私は、けっこう長い間
「かわいそう」ということばに抵抗を感じ、使わないようにしていた。

テレビたったか、友人の話しだったかの影響で、
゛かわいそう というのは、当事者の痛みをわからない、他人のことばだ ゛
と認識していたからだ。

けれども、私が本当に苦しんでいたとき、かわいそう という言葉をかけてくれた人たちは、私の苦しみを理解し、同じようなベクトルで一緒に歩いてくれた人たちだった足あと

だから、私は自分のことを「かわいそう」と認めてあげられるようになったし、ひとにも笑って「(私って)かわいそうでしょ?!」と、話せるようになったニコニコラブラブ

そして、かわいそうから抜け出すために自分で努力することも覚えたクローバー


先日、心に傷を負った女の子のことを、長い間、誠心誠意思っている友人と、お酒を飲んだビール

私が言った「(彼女)かわいそうにね」の言葉に、 彼は目を三角にして
「かわいそうって!?むかっ 」と声を荒げていたプンプン

きっと、彼は「かわいそう」ということばに以前の私と同じ感覚を抱いているのだろう、と感じた‥‥






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