現在の「弥富市」出身の偉人「服部擔風(はっとりたんぷう)」をご紹介。 「明治」時代から「昭和」にかけて
「漢詩(かんし、中国での伝統的な歌)」や「書道」の分野において、その名を馳せた方でした。

1867年(慶応3年)に「尾張国海西郡(のちの海西郡弥富村→海部郡弥富町で、現在の弥富市)」の大地主の家
に誕生し、幼名は「粂之丞(くめのじょう)」と言ったそうです。尾張国出身の「儒者(じゅしゃ、儒教学者)」
である「森村大朴(もりむらたいぼく)」より学び、「漢詩」と出会い、名を『擔風』と改めます。

1891年(明治24年)には「梅花唱和(ばいかしょうわ)の詩」という「漢詩」の作品を「東京日日新聞(現在の「毎日
新聞」の前身のひとつ東日本に発表した。 それが評価された事から全国的に「服部擔風」の名と「漢詩」が
知れ渡り、地元「名古屋」に「吟社(ぎんしゃ、詩や歌を作るための団体)」を設立するきっかけとなりました。

これまで「日本芸術院賞」を受賞し、1964年(昭和39年)に96歳での没後に「勲四等瑞宝章」を授与されるなど
「漢詩」の分野においては開拓者として様々な功績を残されてきました。 それらを称え、出身地である
「弥富町」からは「名誉町民(当時)」の称号を贈られたり、出身地である「鯏浦地区」に「漢詩碑」や「筆塚」が
建てられています。