はじめに
もし興味を持ってもらえたら、
まずはプロフィールをのぞいてみてください。
※車いすに乗っていた私が、
なぜ歩けるようになったのか。
答えは、根性論でも、奇跡でもありません。
続きはプロフィールに。
もしよかったら、
応援クリックをもらえると泣くほど喜びます♡
ブログ更新の励みになります✨
👇ポチッと応援してもらえると嬉しいです♪
↓↓↓
こんにちは、ひよりです。
何度もどん底を経験した私が、生きる世界を逆転させた話。
今日は第7話です。
ここまでのあらすじ
ヘルニア手術のあと、
私はCRPSという病気になりました。
それは、想像を超える激痛でした。
「歩けるようになりたい」と願っていたけれど、
体は思うように動かず、季節だけが進んでいく。
我慢を重ねた心は限界を越え、
私はうつ病になっていました。
第7話
うつは治らないまま、時間だけが過ぎていきました。
病院はいつまでも置いてくれるわけではなく、
入院生活が1年を越えた頃、
退院の話が出るようになりました。
ただ……
退院前に、ある異変に気づきました。
退院前の書類にサインをしようとしたとき、気づいたんです。
ペンを持つ手が、震えている。
握力が落ちて、うまく力が入らない。
自分の名前すらまともに書けない。
1年以上、歩くリハビリばかりで、
字を書くことがなかったせいでした。
「社会に戻って、暮らしていけるのかな…」
その不安を抱えたまま、私は病院をあとにしました。
「無理しなくていいからね。
自分のペースでやればいいんだから」
看護師さんは、そう言ってくれました。
でも、日常に戻ると、
そんな言葉は聞けません。
いや…
たとえ言われても、
私の心には届かなかったと思います。
「甘ったれたことは言ってられない」
「働かないと生きていけない」
頭の中で、
そんな声が何度も繰り返されていたから。
だから私は、
真っ先にハローワークへ向かいました。
窓口でのやり取りは今でも覚えています。
職員)「放射線技師以外の資格は?」
私) 「ありません」
職員)「PCは使えますか?」
私) 「使えません」
職員)「……」
MRIもCTも動かせる。
でもパソコンは、ほとんど触ったことがなかったんです。
私が学生だった頃は、授業も手書きの時代でしたから。
病院の中では役に立っていたことが、
外では武器にならなかったんです。
以前は、
「国家資格持ってていいよね〜」
と羨ましがられたけど、
このときの私には、ただの紙切れ。
何の役にも立たなかったんです。
「私、何ができるんだろう…」
胸の中の不安だけが、
押しつぶされそうなほど大きくなっていきました。
ハローワーク頼りではダメだと思い、
家に帰ると電話帳を開いて、
載っている病院という病院に
片っ端から電話をかけたんです。
「雇ってもらえませんか?」
そうお願いしても、
どこにも受け入れてくれなくて…
退院の頃に感じた小さな不安は、
逃げ場のない現実へと姿を変わっていきました。
「私はこの世界で、どうやって生きていけばいいんだろう」
そう思った瞬間、目の前が暗くなりました。
次回、第8話
そんな私の前に、ある出会いが訪れます。
正直、何も期待していませんでした。
……なのに、
思った以上に、心が動いてしまいます。
公式LINEはじめました
もしあなたが、
・人生を変えたくて、できることは頑張ってきたのに
思うようにうまくいかなかった
・「どうせ私なんて」と、自分を責める癖が抜けない
・前を向こうとすると、なぜか心が疲れてしまう
そんな気持ちを抱えているなら、
少し前までの私と、よく似ているかもしれません。
私自身が、
「人生を変えたい」と思って頑張っていたのに、
なかなか報われなかった頃のことや、
「どうせ私なんて」と自分を責めていた日々を振り返って書いた、
① 過去を否定し続けてきた私が、人生の見方を変えていった話
② 『どうせ私なんて』が口癖だった私が、
ポジティブになろうとするのをやめたら前を向けた話
この2つを、
LINE登録してくださった方に
無料でお渡ししています。
「もっと頑張らなきゃ」と
自分を追い込むための内容ではありません。
これまでの頑張りを、少し違う角度から見てみる。
そのきっかけとして、
受け取ってもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今日読んでくれた時間が、少しでも明日をラクにしますように。