こんにちは、マティです。

今日は、第二外国語の話をしつつ、英語についても少し触れます。


大学に入ると、理系であろうが文系であろうが、第二外国語を履修するのが基本だと思います。

第二外国語の選択には、のちの学校生活に影響を与える大事な要素があります。

それは、1回生のときのクラス分けです。

特に、男女比は、言語によって変わると聞きます(フランス語は女子が多く、ドイツ語は男子が多い)。


第二外国語をする必要があるかといえば、まあないでしょう。

そもそもで言えば、私は英語教育の必要性にすら、懐疑的です(これについては、後で触れましょう)。

ただ、第二外国語を学ぶことは、それなりに楽しかった記憶があります。

このことを少し語りましょう。



英語の文法は、皆さん勉強したことがあるでしょう。

私が英語の文法について思うことは、「面白くない」という一言です(今になると、多少の面白みを感じたりもするのですが)。

それは、英語が言語である以上、あらゆることについて、なぜそうなるのかというより「そういうもんだから」という捉え方をするからです。

そして、日本語と英語は、かなり違うので、意味のある比較をできるものは多くありません(以上の記述は、学術的なものではなく、一個人の感想です)。


ただ、第二外国語の文法や発音を学ぶことは、楽しかったです。

それは、英語と比べて「フランス語だとこうなんだ」という視点でいられるからです。


例を挙げましょう。

多くの中学生が躓くポイントとして「三単現のs」があります。

これは、三人称・単数・現在の3条件が満たされたとき、動詞にsをつけなければならないというものです。

いちいち、面倒だと思いますよね。


ただ、フランス語やドイツ語だと、英語でいう「I」でも「You」でも「We」でも、語尾を変えなければなりません。

英語においては、よく使う一人称と二人称の語尾変化が、時間が経つにつれなくなっていった(簡略化された)結果、三単現の語尾変化だけが残ったと聞いたことがあります。


このような感じで、第二外国語を習っていると、英語との差異や類似性が見えてきて楽しいのです。

ただ、まあこれは、ある程度の英語の文法があってこそ味わえるものなので、楽しくなかったとしても、英文法は勉強しておくべきだと思います。



さて、冒頭で予告した、英語教育の必要性について触れましょう。

まず先に言っておくと、今の高校生以上は、英語を学んでおくべきです。

ただ、小学生に対する英語教育には懐疑的です。

それは、私が中学生から英語を学び始めた成功体験に由来するわけでもなく、幼児期には日本語の文法のマスターを優先するべきだといった言説に拠るものでもありません。

単純に、必要性がないのではないかと思うからです。


当たり前ですが、今必要な知識を子どもたちに教えれば良いわけではありません。

その理由は、彼らが社会に出るとき、その知識は使えなくなっている危険性があるからです。

小学生が社会に出るまでには、10年ほどのギャップがあります。

それを踏まえて、ある程度、汎用的に使える知識を彼らに授けるべきなのです。


これは、私の希望的観測ですが、あと10年ほどすれば、自動翻訳の技術がもっと進むことで、英語を話せなくても困らないでしょう(先週、学科長の話を聞いたとき、その先生も同じことを仰っていました)。

私たちは、どうしても自分の子ども時代や、社会人になってからの常識を基に「教育」を考えてしまいますが、このラグを意識することは、とても大切です。


それは、今の少子化対策についても言えます。

万が一、出生数を増やすことに成功しても、生産年齢人口(所謂、働き盛りの人々)が増えるには、20年近くかかるのです。

「働き手の不足」は、一朝一夕で解決できるものではありません。



今回は、こんなところです。

次回は、通って気がついた東大と京大の違い、について語ります。

よろしければ、またご覧ください。