週末土日のうち、海外出張など、よほどのことがなければ

どちらか1日は円覚寺暁天坐禅会に参加させていただいている。

気候や体調がよく、気分もノリノリだったら両日とも参加する。

 

週のうち一回だけ参加する場合、土曜日の方が多いのだが、

今週は金曜日の夜に送別会がありお酒を飲んでしまったため、

早朝の運転を避けるために日曜にした。
というのは建前で、本当は布団から出れなかった自分が弱いだけなのである。

 

休みの日の早朝というものは、本当に気分が良い。

真っ暗な布団の中で、「いま起きて坐禅に行くこともできるし、行かずに二度寝もできる」

という自由をかみしめることができる。

当然そのまま二度寝してしまうのが楽なのだが、「よし、坐禅に行こう」って思う瞬間、

自分に勝った気がして大変気分が良い。

 

妻や犬を起こさないように静かに布団から出て顔を洗い、服を着替える。

冬場にはいつも履いているナイロンのジャージを今日も履いた。

なんだかいつもより足元が寒い気がしたので、レッグウォーマーを追加して出発。

出発時刻5:20。

 

車が北鎌倉駅前駐車場に着いたのが5:35。

普段なら2,3台先行している車がいるが、今日は私が一番乗りのようだ。

急に「今日休みじゃないだろうな?」と心配になり、スマホで予定を確認していると

見慣れた車が3台4台と入ってきた。一安心だ。

まだ時間があるので車中で修養聖典を一読し、般若心経と坐禅和讃を頭に叩き込んだ。

両方とも大筋では覚えているが、どうしても言葉がさっと出てこない部分がある。

それが分かっているならそこを重点的にやればいいのだが、そこばかり見ていると

他を忘れるのがオッサンのキャパシティなのだ。

 

駐車場から通用門をくくり、緩やかな坂を上ると仏殿前にいつもの常連さんがいつものように

スーッと煙のように立っていた。今日は2番目のようだ。

常連さんに一礼してお坊さんを待っていると、真っ赤な服を着た男性が私の後に並んだ。

更にもう一人が続き、4人になったところで今日のお坊さんが到着。

初めてみる人だと思った。実際は私がたまに来るだけで、このお坊さんの方が何十倍も

お世話をされているはずだが、どのような取り仕切りをしていただけるのか期待した。

 

今日のお坊さんはとんがっているところがなく、淡々とした雰囲気で、自然体の感じがした。

参加者たちで正面の扉を開けるお手伝いをして、仏像に一礼してからお気に入りの場所に坐った。

お気に入りの場所に坐れるのは早く来たご褒美だ。

5:47北鎌倉着の電車を降りた参加者約30名が裏口から入場してくるとき、私は座蒲の上に坐り、

姿勢を作っていた。

 

ちらっと常連さんの方(常連さんも坐る場所が決まっている)を見ると、さすがの自然体ですでに

始めていた。いつも結跏趺坐を組んでいて、すごいなと思う。

私はそろそろ2年になろうかというのに、半跏趺坐しかやったことがない。

1回目の坐禅は右足を左の腿に乗せ、2回目は逆に左足を右腿に乗せてバランスをとるようにしている。

もう少し暖かくなったら筋も柔らかくなるだろうから、そのときは結跏趺坐に挑戦してみよう。

 

本日の「初めてさん」は女性の方が1名のようだ。

お坊さんが「初めてさん」に形の説明をしているのをぼんやり聞きながら、自分は瞑想モードに入る。

拍子木が鳴ると正式スタートになる。拍子木がなる前の、このボーナス時間が好きだ。

 

そういえば最初のころは目線をどうするか色々工夫したことを思い出した。

今は瞼からも目玉からも力を抜いてあげている。

何か見たくなればそちらを見ればいいし、見ようと思わなければ動かないだけだ。

ただ、ふっと気持ちよくなるときがある。このとき実は瞑想ではなく寝落ちしているのでその区別は重要だ。

 

今日は背中がとにかく固い。

先週も脱力するのに難儀したが、今日も同じだ。

来週来るときは並ぶ前に簡単にストレッチしてからにしよう。

 

お坊さんによる拍子木が力強く鳴り、坐禅会がスタートした。

外は真っ暗なので、何も音がしない。明るくなってくると雀がチュンチュン始めるが、

この時間はここに集った人間、約35名だけのものだ。

実際には音はないが、耳にはツーンというような音が聞こえる気がする

たぶんこれがマンガで「シーン」と表現される音なんだろうと思う。

 

後ろの方で、おなかがギュルギュル鳴っている人がいた。

左からも同じく聞こえてくる。

あまりにも音がないので、小さな音でもよくわかる。

私もよく鳴らすほうだ。坐っていると胃腸が動き出すので、仕方のないことだ。

ただ、恥ずかしいとは誰も思わないし、笑う人もいない。

おならをすれば別かもしれないが、さすがにそれは我慢するだろう。

 

坐禅は1回15分から20分の時間行う。

世の中でいう生産的なことを何もしないが、わざわざ朝早起きする。

毎回新しい初心者さんが来られ、お坊さんが説明し、修養聖典をプレゼントしているが

何度も参加する人は本当に限られている。

ずっと参加されていても、突然来なくなったりする。

朝起きるのがつらくなって、さぼりがちになっただけならいいのだけれど、

もし病気やケガでこれなくなったのなら早くよくなって参加してほしい思う。

 

別にほかの参加者と会話することもなく、無言で参加して、終わったら無言で帰るだけなのだけれど

不思議と参加者の顔はよく覚えている。

誰がどの場所を好んで坐るかも覚えているし、前回顔を見たのはいつ頃だったかというのも、顔を見ると思い出す。

でも、顔を見ないと記憶からスッパリ抜け落ちる。

不思議なものだ。

 

今日は大相撲初場所の千秋楽だ。

家事をきっちり終わらせて、照ノ富士と琴の若の優勝争いを楽しむことにしよう。