どうも、語り口を「~である」にするか、『~です』にするかで考えが定まりません。

今日は気持ちがほぐれているので「~です」調で行きます。この映画は面白かったので、少し筋を詳細に追いながら感想を綴っていきたいと思います。

 

・イギリスの大衆文学と海洋小説

 イギリス文学には海洋小説の分野で国民に広く根付いている独自ジャンルがあるそうです。ナポレオンがヨーロッパ制覇を企てた1803年から1815年までの時代を背景に、それを阻止せんとただ一国奮闘する英国海軍の活躍を描くジャンルです。フランス人にとっては英雄のナポレオンですが、彼の支配を被る周辺諸国にとっては傲慢な圧政者。暗雲渦巻くヨーロッパ大陸とは海を隔てた島国のイギリスは、強力な海軍をもって、大西洋や地中海を舞台にナポレオンの艦隊と戦います。

 

・19世紀初頭の外洋船と軍艦

 当時、海洋船舶の主たる動力源は風でした。発明されたばかりの蒸気機関が広く船に搭載されるようになるのは、まだ半世紀ほど先のこと。逆に帆船の構造や造船技術は成熟しつつあり、多数の軍艦が建造され、艦隊が組まれました。星の運行を手掛かりに、六分儀などを駆使して現在地を特定し、目的地への方角や距離、移動時間を見定めます。そして日々訓練を積む水兵たちによる組織的な操帆で風を自在に受け止めて船を駆る操船術は、海軍士官を目指す候補生たちの頭に、あたかも一つの学問であるかのように叩き込まれます。

 帆船同士の戦闘では、風上に立った船が常に優位に立ち、標的を追いかけます。こうした軍艦は敵船を沈める大砲を20~130門の範囲で搭載し、その大きさや帆の付けかた、大砲の数などによって、戦列艦と呼ばれる巨大で重武装のタイプ、フリゲート艦と呼ばれる軽装で足の速いタイプなど、様々な種類がありました。

・二人の主人公

 さて、今回取り上げる映画、『マスター・アンド・コマンダー』は、この海洋小説という分野の中でも特に有名な作品の一つ、『オーブリー・マチュリン・シリーズ』(Aubrey–Maturin series)を原作にしています。主人公はイギリス海軍のフリゲート艦、サプライズ号の指揮官、ジャック・オーブリーと、彼の親友、スティーブン・マチュリンです。タフで強面なジャックに比して、マチュリンは腕利きの外科医にして博物学者としての顔も持つ繊細な男。二人は互いに腹蔵なくものを言い合える仲で、マチュリンはジャックにとって大切な相談相手であり、船員同士のいざこざや健康問題、天候に左右される航路の進捗、戦法の立案や人命のリスク等、日々持ち上がる問題に対し、自分とは違った見方を示してくれる知恵袋でもあります。多くの衝突を経てもなお壊れることのない二人の友情は、物語の大きな見どころとなっています。

 

・物語の流れ

 物語の冒頭、ブラジル北岸沖を航行する搭載砲28門、乗員197名の英国フリゲート艦サプライズ号の艦長ジャック・オーブリーに海軍本部から指令が下ります。フランスの私掠船アケロン号の太平洋進出を、撃沈、捕獲等手段を問わず阻止せよ、というものでした。 私掠船とは、敵国の船舶を襲う許可を自国の政府から得た民間の武装船です。奪った船や積み荷は自分のものにできる(ただし出資者や政府の取り分もあった)ので、私掠船は敵国の貿易船や商船などを探して飢えた野犬のように海をうろついていました。

いわば合法的な盗賊で、彼等を野放しにすることで政府は労せずして敵国の経済に圧力を加え、物資の補給を滞らせることができました。

 

ちなみにアケロン(Acheron)とはもともとギリシャ北西部に流れる川の名前です。この川は古代ギリシャ神話に登場する、『死者の魂を冥府へと渡す地下世界の川ステュクス』の支流と信じられていました。本作に登場する私掠船アケロンはその不気味な名前に相応しい神出鬼没ぶりから、サプライズ号の乗組員に幽霊船として恐れられます。

 

