こんばんは、マティです。
今回は、私がラノベを読む理由を、抽象的に語っていこうと思います。
私がラノベをなぜ読むかを、簡潔に言えば「楽」だからです。
ライトノベルの「ライト」は、light(軽い)を意味すると言われています。
私が感じる「楽さ」は、この「軽さ」に繋がっています。
【155】のブログで、社会学の文脈における「流動性」について語りました。
社会が流動的になっているという言説は、「ポストモダン」思想に属します。
「ポストモダン」社会における特徴の一つが、「大きな物語」の終焉です。
大きな物語というのは、「宗教」や「共産主義」といった、多くの人々が信じる(ていた)ものを指します。
ソ連が崩壊したことにより、共産主義を推進しようとする人は激減し、宗教も以前と比べると、影響力が弱くなりました。
これが、大きな物語の終焉、が指すものです。
こんな時代背景で生まれた、新たな消費形態が、「データベース消費」です。
以前までの「物語消費」から、「データベース消費」に移ろいつつあることを、東浩紀さんの著作『動物化するポストモダン』が指摘しました。
この本は、2001年に出版されたものですが、今の社会においても、その分析は有効だと思います(私は5年以上前に読みましたが、これが21世紀の初めに書かれたことを知り、驚きました)。
さて、データベース消費とは何なのか。
詳しくは、データベース消費、で検索していただければと思うのですが、私の理解としては「テンプレ」の活用です。
アニメやラノベのキャラクターは、割とパターン化されています。
主人公、メインヒロイン、サブヒロイン、それぞれに漠然とですが「イメージ」があると思っています。
だから、読者は、ある程度の情報を貰えれば、設定を脳内補完することができます。
このテンプレの活用は、マンネリとも繋がるものですが、私は肯定的です。
前回のブログで、私がSAOに「密度」の濃さを感じたと言いました。
普通、理科で使う密度は、体積あたりの質量を意味します。
ラノベは、light(軽い)のですから、密度が濃い(大きい)というのは、矛盾のように感じられるかもしれません。
しかしながら、私が読書体験で感じる「密度」は、理科の密度とは定義が違います。
私にとっての「密度」は、時間当たりの情報量です。
そして、この「密度」は、ラノベにおいて濃いのです。
その理由は、先にも触れた通り、ラノベにはある程度のテンプレがあるので、設定を察せる(脳内補完できる)からです。
SAOを読んだ時は、ラノベに触れるのが初めてだったわけですが、SAOの設定を脳内補完できたのは、SAOがゲーム世界を舞台にしているが故に、自分のゲームの知識を活用できたからです。
また、一部のラノベは、タイトルがストーリーの筋を明かしてくれるので、そういうものも「楽」ですね。
以上が、私がラノベを読む理由です。
ちなみに、私の好きなラノベを3つ挙げるなら、俺ガイル(【164】)、いもキス(【114】)、『りゅうおうのおしごと!』ですかね。
私は、普段というか日常で、ラノベを読むことは他者に言いません(唯一の友人のTにも言ったことないですね)。
ただ【114】のブログが、未だにそこそこアクセスがあるので、ラノベを語るのもいいかなと思い、綴ってみた次第です。
良ければ、毛嫌いせず、ラノベを読んでみていただけたらと思います。
こんな感じでしょうか。
次回は、仕事を終えてのちょっとした感想と、4月からの予定を語ろうと思います。
よろしければ、またご覧ください。