ABC

アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(American Broadcasting Company、アメリカ放送会社 略称: ABC)は、アメリカ合衆国のテレビの民間放送ネットワーク。1943年に前者のラジオネットワーク「NBC ブルーネットワーク」から独立するかたちで創立。ABCは総合メディア・コングロマリットのウォルト・ディズニー・カンパニーの傘下であり、ウォルト・ディズニー・テレビジョンの一員である。テレビ放送は1948年に開始。ABCは職員数ではなく、収入額で世界最大の放送局である。ABCはかつての3大テレビネットワーク、のちにFOXを加えた4大テレビネットワークの一つで、その放送番組はアメリカの大衆文化に大きく貢献した。

本社はニューヨーク・マンハッタンの西66丁目、アッパーウェストサイドに所在する[1]。ニュース部門の拠点も西66丁目である。娯楽番組のオフィスはカリフォルニア州バーバンクに所在し、ウォルト・ディズニー・スタジオおよびウォルト・ディズニー・カンパニー本社に隣接している。

本社前の通りには、ABCニュースで長らくキャスターを務めたピーター・ジェニングスをしのび、ピーター・ジェニングス・ウェイと名付けられている。

ABCの正式名称は American Broadcasting Companies, Inc. (アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーズ・インク)であり、社内ネットワークの版権情報および会社の給与明細を含む全ての公文書に記載される。 ABC Inc. (以前の Capital Cities/ABC Inc.)はABCの直接の親会社であり、オーナーはディズニーである。「ABC」はアルファベットの最初の3文字であることから、ネットワークはしばしば「アルファベット・ネットワーク Alphabet Network」とも呼ばれる。


    1940年 放送局「NBC(National Broadcasting Company)」が、連邦通信委員会(FCC)の命令によって2社(NBC Blue Network, Inc.とNBC Red Network, Inc.)に分割される。
    1943年 エドワード・ジョン・ノーブルがRCAからNBC Blue Network, Inc.を買収し、The Blue Network, Inc.と改称し、ネットワーク名を「American Broadcasting Company(ABC)」とする。
    1948年4月19日 テレビ放送を開始する。
    1953年 ユナイテッド・パラマウント・シアターズ社と合併する。
    1986年 メディア会社「キャピタル・シティーズ」[注釈 1]と合併し、社名をキャピタル・シティーズ/ABCと改称する。
    1996年 エンターテインメント会社ウォルト・ディズニー・カンパニーに買収され、社名をThe American Broadcasting Companies, Inc. (The ABC, Inc.) と改称する。
    2006年 ラジオ部門をチタデル・ブロードキャスティング社(Citadel Broadcasting Corporation)に売却。

創設
真のラジオネットワークが組織された1920年代後半から、アメリカ合衆国におけるラジオ放送は、CBSと、RCAの子会社であるNBCの2社によって支配された。

RCAは1926年のNBC創立以前に、当時AT&Tの子会社であったニューヨークのラジオ局・WEAF(後のWNBC、現在はCBSの子会社であるWFAN)を購入した。RCAはWEAFを手に入れると共に、アメリカ北東部で番組を他の局に供給する緩やかに組織化されたシステム、すなわちネットワークも手にした。WEAFグループを手に入れる以前の1926年中頃の時点で、RCAは同様のグループを所有しており、それはRCAが1923年にウェスティングハウスから入手した、ニューアークのWJZを中心としたシステムであった。これらはRCAの二つのネットワーク、「レッド」と「ブルー」の基礎となった。伝えられるところに依ると、レッドとブルーの名称は初期の技術者達が系列を指示するときに使用する画鋲の色(WEAFが赤でWJZが青)からきたとされる。

3年におよぶ調査の後、1940年5月に連邦通信委員会 (FCC) は「Report on Chain Broadcasting」と言うレポートを発行した。このレポートでは「NBCレッド、NBCブルー、CBS、MBSがアメリカの放送界を支配している」とし、それらの「分離」を提案、RCAに一つのネットワークの売却を要求した。

NBCレッドは最大のラジオネットワークで、主に娯楽番組と音楽番組を放送していた。加えて多くのレッド系列が大出力で明瞭な局であり、全国的に聴取されていた。NBCブルーは主にニュース番組および教養番組を放送しており、それらの大半が「支え」であり、スポンサーなしであった。他の調査結果でFCCはRCAがNBCレッドに対する競争を抑圧するのにNBCブルーを使用したと主張した。FCCはネットワークを直接規制したり、認可したりはしなかったが、そのレポートは個々の局に対する認可に影響を及ぼすかもしれなかった。結果としてFCCは「複数のネットワークを保持するネットワークに属する標準的な放送局に、免許は付与しない。」と決定した。NBCはこの間接的なスタイルの規制は違法であると主張し、裁判に訴えた。しかしながら裁判はFCCの勝利となり、NBCは1942年1月8日にレッドとブルーの分離を決め、ブルーを売却することとした[2]。

