こんにちは(﹡ˆᴗˆ﹡)

この写真、

二十代の頃の私のお父さんです。




今考えると、あたしなんて、二十代は

自由にしてたよね…˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓︎˂̣̣̥ )‧º·˚




早くに結婚して家庭を持った人は

若くして苦労していたのだよね。

父は20歳で結婚したそうです。





小さい頃は、

お父さんが休みで家にいると、





箸の持ち方が悪い!

と言われて、

なんどもやらされたりして

怒られたり




好き嫌いしないで食べろ!
 
と言われて、

大嫌いな漬物を口に無理やり詰め込まれたり…





今日はお父さん休みか…

嫌だな〜

また怒られるのかな…

って 思ってました。




お父さんはアパレル関係のお仕事で、

朝遅く夜遅くのタイムシフトてした。


滅多に生活時間が被ることはなかったので

ほぼ会うこともなく

朝から晩まで母と妹と3人で。

という生活をしていました。




母もその頃には珍しく

仕事をしていて、

私は鍵っ子でした。




ただいまーって帰ると

おかえりーってお母さんが待っててくれる

お友達の家、とっても羨ましかったな。




帰ると大体1人。

妹は、ランドセル投げて

どこかに遊びに行っちゃったんだっけな…

忘れちゃった…





夕方暗くなると、洗濯物をしまって

雨戸を閉めて、

お米研いで、仕掛けてというのが

あたしの仕事でした。




大体夕方になると

お母さんが電話をかけて来てね

ご飯仕掛けた?

戸を閉めた?






いつもあたしが聞くのは




何時に帰ってくるの?





早くお母さん帰ってこないかな〜

いつも不安でしたね。

今考えると。






脱線しました(^_^;)

なので、お父さんとの接点がないの。





お父さんのおやすみは、

月に一度くらいしかなく、

しかも平日で、お父さんと遊んだ とか、

どこかに連れて行ってもらったとか

授業参観や運動会も

一度も来てくれませんでした。





小学校の頃、

一度でいいから授業参観にきてくれるように

お父さんに頼んでよと  お母さんに頼みましたが

来てくれることはありませんでした。



その時は、本当にガッカリしました。



そんな小さな子供の願いは叶いませんでした。








お父さんが来てくれたのは、

そのあと。




1回目は中学校の時の文化祭。

体育館で吹奏楽部の演奏は聴いてくれた時。



2回目は川越文化会館かな?場所は忘れましたが

全国吹奏楽コンクールで演奏した時です。

金賞をとり、県大会に進みました。



3回目は高校の入学式と中学の入学式が

被ったので

私の高校の入学式にお父さんがきてくれました。

なんであたしの方にお父さんなんだよ!

と思いました。

だって、

普段一緒にいないので、何を話していいのか…

終始無言だったことを覚えています。




私が生まれてから30年間も一緒に居たのにね。




色々話したり、一緒に過ごして

もっとお父さんの事を知りたかったな




というか、お父さんとしてでなく、

人として、どんな人だったのか

知りたかったな。




居なくなってしまった今

どうすることもできません



そこは多分一生悔やみます。




今は私は母のお店を手伝っています。



親孝行の一端のつもりでもあります。




母の側にいます。




他には何も出来ませんが

27年手伝っています。

でも、考えてみれば、

母のためにしてあげられる事が

あるって幸せですよね。

全力でサポートしてあげたいと思ってます。



母にはこれからも元気でいてほしいです。




自分が親になってみると

生活するって、子育てするって

大変なことだな…って実感していて。 




だからこそ、何不自由なく育ててもらって

感謝しています。






そして同時に尊敬しています。 




私も将来子供達から

尊敬される親でありたいです。




長くなりましたが、

読んでくださってありがとうございます。