 冒頭、サプライズ号は霧の中に潜んでいたアケロン号から不意打ちを食らいます。被弾し反撃を試みるも、射程距離の短いサプライズ号の砲弾は、ある程度敵に近づかない限り届きません。位置につく砲手たちに「充分近づくまで待て!」と仕官から命令が飛びます。 ここが小型艦の泣き所で、長い槍を持つ相手に短い槍で戦いを挑むのと同じジレンマを味わいます。相手の攻撃を甘んじて受け、初めて反撃の機会を得られるのです。だから、船内に死体が転がり始めても、ジャックはひるむそぶりも見せず敵に直進させ、自艦の射程内に入ったのを見極め、ついに砲の発射を命じます。

 互いに舷側を向け擦れ違いながら撃ち合う両艦のショットが短く入りますが、アケロン号の船体が一周り大きいのは、その時はっきりと見て取れます。次々と飛んでくる敵弾で船は穴だらけ、隣で仲間が四肢を吹き飛ばされても、士官からは『怯むな』『持ち場を離れるな』と号令が飛ぶ水兵の立場の過酷さ。階下の船室には負傷者が次々と運び込まれ、船腹にあいた穴からは激しい浸水が始まり、舵板を撃ち抜かれ舵輪による操船が効かず、サプライズ号は敵艦の攻撃に圧倒された形です。

 

 不利を見て取ったジャックは、船外に降ろしたボート数隻で本船を牽引させ、霧の中に逃げ込む戦術をとりました。いわば尻尾を巻いて逃げ出したのですが、こうすることで敵艦が接舷し切り込み隊が突入してくるのを阻止できた訳で、艦長として懸命な判断と言えます。

 追っ手を振り切り、霧の中で一息ついたジャックは損害を知るために船内を回ります。排水ポンプらしき機械の重いハンドルを回す、半裸の男たち。捕虜か奴隷らしき彼らのみすぼらしい姿。ジャックは浸水を軽い程度で食い止めた水夫に労りの言葉をかけ、医務室に詰め込まれた多数の負傷者を見舞います。船医のマチュリンは忙しそうです。十代と思しき、あどけない顔の少年が、質素な寝具に汗ばみながら横たわっています。表情は健気にも平静を装っていますが、右腕は血まみれで、ジャックはその怪我が相当深刻なものであることを見て取り、胸を痛めます。

 事実この年若い士官候補生は後に右腕を失うことになるのですが、彼の父親は伯爵であり、ジャックと懇意の間柄であることがマチュリンとの会話から察せられます。士官候補生の中には出世を見込んで送り込まれた貴族階級の子息もあり、平民出の者より昇級は早かったたようです。彼らの身の安全は艦長の責任に託されますが、戦時の海で、逃げ隠れする場所もない甲板上では、危険はわけ隔てせず全ての者に降り注いできます。いかに艦長とて庇いきれるものではないのです。有力者の息子に重傷を負わせたジャックの立場をマチュリンは危惧しますが、ジャックはその懸念を一蹴します。「父親はわかってくれる。問題は母親だ」、と。

 冒頭二十分足らずでこれだけの内容を見せてくれる監督ピーター・ウィアーの手腕は大したものです。というかここに書ききれなかった要素もまだあるのですが。この映画はドラマが少なく退屈だといった批判がアマゾンのレビュー欄にありましたが、そんなことは全くありません。特に人物描写において非常に豊かな内容を持っています。ただ実にさりげなく描かれているので、漫然と見ていたのでは見逃してしまうところが多いのです。

 

 映画というのは、例えば連続もののテレビドラマとは違い、上演する時間の限られたメディアです。従って、映画の中に込めたい情報が多くなるほど、一つ一つを端的に伝える必要が出てきます。それらを一つ一つ逃さず拾い上げていくには、実はかなり注意深く鑑賞していなくてはいけません。それが、見返すごとに新たな発見がある、噛めば噛むほど味が出る…そんなタイプの映画が生まれる要因でもあるのですが。

 

 この作品で際立っている点の一つに、集団心理の描き方があります。

 冒頭、アケロン号が奇襲をかけてくるシーンから登場する、ホロムという士官候補生がいます。柔和な目をした優しい印象を与える青年ですが、警戒任務に立った早朝、望遠鏡をのぞいていると、霧の向こうに船影がちらりと映ります。それは、まさにこれから奇襲をかけんとする敵船の姿だったのですが、一瞬の目撃だったため、ホロムには確信が持てません。すぐにでも戦闘態勢を取らせるべきだったのですが、彼は同僚を呼び、意見を求めます。さらに悪いことに、周りの船員たちの顔色を窺い、逡巡します。こうした彼の姿は、上に立つ士官としては優柔不断で頼りなく見えます。

