1984年のUWF 文藝春秋 柳澤健
アントンハイセル騒動で新日本を追い出された猪木、坂口、新間。猪木、坂口は結局テレビ朝日専務のアントニオ猪木のいない新日本プロレスなどあり得ない。猪木と坂口に新団体を作らせて、そっちを中継するからなの一声で結局新日本プロレスに戻ることになった猪木、坂口。
1人だけ新日本プロレスに戻れない新間。そんな新間にプロレス団体を立ち上がないかと言う声が。フジテレビもつき長州と猪木も引き抜くぞーと張り切る新間。しかし内定していた佐山が新日の契約が残っていたことが発覚。
長州と猪木の引き抜きは失敗し佐山の復帰も立ち消えフジテレビも撤退。
大風呂敷を広げた新団体UWFだっだかメンバーは若手だった前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田、マッハ隼人と渋めのメンツで始まることに。
その後新間は去ったが藤原、高田、佐山がメンバーに加わり関節技を主体にした真剣勝負をアピールするスタイルで注目を浴びるようになる。
しかしメインスポンサーが豊田商事関連の会社だったことや、孤立した佐山が脱退したことでUWFは結局新日本に吸収されることになる。
その後長州顔面襲撃事件により解雇された前田日明、新日本に戻ったもののファイトマネーが低かった若手の意見が一致し新生UWFを立ち上がることに。
新生UWFは週刊プロレスの助けを借り、さらにロープワークをしない、関節技主体とプロレスファンのコンプレックスを逆手に取りブームを起こしていく。
結局この新生UWFはUインター、藤原組、リングスに分裂。ここら辺の分裂の理由ははっきりとは書かれていない。前田は嫌われていたのか?
そしてUインター、リングスはアルティメットに飲み込まれていく。
この本で前田はかっこ悪く書かれている。わがままで猜疑心の強い男。社長の横領を疑ったり、脅したつもりでUインターは解散と言うと本当に解散して分裂してしまったり。
そんなわけでこの本に対する反論本も出た。
この本が偏っていることは確かだ、まあ前田にも言い分があることは分かる。この本は未読だがじゃあ前田の言うことが真実かと言われるとそうとも思わない。前田は基本ポジショントークしかしないから。
まあUWFがなければ格闘技ブームはあんな盛り上がらなかっただろうし歴史上の意義は大きかったことは否定できない。