(真ん中にいる白髪の男性が監督ウディ・アレン)

 

(ネタバレあります)

~筋書きと背景~

もし恋愛学なる学問があったとしたら、博士号を取得し大学で教鞭をとれそうなほど多くの恋愛映画の脚本を書き、監督してきたウディ・アレン。一年に一本のペースで映画を撮っていた時期もあるほど多作の作家だ。

この小品を撮った時、アレンも御年80歳。恋愛に対していかにも傍観者然とした距離を取るそのスタンスは、小さな額縁の中に納まった古い写真を遠くから眺めているかのよう。セピア色に染まった思い出の風景のように。時代設定が1928年だから? それとも、アレン自身プライベートでも、恋の当事者ではなくなり、純粋な観察者となってしまったから?

かつて女優ダイアン・キートンやミア・ファロー等との恋を楽しんでいた彼も結婚して久しい(妻スン・イーとの歳の差結婚は世間を騒がせた)。アレンは自ら監督作に出演して、主演を張ることもあったし、ダイアンやミアも彼の映画に出演してきた。仕事とプライベートが深く結び付き、そこには女優との恋愛も深く絡んでいたが、そんな疲れる立場から今は距離を置いて、誰かが自分の筋書き通りに恋に溺れるのを見ては楽しんでいるのだ。

 

公園の池に漂うつがいのカモを、手すりに肘をついて眺めているようなのどかさ。または、現役を引退したスポーツ選手が雄弁な解説者に転向したような感じ、と言えばあたらずとも遠からず…かな?

物語の舞台となる、光あふれる南仏の保養地、コート・ダジュールは色彩豊かに輝き、登場人物たちの多くは騒々しいくらいよくしゃべる。ただ、1928年といえば。今から90年も昔、アレンが生まれる十年前…歴史は特に詳しくない僕なので、ちょっと背景を調べてみた。

第一次大戦が終わって十年目、好景気に沸くアメリカに始まった『狂乱の二十年代』と呼ばれる文化や芸術の変化、充実は、やがてヨーロッパ各国にまで及んだ(この辺からWikipediaの受け売り(笑))。ジャズ・エイジにダンスホール、禁酒法とギャングの隆盛、ラジオ中継にベーブ・ルース、自動車の普及と車中での若者のペッティング、アールデコ・建築とニューヨークの摩天楼、希望と欲望に溢れた時代だったと言える。

物語のヒロイン、ソフィ・ベイカー(エマ・ストーン)は、当時の社会を覆っていた変化の波を象徴するアメリカからやってくる。この時代、おとなしく家庭におさまらず、外で酒や煙草をたしなみダンスを踊り、様々な職種を通じて社会に進出する新しい女性達が都市部を中心に増えていが、彼女の職業は一風変わっており、霊媒師だった。

大金持ちの御曹司に見初められていい仲になりそうだった彼女の嘘を見破ろうと、遠くドイツはベルリンから友人に引っ張られてやってきたのが稀代のマジシャン、スタンリー・クロフォード(コリン・ファース)。彼は世界的な称賛を浴びる完璧主義者の奇術師で、いかにも理屈っぽく神経質なイギリス人だが、舞台の上ではちょび髭がぴんとはねるやけに堂々とした中国人・ウェイ・リング・ソーとして通していて、客もそう信じている。

 

緑と海がまぶしい保養地に現れたコリン・ファースは中国人の変装を解き、カジュアルな格好で本来の自分に戻っているが、あまりリラックスしているようには見えない。疑り深い目つきをして、口の端を常にぴくぴくとひきつらせているように見えるのが可笑しい。

こんな二人が互いを品定めしながら恋に落ちていく様子を物語はそつなく描いていく。死者からの「精神の波動」とやらを受け取って、彼女には知りえないはずの情報をたびたび口にするソフィ。

スタンリーは自分の育ての親である叔母の前にソフィを連れていき、お得意の霊感で、何か叔母の秘密を言い当てて見せろと高飛車に命じる。ソフィは思い出の品である古いネックレスを手渡されると、叔母の過去に秘められた許されぬ恋を言い当て、ついに死後の世界を否定してきたスタンリーの信念は打ち崩される。人は限りある儚い命にしがみ付くだけの不幸な存在だと信じ、厭世家の憂鬱を身にまとって生きてきた彼の表情に光が差し、人が変わったように明るくなる。


 

記者会見まで開いて彼女の霊能力を大々的に喧伝するスタンリー。そんな彼の複雑な性格にソフィは惹かれていくが、やがて彼女の嘘が明らかになり…

 

~感想~

チャーミングなペテン師と毒舌化のマジシャン。ともに人を騙すことを生業とする、貧しい出の20代の美女とエリートの50代紳士。二人とも理想的な婚約者がいるにもかかわらず相手を好きになる。

プライドの高い紳士は一度は美女を振るが、自分の恋心に嘘は付けず後にプロポーズする。紳士の毒舌に散々傷つけられていた美女も一度は彼を拒絶するが、紳士の愛の深さを知ると、若い億万長者との婚約を蹴って紳士の元に走る。いやはや、なんとも。確かに甘ったるい。