 夜、水夫たちが酒をあおって歌を歌うときも、声を合わせようとするホロムが歌いだすと、彼等は口を閉じて冷たく彼を見つめます。野太い男たちの声の中で、ホロムの声は鳥のように細く優雅なのですが、逆にその美しさがこの場でにはそぐわないものとして浮いてしまいます。彼は他の士官候補生に比べて、水兵からの信頼が薄く、この伏線が後々の悲しいドラマにつながっていきます。

 

 奇襲を辛くも逃れたサプライズ号ですが、数日後、再び背後にアケロンが姿を現します。総帆を上げて日暮れまで全速で逃げますが、ジャックには相手の船が自船より優れた最新の設計であり、追いつかれるのは時間の問題だと分かっていました。前夜、艦長室にいた彼を、ウォーリーとジョゼフ・ネグルという二人の水兵が訪れ、ボストンで建造中だったというアケロン号をウォーリーが目撃したとして、彼の口述を元にネグルが縮尺模型を作り、ジャックに見せに来たのでした。ちなみに、この二人が仲のいい友達同士であることは雰囲気から伝わってきますが、それもまた伏線です。

 

 ジャックは模型からアケロンの先進性を見抜き、サプライズ号より大型で重装備でも、スピードで勝るとわかったのです。ですが、ジャックは追いすがるアケロンを前に不敵な笑みを浮かべて奇手を打ちます。

 

 小型の筏を組み、追っ手との間に降ろします。筏のマストにはランタンをいくつか灯し、逆にサプライズ号はすべての照明を落とします。アケロンにはおとりである筏を追わせておいて、暗闇に紛れたサプライズ号は、その隙に敵の背後に回り込む、という寸法です。夜が明けたとき、風を背に受けたサプライズ号の行く手には、まんまと罠にかかったアケロンの後ろ姿がありました。船員たちは歓声を上げ、荒れ始める天候をものともせずに追跡にかかります。苦境を楽しみ、自信満々に乗り切ってみせるジャックに部下が心酔している様子がよく伝わってきます。

 

 ところが、ここで彼らを不運が襲います。荒れ狂う風雨にもぎ取られた後部マストが、マストに登って帆をたたんでいたウォーリーごと海中に落ちたのです。ウォーリーの援護を命じられていたホロムは浮足立ち彼の作業を手助けできず、手をこまねいているうちに起きた惨事でした。重いマストを引きずる船はバランスを崩し、あわや転覆というところでジャックは彼を見捨てる決意をします。そしてマストと船を繋ぐロープを叩き切る斧を、あえてウォーリーと仲の良かったネグルに持たせました。男たちは、背後の海で後部マストにしがみ付くウォーリーに苦渋の目を向けながらロープを全て断ち切ります。救いを求めるウォーリーの姿は荒波の向こうに消えました。

 

 その夜、船室には自分のふがいなさを悔やむホロムや、友の死を悼むネグルの姿がありました。打ち続く災難に、古参の水兵が「奴の仕業だ」と口走ります。船乗りたちに悪運を呼ぶ「ヨナ」という男が、このサプライズ号に乗り込んでいる、というのです。『ヨナ』は旧約聖書の『ヨナ書』に登場する人物ですが、堕落した危険な街に悔い改めるようお告げを告げに行けという神の命に背き、とある船に身を隠したところ、怒った神がその船に災難を起こし、最後は水夫たちの手によってヨナは海に投げ込まれる、という逸話があります。

 

 部下の損失に肩を落とすジャックに、自分の自尊心の為に敵を追いかけていないか、と問うマチュリン。ウォーリーは任務の範疇を超えた猛追の犠牲になったのではという見方にジャックは神妙な顔を見せますが、どこか納得がいかぬげです。部下の深い信頼と、敗北を受け入れない指揮官、この組み合わせの危険さを指摘するマチュリンの言葉は的確ですが、ジャックは任務に犠牲はつきものだ、と反駁します。

 

 獲物を見失ったサプライズ号は、雪交じりの風の中、ガラパゴス諸島を目指し北に舵を切ります。ガラパゴスには英国の捕鯨船団がいて、アケロンはそれらを狙って姿を現すだろうという読みでした。博物学者でもあるマチュリンは、未知の生物が生息する゛魔法の島々゛ガラパゴスに行くと知って胸を躍らせ、片腕を失ったブレイクニーと共に、珍しい生物の載った図鑑をめくります。ところが、ガラパゴスに着いてみると、アケロンはすでに一隻の捕鯨船を襲い、島を去ったあとでした。襲われた捕鯨船の生き残りからアケロンの向かう方角を聞いたジャックは、直ちに追跡に向かいます。ここで、これまで理性の塊のようだったマチュリンが、島に降りさせて~!、と駄々をこねるところは、彼の人間味がコミカルに伝わってきて愉快でした。

