コーチング練習&自分軸探し、
ということで、スクール仲間とネットを通してセッション。
「すごく楽しかった事、幸せな瞬間、至福の時」を掘り下げるなかで見えてきたものは、自分でも、予想外の言葉で、ちょっとびっくりした。
幸せなときはいろいろあるけれど、
ぱっと出てきて、常に何回も思っているな、と思う瞬間は、
「雪山の上から見る景色」「白馬の大根館の喫茶にいる自分」
ちなみに、大根館というのは、白馬八方にある、昔からある宿。
大学生の頃、居候して働きながらひたすらスキーをしていた私たちは、毎日、朝仕事、夜仕事が終わると広い喫茶(というカーペットを敷いた居間のようなスペース)に集まり、ごろごろしたり、話したり、飲んだり、過ごしていました。
卒業してからも遊びに行くと、誰かに出会い、喫茶でまたおもいおもいの時間を過ごす…出入り自由であり、それぞれが、くっついているようなくっついてないような、、、そんな場所。
結果、たどり着いたところは、
いっさい人に気を使わないで、
自分の感性を自由にしていられる(在れる)
わがままに、自分のまま在る、いる
でした。
・・・そうそうそうだ。
そういう至福を感じる時って、
「私」「ここに居る」ことを心から(ってゆうかなんか魂が)楽しんで喜んでる時かも!
雪山も、ただただ、自然の素晴しさを、
なーんの自分のフィルターなしに魂が感じている状態。
大根館も、喫茶も、ただ、無条件に私を受け入れてくれる空間。
その匂いや大きな一面ガラスの窓から見える景色や、集う人。
年齢もバックグラウンドもバラバラ。だけど、ただ、スキーが好きで、山が好きで、大根が好きで集まっている人が集う空間。
だから、それ以外のものは何もいらなくて、素の自分でそこに居られる。
なぜ、そうなのか。学生の頃、長い時間を過ごしたからなのか、オーナーのMさんの在り方だからなのか、白馬だからなのか。そこは、なぜだかよくわからないけど^^;
でも、そんなコトは、薄々思っていたけど
なぜそんなにも喫茶が好きなのか、雪山が好きなのか、
自分の言葉として、出てきたときは、ちょっと衝撃でした。
すごいね~。しかも、コーチングされるの嫌いの私が、
自然と深く入れたから不思議。
なぎちゃん、ありがとね~!!