世界にその名を知らしめた、元フィギュアスケート選手「中野友加里(なかのゆかり)」さんも「愛知県」出身
のアスリートでした。 「江南(こうなん)市」出身の中野選手は6歳からスケートを始めたそうで、「名古屋市
中区」にある「名古屋スポーツセンター」で練習を重ね、世界へと羽ばたいていきました。

「愛知県江南市」出身ではありますが、通った「小学校」は「学校法人椙山(すぎやま)女学園」の系列校である
「椙山女学園大学附属小学校(名古屋市千種区)」で、以降「椙山女学園中学校」「椙山女学園高等学校」へと進学
されています。 スケートは学校ではなく、同市内の「グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブ」
に所属した上で、これまで「伊藤みどり」選手らを輩出するなどの功績を持つ名指導者「山田満知子」さんから
指導を受け、演技に関しては振付師の「樋口美穂子」さんが付いたそうです。

1998年のシーズンでは「全日本フィギュアスケートノービス選手権大会」において、「ノービスA女子」カテ
ゴリーで優勝すると、初の国際大会出場となった大会「トリグラフトロフィー」でも「ノービス女子シングル」
で金メダルに輝いています。 ちなみに「ノービス」とは「初心者」などの意味がありまして、既にその域を
超える実力があったようですね。 翌年には「ジュニアクラス」へ上がり、世界大会である「ISUジュニアグラ
ンプリ」では2シーズンで4回もメダルを獲得。 そして2002年シーズンより「シニアクラス」へ挑みます。

「シニアクラス」最初のシーズンは複数の「3回転ジャンプ」を「ジャンプ要素」に織り込んで国際大会へ挑み
「ISUグランプリシリーズ」の「アメリカ大会」においては、「国際スケート連盟(ISU)」においては史上三人目の
「3回転アクセル成功者」として歴史に名を残しています。 その反動か、翌年は判定に泣く大会が多く
一時は「シングル」競技に区切りを付ける所まで追い込まれる事もあったそうです。

2004年からは練習環境を一新し、それが奏功したか2005年には自身が習得していた6種類の「3回転ジャンプ」
を1演技中に全て成功させ、「GPシリーズ」において初優勝したシーズンともなりました。 残念ながら
「トリノ冬季オリンピック(2006年開催)」には出場できませんでしたが、既に世界に名の知られる存在へと
成長、各「国際大会」には欠かせない選手になりました。

しかし2008年のシーズンでは思うように成績が伸びず、初めて「四大陸選手権」「世界選手権」の両方の出場を
逃すと、翌シーズンの「ジャパンオープン」で演技中に転倒し左肩を脱臼。 それをかばう状態での出場が
続いたせいもあって「バンクーバー冬季オリンピック(2010年開催)」の出場も逃してしまいました。 同年の
「四大陸選手権」「世界選手権」には選出されていたものの、それを辞退した上で引退を表明されました。

現役引退後は「フジテレビ」へ入社しまして「映画事業局」に勤められています。 時折、番組に出演される
事がありますが、本職は裏方との事で、影で「フジテレビ」関連の「映画作品」を支えています。