 

 追跡の途上、ジャックは昼夜に渡って部下に過酷な砲撃訓練を行わせ、戦闘に備えますが、またしても天候の不運が行く手を阻みます。海上がまったくの無風状態となり、太陽が照り付ける酷暑の中、何日も足止めを食らってしまったのです。軍艦としては小型とはいえ排水量600トン余の木造船は、補給のために最寄りの島に立ち寄りたくても身動きすらままなりません。

 

 食料は傷み、水は枯渇し、水夫たちの鬱屈が高まる中、再び『ヨナ』の伝承が彼らの俎上にのぼります。夕食の席で、プレイスという古参の水夫が『災難は、悪く考え悪く行う者からくる』とまことしやかに言うと、最初は笑っていた周りの者もやがて真顔になっていきます。このプレイス、冒頭の戦闘で負傷し開頭手術を受けてから、少し言動が怪しくなっていました。

 

 人は災難に見舞われると理由を知りたがるのが常ですが、この時代はまだ、科学よりも宗教や伝承が信じられていました。天候や潮の流れに運命を弄ばれてきた水夫に、古来受け継がれてきた迷信の数々。その一つが、スケープゴートを求める集団の醜い本性を表す『ヨナ』の伝説でした。悲しいことに、打ち続く災いを招いた張本人として、ホロムが目の敵にされるようになり、ある日甲板で彼とすれ違ったネグルは、公然と不遜な態度を見せます。それを目撃したジャックは、ネグルを鞭打ちの刑に処します。権力の乱用だとマチュリンは反対しますが、規律のためだと突っぱねられます。

 

 でも、これで規律が戻るかと思いきや、さにあらず。水夫たちのホロムに対する反感は一層燃え上がり、狭い船内ですれ違う水夫たちの敵意にあてられ、ホロムはノイローゼのようになってしまいます。そんな彼に「いつもの怠け癖だ」と冷たく接する候補生たちですが、一人、ブレイクニーだけは彼に同情し、庇います。

 その夜、ブレイクニーは一人甲板で歩哨に立っていました。何者かに肩を叩かれ、驚いて振り向くと、そこには少しさっぱりした顔のホロムが。体調を気遣うブレイクニーに、気分が良くなったと返す彼。再び見張りに戻るブレイクニーが、「明日は風が吹くかな」と呟いた時、「きっと吹くよ」と穏やかな声で答えた彼の胸中はいかばかりであったか。風が吹かな吹かなければ船は動かず、それを自分のせいにされていたのですから。

 この時のリー・イングルビーの演技は見事で、傷ついた若い心を穏やかな表情の下に秘めた姿は、目を奪わずにはおれません。彼は足元にあった鋼鉄の砲弾の一つをおもむろに抱きかかえると、「君の親切は忘れない」と、心のこもった礼をブレイクニーに伝えます。微笑み返すブレイクニーに感謝のこもった視線を投げ、しばしの間。そして最後に囁くような声で「さよなら」と告げると、すたすたとを舷側を乗り越え、まっすぐ海中に身を投じるのです。立てる波さえ憚れるような、伸ばした爪先から水に飲まれていく身投げの軌跡。なにか強い覚悟のようなものが伝わってきて、息を飲むシーンに仕上がっています。

 

 見るのも辛いエピソードですが、ここがこの映画の一つのハイライトになっています。物語はちょうど半ばを過ぎたあたりに差し掛かり、観客はここまで、帆船時代の軍艦という、日常とはかけ離れた世界を見てきました。そこに描かれているのは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」とはかけ離れた、愛や憎しみ、強さや弱さを抱えた生身の人間達の想いがひしめき合う過酷な世界です。

 水夫は皆、強制徴募によって街角から引っ立てられてきた市井の男たちで、なにも海のロマンに憧れて荒波に乗り出してきた訳ではありません。戦争さえなければ、皆、陸の上で各々の生活を営んでいたであろう、ごく普通の男たちが、国家の権力によって無理やり連れてこられ、海軍という巨大な機械の一部に組み込まれ、歯車にされ、すし詰めのねぐらでまずい飯を食い、固いベッドやハンモックで波に揺られながら眠り、朝になれば士官の怒声に駆り立てられてきつい労務に服す日々です。