RCAはNBCブルー売却の任務をマーク・ウッズに託した。1942年から43年にかけてNBCレッドとNBCブルーはそれらの資産を分割した。ブルーの価格は800万ドルに決定し、ウッズは購入する見込みのある者を見て回った。それらの中に投資銀行のディロン・リードがあり、750万ドルの申し入れがあった。しかしながらウッズとRCA社長のデヴィッド・サーノフは800万ドルの価格を固守した。NBCブルーの資産は地上通信線のリース権およびニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴ、ロサンゼルスのスタジオ施設、約60の系列下のタレントとの契約、「ブルー」に関連づけられた商標と人々の好感(グッドウィル)、3つの放送局(ニューヨークのWJZ、サンフランシスコのKGO、シカゴのWENR)へのライセンスが含まれた。

RCAは最終的に、エドワード・ノーブル(ライフセーバーズキャンディおよびレックスオールのドラッグストアチェーンのオーナー)にNBCブルーを売却することとなった。放送局のライセンスを移管するに当たって、ノーブルは所有するニューヨークのラジオ局、WMCAを売却しなければならなかった。FCCのヒアリングでノーブルはマーク・ウッズを社長としてとどめるという意思を示したため、論争が生じた。それはウッズが彼の元雇い主とともに(そしてそのために)働き続けるという提案に至った。これにはネットワークの売却に狂いが生じる可能性があった。ヒアリングの間、ウッズは新しいネットワークはアメリカ労働総同盟に放送時間を販売しないと発言した。ノーブルは同様の点に関してNABコードの後ろに隠れることで質問するのを回避した。不満を感じた議長はノーブルは少し再考するように勧めた。彼はその勧めに応じ、1943年10月12日にネットワークの売却は完了した。「ザ・ブルー・ネットワーク」として知られる新たなネットワークはアメリカン・ブロードキャスティング・システム(ノーブルが取引の結果設立した会社)によって所有された[3]。ブルー・ネットワークはアメリカ労働総同盟にも放送時間を販売した。

1944年9月にノーブルは「American Broadcasting Company」(WOLから)、「American Broadcasting Corporation」(WLAPから)、「American Network」(すでに活動を停止したFM局から)の名称の権利を取得し、「American Broadcasting System」から「American Broadcasting Company」への改名を法的にクリア、NBCブルーは「ABC」に改名された[4]。このことは改名の嵐を引き起こした。CBSは混乱を避けるため、1946年にニューヨークの主要局、WABC 880のコールサインをWCBSに変更した。1953年にニューヨークのWJZと姉妹テレビ局は放棄されていたWABCとWABC-TVのコールレターを取得した。(ウェスティングハウスは1959年にボルチモアのTV局を取得した際、これにWJZのコールレターを再び使用することにした。ボルチモアのWJZ-TVと姉妹ラジオ局は現在CBSが所有する。)

ABCラジオは僅かなヒット番組および著名なスターと共にゆっくりと始まり、聴取者を育てなければならなかった。ノーブルはより多くの放送局を買収し、その中にはデトロイトのWXYZも含まれた。WXYTはいくつかの人気シリーズを作り出した局であり、『ローン・レンジャー』、『サージェント・プレストン』、『グリーン・ホーネット』もWXYTのオリジナル・プログラムであった。ノーブルはまたハリウッドの製作基盤をネットワークに与えるため、ロサンゼルスのKECA(現在のKABC)も買収した。裏番組の編成はABCの特徴となった。例えば、『ストップ・ザ・ミュージック!』のような耳障りなクイズ番組をNBCやCBSのより考え深い番組に当てるなどである。番組製作のポリシーは事前録音の使用を禁ずることとなった。占領下のドイツから返却された高品質な録音テープを使用して、ABCは緊密なスケジュールから自由を欲しがった何名かの著名なスター(例えば、ビング・クロスビー)を引きつけることとなった。1940年代後半にABCは依然として4番目のネットワークと評されていたが、その勢いは既存のネットワークに迫り始めていた。



NBC

(National Broadcasting Company、全国放送会社)は、アメリカ合衆国の三大ネットワーク(Big Three television networks)のひとつで、NBCユニバーサルグループの主体となる企業である。ネットワークの本部はニューヨーク・マンハッタンのロックフェラー・センター(GEビルディング)に置かれている。

