日本のドラマやテレビ、小説に出てくる人々の人物像には、ある種の類形と呼べるものがあるように思えます。しっかり者だけど息子夫婦には煙たがられている祖母、幼児性の残る彼氏の癇癪に振り回される主体性のない女、頭のよさや芯の強さ故に敬遠される美女、都市の景観に目を輝かせる田舎出の純朴な女の子、知らない女性に憧れるパッとしない青年、強面の裏にやさしさを隠す一匹狼的な男、弱弱しい仮面を被っていても女の武器で欲しいものは手に入れる狡猾な女、ブランド物で着飾った傍若無人なおばさんたちの群れ、歯に衣着せぬ物言いで大人を当惑させる幼児…。

 

 

有川浩の連作短編、『阪急電車』にはこうした判で押したように類型的なキャラクターが、7つの駅を繋ぐ私鉄車内に入れ代わり立ち代わり表れては、短いドラマを演じていきます。

西宮北口から宝塚駅まで、15分ばかりで走り切る線路は七つの駅に区切られ、その一つ一つに小さな物語を装うスタイルになっています。

 

基本的に男女の出会いや関係のもつれが描かれ、それ以外にも孫と祖母、気の弱い主婦が近所づきあいで強いられる実りのない交友関係など、恋愛以外の要素も絡んでいて、さらに沿線の風土や人々の営み、駅員たちの横顔も垣間見せてくれる。簡素な文体の中に豊かな広がりを持ち、ページ数も手頃で読み易いです。

 

物語の骨子を支える主要なキャラクターは各々個性的で、前述したとおりやや類型的なきらいはあるものの、まるで舞踏会のように恋の一幕を演じていく彼らを描く作者の筆も滑らかで澱みがないです。だがステップを誤って躓いたり、仮面を外してみたら踊り相手は存外性悪な顔をしていた、といった風に、恋の華麗さばかりを描いてはいない。彼氏のDVに悩む女子大生が、見かねた通りすがりの老女から何気なくかけられた言葉を切っ掛けに、関係を断ち切るくだりが僕には印象的でした。恋の光も影も過不足なく描いて見せるバランス感覚が、この作家広汎な支持を受けている理由なのかなと思えました。

 

と同時に、これは゛ご当地小説゛でもあります。

際立った悪人や浮いてしまうほどの善人は出てこないが、多分、現実より少しだけ優しい人々が生きている実在の町で、理想化された市井の人々を賛美するという作風には少しミュージカル的な雰囲気も感じないでもない。だけど善人像の押し付けにならない程度にとどめているあたり、書き手の力量を感じます。実在の町の良さを、それも風景や名産ではなく、そこに生活する人々の気風のよさを、わざとらしくなく、媚びを感じさせず、さりげなく写し取るのはきっと見かけ以上に難しいはず。

駅の連なりを縦糸に、人々のドラマを横糸に、物語を見事に織り上げていました。