 

だが、この作品の『軽さ』が批判されるのは的外れな気がする。楽しければ、軽さは欠点にならないからだ。厭世家の凄腕マジシャンと、美しくチャーミングな霊媒詐欺師の間で二転三転する恋の駆け引きは、僕には結構楽しめた(我ながら実に偉そうな物言いで恐縮ですが)。

連想するのは、イギリスの上流階級が午後にたしなむ紅茶の付け合わせに出てくる甘い焼き菓子。気軽に味わえて腹にもたれず、しかし確実にその時間を豊かにしてくれるそんな味わいがこの映画にはある。

作品に漂うおとぎ話のような雰囲気を助長しているのは二人の歳の差だろう。往年の名画『サブリナ』の中で、ポガートに惚れるヘブバーンのように、20代そこそこのエマ・ストーンが50台のコリン・ファースに恋をし、コリンもまた彼女に強く惹かれるという、中年男の夢物語みたいな筋書きが、それほど違和感なく受け入れられたのは、食うや食わずの生活の中で詐欺師として身を立ててきたエマが地位や財産に弱く、コリンが世界的なマジシャンだからと考えるのは穿ちすぎだろうか。

 

でも、観客は二人に結ばれてほしいと願う。ソフィのキャラクターは性格の気さくさと率直さで好感を持てるし、特権意識丸出しの毒舌を吐きまくるコリンも嫌な奴になり切れない。傷ついた孤独な心を感じさせるコリンならではの雰囲気と、優しいまなざし故で、監督アレンはそんな彼の役者としての味わいを理解した上てこの役に据えたのだろう。チェスの名手が適切な駒を適切なマスに置くように。『大統領のスピーチ』いらい、エリート意識を鎧替わりに傷ついた繊細な心を守る中年男を演じ続けてきたコリンにとっては新鮮味のある役柄ではないが、はまり具合は完璧だ。

 

…彼(スタンリー)とは実に興味深い話をしたよ。あの様子じゃあ、典型的な神経症性人格障害だな…優秀だが仲の悪かった両親、母親よりも叔母と親密…人生は無意味だと思い込み、すべてを芸術で充足させようとしている…非常に、不幸な男だ。気に入ったよ

(劇中に出てくる精神科医が知り合ったばかりのスタンリーを評した言葉。AmazonPrimeの吹き替え版より引用)

 

コリン演じるスタンリーは、女詐欺師、おば、ライバルのマジシャン、理知的な婚約者、精神科医等から鋭い人格分析を受けている。詐欺師の詐欺を暴くはずが、本当に暴かれたのは彼の孤独とひねくれた心の方だ。ミイラ取りがミイラになった。このあたり、スタンリーのキャラクターには監督自身が投影されているのかも。

スタンリーの唯一の友はライバルのマジシャンだが、友は彼を理解し、同情するとともに、その成功を妬んでもいる。妬み故に彼が仕掛けたトリックにスタンリーは見事に引っかかる訳だが、それでも友を許すあたり、幼馴染との仲の良さが窺われる。裏切りに怒り復讐するようなドロドロした展開がなく、気持ちのいい和解へとつながっているのが良い。

スタンの長所も短所も知り尽くしたこのライバルが、影の主人公だとも言える。

 

 愛や夢など信じない一人の男が改心されていく過程を描くこの映画は、一見軽く見えるが、実は結構深いテーマが隠れている。ニーチェの言葉「神は死んだ」の引用、死後の世界の是非をめぐる盛り場での議論。エリートのプライドと貧しい者への露骨な偏見、志を同じくする者たちの間に芽生える、才能への嫉妬とそれを超えた友情…。

 

 騙す者が騙されるというなじみの筋書きに新鮮味はないが、洗練された演出が心地よい。音楽は懐古趣味的で、若い観客の耳にはなじみずらいかもしれない。そして白黒映画をそのままカラーにしたかのようなレトロな画面構成。20年代の西洋文化へのこだわりが画面に溢れていて、その辺で観客の好みが分かれそうだ。

 それにおとぎ話じみた雰囲気。一介のマジシャンが一人の霊媒師に出会い、死後の世界を信ずるに至ったからと言って、ふつうは記者会見を開いたりするだろうか? 現実の世界の人々の殆どはそんなことに耳を傾けるほど暇じゃない。それを堂々とやってしまうあたり、この物語のある種大人の絵本のような雰囲気を醸成する一助となっている。

 

「結婚したらなにをくれるの?」

主人公の遅すぎたプロポーズにソフィは問い返す。妙に生活を感じさせるリアルなセリフだ。貧しい中必死に生きてきた彼女にとって結婚には取引の側面もあるからだろう。だが脚本家はソフィが守銭奴のように見えないよう、シニカルな主人公に向かって愛や幻想の必要性を主張させることで性格のバランスをとっている。

 

仕事の結果に努力の跡を見せないのがほんとのプロだというが、アレンは実にさらりとこの作品を撮っているように見える。料理の達人が手早く仕上げた菓子のように、可愛く飾られたこの一品、味わうだけの価値はありました。