1926年 RCAの子会社として設立され、2つのネットワーク(NBC Red networkとNBC Blue network)で運営する。
1939年 テレビ試験放送開始。
1940年 連邦通信委員会がWEAFチェーンを独占行為で起訴。NBC 側敗訴により、NBC Red network がNBC Red Network, Inc.、また、NBC Blue network がNBC Blue Network, Inc.と2社に分割される。赤ネットは以前AT&T 所有であったネットワークをRCA が買収した事業。青ネットはRCA が独自に開拓したネットワーク事業。
1941年7月1日 世界で初めてテレビ本放送開始(米CBSと同時)。
1943年 親会社「RCA」がNBC Blue Network, Inc.をエドワード・ジョン・ノーブルに売却し、社名をThe Blue Network, Inc.と改称し、ネットワーク名を「アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(ABC)」とする。
1953年10月30日 世界初のNTSC方式によるカラー試験放送を開始。
1954年1月23日 世界初のカラー本放送を開始(NTSC方式)。
1958年3月 世界初のテレビジョンでの1波によるステレオ音声放送(従来のモノラル音声放送との両立性がある独自方式)を行う(カラー放送のペリー・コモ・ショーにて)。
1958年4月 世界で初めて2インチのカラーVTRが導入される。
1966年9月 再放送を除く放送番組が全部カラー放送になる(ABC、CBSも同時)。
1986年 親会社「RCA」がゼネラル・エレクトリックに買収されたため、ゼネラル・エレクトリックの傘下となる。
1987年 NBCのラジオ部門が、ウエストウッド・ワン社に売却される(3大ネットワークのうち、初めてラジオネットワークから撤退することとなる)。
2004年 ヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンタテインメント(ヴィヴェンディ・ユニバーサルの娯楽部門で、映画会社「ユニバーサル・スタジオ」が属す)と合併し、NBCユニバーサルを設立する。



CNN

(Cable News Network)は、ワーナーメディアの一部門であるワーナー・メディア・ニュース・スポーツが所有するアメリカ合衆国のケーブルテレビおよび衛星放送向けのニュースチャンネルである。

1980年にテッド・ターナーによって世界初の24時間放送するニュース専門のチャンネルとして設立された。ジョージア州アトランタに本社を置く。

ロバート・エドワード(テッド)・ターナー3世(英: Robert Edward "Ted" Turner III、1938年11月19日 - )は、アメリカのメディア業界人。実業家。CNN創業者。国際連合など国際機関に多額の寄付をしていることでも知られる。オハイオ州シンシナティ生まれ。

『フォーブス』誌の2012年度世界長者番付によると、20億ドルの純資産を有する世界634位、米国224位の資産家である[1]。全米各地に合計面積2百万エーカー(8,094 km2)以上の牧場を所有し、45,000頭以上のバイソン(野牛)を飼育している。バイソン肉のステーキハウス「テッズ・モンタナ・グリル(Ted's Montana Grill)」を全米に展開中。

自殺した父親の遺産を24歳の時に相続し、それを元手に1970年にアトランタのテレビ放送局を買収し、放送局事業に参入。その後これを元に創業したCNNは世界初のニュース専門局として発展。キャスターに有色人種を多用するなど、放送業界やテレビジャーナリズムを大きく変革させた。他にCNNよりも多くの国で放送されているアニメ専門チャンネルカートゥーン ネットワークらも創業している。

アメリカ大リーグ野球 (MLB) チームのアトランタ・ブレーブス、アトランタ・ホークス、映画会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーを買収。1977年当時のブレーブスは弱小チームで業を煮やしたターナーは自らシーズン途中に監督になったが1試合監督しただけで機構側に認められず退任した。同年にはヨットCourageousの船長としてアメリカスカップに出場し、優勝したが、その優勝会見において泥酔していたことが物議を醸した。1990年代アトランタ・ブレーブスは投手王国として地区優勝を何度も経験している。

1996年にはCNN、TNT、CN、ターナー・エンターテインメント、ニュー・ライン・シネマなどターナーのケーブルテレビ局・エンターテインメントビジネスを統括する事業持株会社ターナー・ブロードキャスティング・システム (TBS)がタイム・ワーナー社と合併。ターナーはタイム・ワーナーの副会長兼ケーブルネットワーク部門の会長に就いた。その後2001年にタイム・ワーナー社とAOL社は合併しAOLタイム・ワーナー社となった(その後社名をタイム・ワーナーに戻す)。2003年に副会長職を辞職、2006年には取締役からも退いた。現在、ターナーのタイム・ワーナーの所有率(普通株式ベース)は1%以下である。

2018年10月25日、BBCによると、デビー・ワッサーマン・シュルツの名前を騙ったパイプ爆弾の爆発物が、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ、CNN、ジョン・オーウェン・ブレナンCIA長官、エリック・ホルダー司法長官、ジョージ・ソロスに送られたが爆発しなかった[4]。10月26日にFBIは指紋からフロリダ州在住の熱烈なドナルド・トランプ支持者の56歳の男シーザー・セヨクを逮捕した[5][6]。