先日、プレゼントをもらった。
袖が大きく膨らんだかわいらしい服。
プレゼントはうれしい。その気持ちがうれしい。
でも、その服は
若くてかわいい子に似合うやつだろう、、、
おばさんの私には、
とてもとても、着こなせない、、、
どうしよう、、、
送ってくれた人に喜んでもらいたいから、
どっかできて見せないとな、、、
んー、、、でも恥ずかしいな。
などと、ぐるぐる考えていた。
しかし、昨日、このプレゼントにまつわる
舞台裏のエピソードを聞き驚いた。
私に贈る服を選んでほしいと頼まれた彼女は、
私のことを良く知り理解している人物で、
この服が私に似合う、と思って選んだというのだ!
その話を聞き、驚きを隠せなかったので、
選んでくれた彼女を
ちょっとがっかりさせてしまったかもしれない。
ごめんなさい。
そして、送ってくれた子に対しても、
若い世代の好みのものを送ってくれたのだと、
思いこんでいたのだ。
でも実際は、私に本当に喜んでほしくて、
彼女なら私にぴったりのものを
選んでくれると考えたのだ。
まず、彼に対して100%信じてなかったな、、、と反省。
ホント、ごめん。
ホント、2人にごめん。
子供の頃見ていたアニメ、赤毛のアン。
私はアンを見るたびに、
イライラムカムカしていた。
今なら何故かわかる。
私は自分が醜く、みすぼらしいと思っていたので、
アンに自分を投影していたのだと思う。
袖の膨らんだ服は、
かわいくて、やさしくて、
キラキラしたダイアナが着る服だ。
私はダイアナになりたかった。
私は容姿にコンプレックスがあり、
だから、見かけで判断すること、
されることに抵抗感があった。
しかし、実際は、実は、
自分が見かけで人を判断していたのだ、
ということを、去年気が付いたわけだけれども、
まだまだ、見かけで判断する私、残ってるなあ。
この服は私に似合うに違ないと
彼女が思ったのなら、そうなのだ。
私にとってのダイアナの象徴である、
袖が膨らんだかわいらしい服、
私も着ていいんだな。
自信をもって、喜びと感謝を感じて、
堂々と、このいただいた服を着よう。
今ならこう思う。
アンにはアンの美しさがある。