かつて「知多半島」の、とある「産業」の生産能力向上をはかって「大府飛行場(おおぶひこうじょう)」と言う
「飛行場」が、現在の「大府市」と「東海市」に跨って存在していました。 既に「飛行場」は廃止されていて
痕跡も残っていないらしく、その"とある産業"も今では姿を変えております。

昭和初期、名古屋には「三菱重工業・名古屋航空機製作所(現、名古屋航空宇宙システム製作所)」という
企業の工場がありまして、その名の通り「航空機」の製造を行っておりました。 しかし組立ては所内では
行われず、遠く離れた「各務原飛行場(かかみがはらひこうじょう、岐阜県)」まで悪路を経て輸送すると
いう非常に効率の悪い方法が続いていたそうです。

それを一挙に解消すべく、工場の近隣に「組立工場」と、即座に飛び立てるよう「滑走路」の建設案が持ち
上がり、「三菱重工業」が「知多郡大府町(大府市の前身)」と「知多郡上野町(うえのちょう、東海市の一部)」
に掛けて広がる「丘陵地帯」を購入し、およそ2年半を掛けて約1kmの長さの「滑走路」は完成されました。
新たに「組立工場」が設けられた事により県内から「部品」が届けられる訳ですが、その為に周辺の道路は
整備され、専用の「鉄道線」も、東側の「国鉄・大府駅(現、JR東海)」より敷設されました。

"航空機"という表現を用いましたが、実際には"軍用機(戦闘機や爆撃機)"を意味し、当地では生産と試験
飛行が行われた後に出荷の為に飛び立つ場所だったそうです。 「飛行場」の完成は1944年(昭和19年)4月
の事で、折りしも「第二次世界大戦」の真っ只中でした。 しかし翌年に終戦を迎えると「飛行場」の存在
価値が失われ、「滑走路」は道路となって「宅地開発」の重要な役割を担い、工場等は「豊田自動織機」が
新たな敷地として買い取ったそうです。 「鉄道線」も道路となっていました。