映画は夢を描くものだ、という先入観の真逆を行く作品。

 売れる映画は夢の始まりや成就を描くことで観客を鼓舞するが、これは苦い失望という形での終わりを描いている。芸術志向のカンヌで賞を取るのは、こんな天邪鬼な作品なのだ。

 

 成功を夢見てあがくミュージシャン、というにはハングリーさに欠けているように見える、シンガー・ソングライターのルーウィン・ディヴィス。確かな演奏技術と歌唱力を持っているが、『金のにおいがしない』ような流行とは無縁の暗い曲を書く。かつてデュオとして共に歌ってレコードも出した相棒は橋から身を投げて自殺した。以来ソロとして場末のライブハウスで投げ銭をもらいながら歌っていたが、知り合いの家をあちこち転々として寝泊りを繰り返すうちに生活氏は金も底をつき、一縷の望みを抱いて尋ねたシカゴのクラブでは、敏腕プロデューサーにソロとしてのマネジメントを断られる。『金のにおいがしない』から、と。

 

 

 ルーウィンの演奏者としてのプライドの高さは、部外者には理解できない部分がある。

寝る場所にも困っている彼を家にあげてくれた夫婦に演奏をせがまれて、嫌々ながらに歌い始めた彼は、夫婦の妻が彼の歌に高音でハモリ始めると気分を害し、ギターを爪弾いていた指を止める。俺の歌は遊びじゃなく、生きていくための仕事だ、と鼻息を荒げてその場を後にする彼には、一夜の宿を差し出した二人に対する感謝も、彼の歌に喜んでいた二人への気遣いもない。シカゴのプロデューサーは彼にトリオの一員として加わるチャンスを与えようとするが、ルーウィンはさして逡巡する様子もなく断ってしまう。彼にとっては音楽は妥協のない形で取り組むべきであり、甘ったるい流行歌で荒稼ぎをするグループの一員にはなりたくないし、作り笑いを浮かべて媚びを売る芸人にもなりたくないのだ。この映画をコメディとみる向きがいるのは、プライドばかり高いルーウィンの傲慢さが滑稽だからで、決して気持ちのいい笑いではない。

 

゛芸術家゛が辿る自滅の道を迷うことなく歩んでいくルーウィン。ニューヨークからシカゴへ、そしてまたニューヨークへ。ヒッチハイクを繰り返す旅路に見る、夜のハイウェイ。暗闇の中、ヘッドライトの無機質な光の中に浮かび上がる冬のアスファルトは、彼の救いのない生き様をそのまま象徴しているかのようだ。結局物語の終盤で音楽への道を諦め、漁船の船員としてかつての職に復職しようとするが、それもうまくいかない。そして再びクラブのステージに上がり、相棒の死以来封印していたデュエットの曲を、ソロで歌い切ったところで物語は終わる。

 

後味のいい映画ではないし、映画全体を覆うムードは、予告編から伝わってくる憂鬱さそのものだった。コーエン兄弟が好きだから鑑賞したものの、もう少し救いのある終わり方にしてほしかったなあ…。

 

 

ただ、オスカー・アイザックによる演奏と唄は素晴らしく、実力と評価が伴うとは限らない、表現の世界の厳しさを見事に体現していた。そして、彼と肉体関係を持ってはいたが、その甲斐性の無さや利己的なふるまいに心底うんざりしているらしい女性シンガーを、キャリー・マリガンが好演している。怒りをあらわに彼を罵倒する彼女の演技はリアルで、その柔和な外見とのアンバランスさが逆に説得力を与えている。まあ、平たく言えば可愛い。華やかさに欠けたこの映画唯一の華だ。