小泉劇場、最大のヤマ場 「郵政解散」

2005年8月、小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。

郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。

しかし「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没していく。結局、改選前177議席を大きく下回る113議席という結果に終わり、岡田民主党は歴史的大敗を喫した。岡田は即日代表辞任の意向を表明する

党代表後継には菅直人と前原誠司が名乗りを上げる。当初は菅有利と見られていたものの、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手する。耐震偽装問題で馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。

しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれる。これにより、民主党は解党の噂すら実しやかに囁かれる、危機的な状況に陥った。

4月、小沢一郎が菅直人を破り、新代表に就任する。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。

小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当ての導入、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策を打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通しが立てられたのもこの時期である。

地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参議院議員通常選挙でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党の逆転を果たし、「ねじれ国会」のイーブンに持ち込むことに成功した

ちゃんとした国民のための政治は「天とは戦わないので国民の承認を得られる」わけです。

今回小沢さんの「現在の民主党は既に国民の承認を得た民主党ではなくなっている」が正論であり、天からの見方だと思います。


トロイカ体制
原義は、ソビエト連邦においてレーニンの死後、トロツキーとスターリンの対立により、スターリン、ジノヴィエフ、カーメネフによって形成された集団指導体制のことである。
その後に同国で、スターリンの死後、権力が書記長一人に集中するのを防ぐために、3人に権限を分散させた集団指導体制のこともトロイカ体制と呼ぶようになった。最初の分散先役職は第一書記、最高会議幹部会議長(国家元首)、首相。
また、これらから転じて、ソビエト連邦以外の様々な組織における、3人の指導者で組織を運営する体制のこととしても使用される。
代表小沢一郎(自由党出身)、元代表であり党内実力者である菅直人、鳩山由紀夫をそれぞれ代表代行、幹事長として挙党一致体制を敷いた体制。