俳優で「芸能界」入りし、多彩な才能から現在は「映画監督」や「画家」としても評価の高い「奥田瑛二(おくだ
えいじ)」さんも「愛知県出身」の方でした。 歌手として「シングル」「アルバム」などCDもリリースされた
経験がありますが、「芸能界」入り前には意外な職業に就かれておりました。

1950年(昭和25年)3月18日生まれで「春日井市」出身、本名は「安藤豊明(あんどうとよあき)」。 「東邦高校
(とうほうこうこう、名東区)」卒業後は「明治学院大学・法学部(東京都)」に進学されていますが、中退。
中退後は「春日井市」の市議会議員だった父親の縁により、国会議員「丹羽兵助(にわひょうすけ・愛知県
出身)」の私設秘書だった時期もありました。

その後に役者を志願した事で秘書を辞め、出身高校の先輩でもあった俳優「天知茂(あまちしげる、名古屋
市出身)」を慕い、役者デビューに向けて下積みの日々が続きます。 1976年(昭和51年)には特撮番組の
「円盤戦争バンキッド(日本テレビ系)」に主演した事でデビューを飾りますが、残念ながらブレイクには
至らず、苦しい日常生活は続きます。

1979年4月公開の映画「もっとしなやかに もっとしたたかに」に出演した頃から実力が認められるように
なってきたそうなのですが、一部の媒体では当作品が"デビュー作"をされているケースがありました。
これより映画には年1~2作ほどのペースで出演するなど「俳優業」が軌道に乗り出している事から、1つの
きっかけとしての解釈から"デビュー作"と認識されているのかもしれませんね。 同年にはエッセイスト
の「安藤和津(あんどうかづ)」さんと結婚されており、人生における大きな分岐点の年でした。

1993年(平成5年)に主演した映画「棒の悲しみ」では、「ブルーリボン賞」「毎日映画コンクール」など映画に
関する多数の賞において「男優主演賞」を獲得するなど俳優として絶頂期を迎えていますが、この頃より
「映画監督」として作品を撮る側にも興味を持ち、8年ほどの試行錯誤の末に50歳で監督デビューを果たし
まして、監督としての受賞歴もありました。