賣神で、地主神です。
この北口本宮冨士浅間神社は、祭礼とされる「吉田の火祭り=鎮火祭」がよく知られていますが、
もとは氏神である諏訪神社の例祭だったそうですよ。
こちらが、諏訪神社の拝殿です。
拝殿の右側には「明神神輿(明神さん)」
左側には「御影神輿(おやまさん)」が安置されていました。
この諏訪神社の御朱印も、北口本宮冨士浅間神社の納経所でいただくことができます。
その御朱印はこちら↓(じつは、先にいただいていました)
この拝殿のそばにも大きな御神木が・・・
ここに鎮座しているは、風神社です。
また三殿社・三神社も鎮座しています。
こちらには、見覚えのあるお姿・・・役小角行者・・・神変大菩薩とも呼ばれているのですね。
諏訪神社前から浅間神社神楽殿のほうに向かって・・・
中ほどに紙垂で囲まれたスギの木は、高天原と呼ばれているそうです。
その高天原の左を通り抜け、帰路となっていました。
時刻は、16時50分・・・。
なんとかこの日の予定は、とりあえずクリアできました。
神社・仏閣でなければ、まだ他にも観光できる時間だったかもしれませんが、
・早寝・早起き作戦を実行中であること
・この日は、あちこち巡ったので、疲れちゃった
などの理由から、早々に予約しておいたホテルへと向かうことにしました。
⑯ 河口湖からの富士山と名物ほうとう につづく