麻雀で九連宝燈をあがると死ぬという話がある。

麻雀がわからない人の為に、まぁ、詳しく説明するのは面倒なのでザックリ説明すると、九連宝燈という役は当たり牌の待ち方によってはタブル役満という勝負を一発で決めることができる役で、その分、作るのがとてつもなく難しく、一度もポンやチーをせず、しかもダブル役満を狙う待ちにするには一と九を三枚と、ロン(他者の捨て牌であがる)のことを考えると自分の捨てた牌を含む待ち全ての牌ではあがれないから、ニから八までを一枚ずつ一回もカブることなく引かなくてはならない。こうすることで同じ色の一から九までの数字牌全てであがれる九面待ちの状態になる。

今までの話で大体どれくらい作るのが難しいかわかって頂けたんじゃないかと思う。つまり、この役であがると運を使い果たして死ぬと言われているわけだ。

とは言え、人は遅かれ早かれいつか死ぬ。これは生物の宿命で、不変の事実。そういうことを考えると「○○すると死ぬ」みたいな話ってのは広い意味では絶対当たる。間違いなく当たる。ていうか、九連宝燈なんかあがらくても当たる。

大体、運を使い果たして死ぬってどういうことなんだ。本来は生き残れるはずのところをトムとジェリーのような偶然が重なって、なんだかんだで死ぬってことなんだろうか。一周して凄いんじゃないか、それは。

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俺は運が悪い。

例えば、二択の選択問題なんかを全部勘でやろうとすると、ことごとく間違えた方を選ぶ。単純に考えたって二分の一で正解するはずなのにピンポイントで不正解を選び取る。

その他日常生活でも運の悪さを遺憾無く発揮したりする。久しぶりに行った店が定休日でもないのに臨時休業だったり、楽器屋にギターのピックを買いに行ったら俺が使ってるメーカーの、しかも俺が使ってる厚さのだけが売切れてたりする。

いったいどういうことだろう。運の全体量はみんな一緒なんて話を聞くと、たぶん俺はこれまでの人生でそんなに使ってないはずだからかなりの余剰分が出てるんじゃないか。運がキャリーオーバーしてるんじゃないだろうか。


地道に一万円以下がちょこちょこ当選するのと、一気に一千万が当たるのだったら一千万のほうがいい。で、そうなってくると、もうそれくらいの運って貯まってるんじゃないかな。そろそろ、還元してくれないだろうか。


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このあいだ、友人と麻雀をやったらダブル役満をテンパった。


テンパイの説明はもう面倒なので割愛するが、四暗刻単騎待ちという九連宝燈ではないけれどダブル役満を張った。すごいことだ。まさか、これだけ普段運のない俺に、ダブル役満の手が入るなんて。


そこで、ちょっと思ったんだけど、これって俺の今まで貯めた運なんじゃないだろうか。そうなるとかなり困る。こんなくだらないことで運を使ってる場合ではない。もっと重要なことに運は使いたい。だいたい、ここで使うにしても何で九連宝燈じゃなくて四暗刻なんだ。同じダブル役満にしたって九連宝燈のほうが何となく気分がいい。


でも、まぁ、それにしてもとんでもない役であることには変わりない。やっぱり、これはすごい。いいじゃないか。貯めた運を少しくらい使ったって。これまでの運の貯蓄はダブル役満一発で吹き飛ぶ程度の運じゃないんじゃないかな。やっぱりこの役が手に入ったことは、素直に喜ぶべきだ。そう思い直し不要な牌を捨てると、隣の友人が一言。


「ロン」


そうだった。その友人は何順か前にリーチをかけていた。自分のダブル役満に夢中すぎて完全に忘れてた。心のウキウキ感はどこかに吹っ飛び、信じられないほどの疲労感が体を襲う。


あまりに手の込んだ神の嫌がらせに思いっきり疲れた。多分、俺が振り込んだ瞬間、神様大爆笑だったんじゃないかな。神なんて信じない。


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今、この文章を読んでるそこのあなた。あなたです。この日記でもし少しでも笑ってしまったら死にます。絶対に当たります。笑わなくても死にます。読んでなくても死にますよ。いつか。


どうせ、いつか死ぬんだからせっかくだから笑っときましょうよ。面白くなくても。