 

 こうした根本的な矛盾、不当な扱い、ピラミッド型の階級社会、狭い世界の抑圧に、観客が漠然と抱いてきた違和感の集積が、一人の男の自殺という形で静かに結実するのです。翌朝、死者を弔うスピーチの中で、ジャックは言います。「たとえ理想の人間にはなれずとも、我々は等しく神の子供だ」と。この言葉には『理想の形』を強いる傲慢さと、それを自覚しているが故の悲しさが窺えます。

 そしてふと気づくと、風がマストを叩き始めていました。出航の時です。雨が降り、甲板の上で男たちが嬉々として水浴びに興じるのをよそに、ジャックは一人自室で海津を見つめ、戦略を練ります。

 

 ところが再びアクシデントが襲います。甲板にいたマチュリンが腹に鉛弾を食らい、重傷を負ったのです。船を追いかけてきたアホウドリを撃ち落とそうと、腕試しに発砲した海兵隊員の流れ弾に当たったのでした。折悪くサプライズ号の前方には、目指す標的、アケロンが姿を現します。追い風を受け、宿願を果たす絶好の機会を前に、ジャックは躊躇します。マチュリンを救うには、手術で弾を取り出さねばならず、弾を安全に取り出すには、揺れる船室ではなく、陸に患者をあげた方が確実です。

 結局ジャックは戦いよりも友を救う方を選び、ガラパゴス島に上陸。テントの中でマチュリンは頼りない船医助手ヒギンズからメスを取り上げ、自らの手で腹の弾を取り出します。手術は無事滞りなく終わり、暫らくの安静期間を経て何とかテントの外に出られるまでに回復します。ところがすぐ敵船追跡に乗り出すかと思いきや、ジャックは島への滞在を一週間のばすと言います。彼がいかにマチュリンを大切に思っているかの表れで、ガラパゴス探検を熱望していた彼の想いを汲んだのでした。

 そこで、マチュリンは驚異的な回復力を見せて島の探索に乗り出します。目の前に広がる未知の博物学の世界が、彼の肉体をいい意味で刺激したのかもしれません。この機会を与えてくれたジャックに深く感謝し、ブレイクニーとパディーンという二人の助手を得、手製のかごをさげ、麦わら帽姿で無人の島を行く彼の姿はどこかユーモラスで、大昔の火山活動によってできた岩石からなる大地や、珍しい動物の姿が、狭苦しい船上生活を追い続けてきた観客の目に、ひと時の息抜きを与えてくれます。


 

 子供のように嬉々としてゾウガメやイグアナ、アザラシを観察するマチュリン。そろそろ宿営地に戻ろうとするブレイクニーに「軍規は忘れろ」と奥地へ進み、とある丘の上に探していた「飛べない鵜」を発見します。しかし痛む腹の傷跡をかばいながら遮二無二登ってみれば、鳥は逃げた後でした。彼は足元に一匹の虫を見つけ、掌に載せます。それは前回この島の沖に停泊したとき、上陸できなかった無念に沈む彼に、ブレイクニーが手渡した昆虫と同じものでした。苦笑を浮かべる彼の視線の先に飛び込んできたのは、眼下に広がる島の湾内に浮かぶ宿敵アケロン号。ジャックに知らせれば、楽しい滞在の日々に終わりを告げることになります。一瞬の躊躇の後決断し、急遽ジャックの元に引き返すのでした。

 

 苦労して集めた生物標本も大部分を籠ごと打ち捨て、船に戻ったマチュリンに「採集は無駄だったな」と意地悪な嫌味を飛ばすジャック。マチュリンは小さな棒切れを手渡します。「Let me guess ,stick(当てて見せよう、棒だ)」と、ジャックはしたり顔です。事実それは何の変哲もない小枝に見えましたが、実は木の一部に擬態したナナフシという珍しい昆虫なのでした。

 

