2014年9月28日 日曜日
古城山展望台のある山に16世紀の戦国時代、今高野山城があったらしいです。
展望台までは、636m
難易度をこの数字だけを見て判断してしまうのは、大きな過ちのひとつだと思い知りました。
傾斜を考えていなかったからです・・・
出発時、どんな傾斜があるかなんて、考えもせず、上り始めました。
はじめは、緑に囲まれた遊歩道的で足取りも軽く・・・↓
こんな案内見つけたもんだから、展望台も期待して・・・↓
どんどん進んでいきます。↓
しかし、だんだん脚が思うように進まず、息は切れ、時間かかるばかり。
あと200mの案内板を見つけても、まだ200もあるのかと・・・↓
この辺りの傾斜はこんな感じです。↓
大したことないじゃんと思われるかもしれないけど、本当にきつかった・・・。
残り100m・・・↓
最後は、段差の少ない階段です。↓
そしてやっと・・・展望台到着です。↓
ここは、今高野山城の本丸跡地ではなく、三の丸跡です。
もちろん、この展望台はのちに中世風に造られた鉄筋製のものです。
土・日・祝日は、展望台の中に入れるようなので、入ってみました。
中はこんな感じ↓
ドアから外に出ると、甲山町が一望できます。
そこでは、気持ちのいい風が吹いていて、20分ばかり放心状態です。
上り坂でゼィゼィいってた呼吸も正常に戻ったので、戻ることにしました。
この展望台の建っている石垣には、“甲山防空監視哨(こうざんぼうくうかんししょう)”跡がありました。
太平洋戦争時、空襲に備えてつくられたものだそうです。
説明文には『広島の原爆が投下され爆発したとき、ものすごい閃光が目撃された』とあります。
広島市内から、ここ世羅町甲山はすごく距離があると思うんだけど、見えたのかなぁ~
この場所が三の丸跡ということは、当然本丸跡もあるのですが・・・。
私たちは、坂道を下る体力温存のため(←こういうことにしておく)、今回はやめにしました。
下りは上りよりだいぶ楽でしたが、傾斜のきつい下り坂は、膝にきます。
自分の体力の無さを、またまた思い知らされました・・・。
ふたたび“丹生神社”前に戻りました。↓
案内板があったので、見てみると“普門閣展望台”というのもあるようでした。
そこなら、今いる場所からそんなに遠くないようなので、行ってみることにしました。
少し歩くと駐車場がありました。 この駐車場に停めればよかった・・・
“普門閣”へは、すぐ到着しました。↓
こちらが、“普門閣”です。↓
そこは、一応展望台になっています。そこからの眺めはこんな感じ↓
やはり三の丸跡の展望台(古城山展望台)のほうがいいですね・・・。
その“古城山展望台”がそこから見えました。↓
あんなに高い所じゃない!!ハードなわけだ (←と自分を納得させる)
この“普門閣”のそばには古いお社がありました。↓
帰り道、少し下りたところに広場があって、ここにも“弘法大師”像発見↓
途中に左側に赤い橋があります。この橋を渡ると、再び山道へ続きます。↓
この道は、“新八十八ケ所道”と呼ばれているようです。
道なりに、お地蔵さまがいらっしゃり、プチお遍路さんのように散策できるようになっているようです。
私たちは・・・・・行きませんでした。
“龍華寺”の参道を下って、車の置いてある駐車場まで、戻りました。
車に戻ると、急に元気回復です。
時刻は、15時ごろ・・・。
がもう1か所くらい、どっかないかなぁ~と言い出しました。
(↑ 展望台では私よりヘトヘトだったのに・・・ )
で、見つけたのが、三次市の“須佐神社”
また少し北へ向かうことになりますが、そんなに遠く離れていなかったので、行ってみることにしました。
三次市 須佐神社へつづく・・・・・。