こんにちは!
maruです!

コンプレックスこそ、個性!
そんな話を聞きました。
なるほどー!!

それを聞いて、思い出したことがあるの。
私は、どこに行っても、どこにいても
自分を「よそ者」だと感じていて、
それがコンプレックスだったことを。

今日は、そんな話をしていきます。
(ちょっと、長くて深いわよんニヤリ)

◻️家族の中でも、学校でも。

私は、小学校で1回、中学校で1回、転校をしました。
今思えばそんなに多い数ではないですが、
子供の頃の私は(自分は転校生)という気持ちでいつも生きていた気がします。


そして、それより重要なのは
家庭でも、
疎外感を感じている子どもだったこと。
子供の頃って親って絶対的存在ですよね。

そんな絶対的存在である親(主に母親)からの
ネガティブな評価を受け取るたびに
よそ者感を強めていきました。

学校では、転校生。
家庭でも、よそ者。

そんな子供に居場所はありませんでした。

◻️20年間、居場所探しの旅

21歳で息子を授かってもなお、
外に目を向け、居場所を探し続ける私は学びの旅を続けました。
ヒーリングや整体、カウンセリングやコーチング、スピリチュアルな学びや、ビジネスの勉強で、本や塾やセミナーなどに時間とエネルギーを使いました。
並行して、
20代では「ネットワーク地球村」や、「懐かしい未来」(知ってる人いるかな?)に所属し、
30代では、地域の自然エネルギー団体、地域の音楽グループに所属していました。

そして、それら全てから離れ

全てを断ち切るように突然、准看護学校に入り、40歳でナースになりました。

◻️「外の世界に居場所はない」

人生の学びを深めていく中で、自分こそが、自分の居場所であるという考えが、
徐々に染みわたっていきました。
コップの中に、ひとしずくずつ水が溜まるように、ゆっくりゆっくりと。

居場所がなかったのは、
いや、より正確に言うと
居場所感を感じられなかったのは、
自分に対する自分の愛がなかったから。
だから、どこに所属しても、
本当にはそこを愛することができなかった。
だから、居場所感を感じられなかっただけ。

それは、

私である。
このことを大事に出来ないと、
相手(人、場所、団体)を真に大事にすることが難しい。

ということ。

外の世界に居場所はない
私こそ私の居場所である

この考えが腑に落ちて、
20年間の居場所探しが、ようやく終わりを迎えました。


◻️よそ者という性質

上に、
「学校では、転校生。家庭でも、よそ者。
そんな子供に居場所はなかった」

と書きましたが、
この文章は、「そんな子供」に、ポイントがあります。


つまり、
どこにいても「よそ者感」を感じやすい子供だったから、
どこにいてもよそ者感を感じていた、

ただそれだけのこと。

元々の性質なんですね。

ひまわりの種を蒔いたら、ひまわりが咲く。
ひまわりの種から、アサガオは咲かない。

それと同様に、
よそ者感を感じやすい子供は、
どこに行っても自分をよそ者と感じる。

もうしょうがないね、これは。
性質だからしょうがない。

だから、私は、コンプレックスだった、「よそ者」を個性として、これからの人生を生きていきたいと思います。

よそ者といえば、
10年ぐらい前かな、
「よそ者、若者、バカ者が、地域活性のカギ」
な~んて言葉がありました。

その心は、地域の慣習やこれまで当たり前とされていた常識にとらわれずに、
その地域のよさや可能性を見出す人が、未来を拓く鍵になる。
という意味だと私は思っています。

どこに行っても、どこにいてもよそ者である私は、
よそ者だからこそ、客観的に、その人や場所や団体の素晴らしさ、可能性を見出すことができる。
伸びしろがどこにあるか、見ることが出来る。

よそ者という力を使って、
あなたという光を、
反射させたい。


そう思い、その第1歩を踏み出しています。
ベイビーステップで、行くよ!

だからもし、あなたが疎外感を感じやすいなら、
大丈夫!
その性質を生かすことができるよ!
ということを伝えたくて、これを書きました。
長い文章、読んでくれてありがとう。

おまけとして、大好きなまどみちおさんの詩を載せますね。楽しんでくれたら、心いっぱいうれしいです♡
それでは、また!

「ぼくが  ここに」まど・みちお

ぼくが    ここに     いるとき
ほかの    どんなものも
ぼくに    かさなって
ここに     いることは     できない

もしも     ゾウが    ここに    いるならば
そのゾウだけ
マメが     いるならば
その一つぶの    マメだけ
しか    ここに   いることは   できない


ああ    このちきゅうの     うえでは
こんなに    だいじに 
まもられているのだ
どんなものが     どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも   まして
すばらしいこと    として