こんにちは、マティです。

今回は、久しぶりに東大と京大の違いについて語っていこうと思います。


今学期、「人文地理学」という講義を受講しています。

その中のある回で、京大の吉田キャンパス周辺の地理が取り上げられました。

そこで指摘されたのが、京都大学吉田キャンパスの「空き地」の少なさです。

他の国公立大などと比べても、芝生地などの寛げる空間が殆どないとのことでした。


京大で1年以上過ごしてきて、そのようなことは意識したことがなかったので、とても驚きました。

京大は、吉田キャンパスに殆ど全ての学部が位置していることもあり、全体の面積は非常に広大です。

ところが、よくよく思い返せば、広くて何もない空間が殆ど存在しないのです。


そこで、東大に通っていた頃のことを思い出しました。

駒場キャンパスでは、図書館の前に広い芝生地がありました(そう記憶しています)。

そして、本郷キャンパスでは、安田講堂の前に、これまた広い緑地があったのです。


以前のブログで書いたか忘れてしまいましたが、本郷キャンパスに通っていたころ、印象に残った出来事があります。

ある日、授業を受けていると、外から遊んでいる子どもたちの声が聞こえてきたのです。

ここ日本には「飛び級」という制度がないので、遊んでいる子どもたちは、間違いなく東大生ではありません(若者でないからといって、そこの学生ではないとは限りません。仕事や育児を終えてから、また大学に入る方もいらっしゃるのですから)。


あの頃は、子どもたちがいるなぁという程度にしか考えていませんでしたが、今回の件を受けて、あれは東大に子どもたちが遊べるような緑地があったからだということに気づきました。

修学旅行生が京大に来ることはありますが、小さな子を連れたparent(s)の姿を見かけることはありません。

ちなみに言うと、そのとき子どもが遊んでいた緑地は、安田講堂の前のところじゃないので、本郷キャンパスには幾つもそういう場所があるということですね。


これまで、京大で密集感を覚えるのは、学生が東大のように二分されない(キャンパス2つに分かれない)から、つまり単純に人が多いからだと考えてきました。

ところが、今回地図を見るにつけ、京大のキャンパス自体が物理的に密集していることを知ったのです。



京都においては、条例によって原則、高い建物を建てられないことはよく知られているかと思います。

京大においても、基本的に建物はせいぜい4階建てです。

前述の通り、京大は建物がぎゅうぎゅう詰めになっているのですから、垂直方向に空間を拡張したいところですが、条例のおかげでそうもいかないのです。

京大の建物的なシンボルは時計塔ですが、この時計塔もそれほど高くはありません。


京都の条例といっても、一つの決まりきった固定的なものではなく、時代によって緩くなったり厳しくなったりしています。

京大でも、ある期間は31mまでの高い建物を建てることが可能だったといいます。

そして、講義では、31mの建物が紹介されました。


そこで取り上げられた建物は、私が毎日のように通っている道から普通に見える建物でした。

ところが、それまでは全く気にしたことがなかったのです。


まあ、私はそもそも外界に対する興味が薄いので仕方ないのですが、こうやって日常を違った視点で見つめるのも大事なのではないかというのが、今回言いたかったことです。



今回は、こんなところです。

次回は、最近読んだ本の紹介になるかと思います。

よろしければ、またご覧ください。