 ところが、この何気ない会話が、勝利を生む契機となり、ジャックはサプライズ号を捕鯨船に偽装するという奇策に出ます。飢えたオオカミの前に羊を差し出すように、私掠船であるアケロン号の前に捕鯨船をちらつかせれば、必ず相手は食いついてくる。それも油断して。ジャックの読みは当たります。大砲を隠し、煙をいぶしてトラブルを抱えていると思わせると、アケロン号は降伏するよう呼びかけてきました。サプライズ号が相手の頑丈な装甲を打ち破るに十分な至近距離まで近づくも、威嚇射撃と警告をしてくるだけで、直接砲撃を加えようとはしてきません。アケロンは積み荷だけでなく船も奪おうとしているのは明らかでした。それが好都合だったのです。サプライズ号は無傷で敵の懐に飛び込めたわけですから。

 突然の砲撃で大きなダメージを与えると、騙されたと気づいたアケロンは手負いの獣のように撃ち返してきます。ですが、集中的に狙われたメインマストが倒れると、マストを伝ってサプライズ号の切り込み隊が乗り込みます。血で血を洗う白兵戦の後、イギリス側の勝利が明らかになった頃、ジャックは医務室に横たわる船長の遺体と対面します。そしてジャックに渡すよう亡き船長から託されたというサーベルを船医から受け取ります。

 若き有望な士官のララミーをはじめとする数名が戦死するという痛手はあったものの、長きにわたる追跡はここに落着したかに見えました。

 その後、拿捕したアケロンをジャックは副長プリングルスに託します。拿捕した船はそのままイギリス海軍のものとなり、プリングルスがその艦長へと就任するのです(新しい船名を命名されているはずです)。

 ジャックがサプライズ号でガラパゴスに戻る一方で、アケロン号のプリングルスはバルパライソという港町で捕虜を下ろしたあと、そのまま本部からの命令書に従い航海を続ける手はずとなりました。水夫からの万歳三唱を受けながら、感激に目を輝かせて初めて与えられた船に向かうプリングルス。すべてが丸く収まったかに思えますが、実はまだ一波乱ありました。

 

 艦尾楼でいつものように楽器を手にしているときに、アケロンに乗せた怪我人の数に軍医がヒギンズ一人では心もとない、とマチュリンが口にします。何やら嫌な予感がしたジャックは「敵の船医がいる」と指摘しますが、マチュリンは敵の船医はとっくに死んだ、と答えます。ジャックは騙されたことに気付き、あの時アケロンの医務室で船医と名乗っていた男こそが、実は船長だったこと、敵船長を含め多数の捕虜を乗せたアケロンは反乱の危機にあることを悟ります。

 

 ジャックはプリングルスを助けるため、船の進路をガラパゴスからアケロンに変更、落胆の色を隠せないマチュリンに、こう慰めの言葉をかけます。

 

「君の探している鳥は飛べないんだったよな?」「なら、(急がなくても)逃げないよ」と。

 二人は気を取り直して各々の楽器を構え、軽快な曲を奏で始めます。蒼天の海を行くサプライズ号をカメラが鳥瞰でとらえる中、船は徐々に水平線へと遠ざかり、映画はゆっくりと幕を閉じます。

 

 ちなみに、この映画は音楽の使い方が上手く、ジャックとマチュリンが毎夜奏でるチェロとヴァイオリンのデュオが物語を美しく彩ります。月明かりを受けて銀に煌めく穏やかな波と、その上を流れていく細いしなやかな音の糸。海の生活は孤独なれど、そのロマンが彼らを惹きつけているのだ、というストイックな喜びが感じられます。モーツァルトやボッケリーニといった曲を楽しむ彼らの姿は、戦いに明け暮れる男たちの、また違った側面を見せてくれます。

 

 日々過酷な労務に追われる中で迷信に惑わされる水兵や、周囲の抑圧に耐えられず苦悩する若い士官がいる一方で、こうして任務から離れ、音楽や博学の世界に浸ることで自らの奥行きを広げていく艦長や軍医がいる。人間には多様性がありそれを生かすことで人生に豊かさが生まれること、また一面的な生き方にとらわれていては大切な何かを見失ってしまうことを、この映画は登場人物を通して対比的に描いてもいるのです。

 

 隋分長くなりましたが、こうして振り返ってみると、実に緻密にプロットが組み上げられた作品だということがわかります。一つ一つのキャラクターやイベントが寄せ木細工のように合わさって複雑なモザイク模様を作っています。しかし伏線の回収だけに終始することなく、自然の美しさ、男たちの勇気、清濁併せ飲んで流れ続ける川のような、そんな船の世界の営みを讃えつつ、穏やかな感動を与えてくれる傑作です。