


が設置した立て札。 そこには「古渡(ふるわたり)城跡」の文字があったのですが、地名としての「古渡」は
この場所からすこし西へ歩いた先に「古渡町」という地名が存在しています。
天文3年(1534年)に「織田信秀(おだのぶひで)」が築城した城で、それまでは「那古野城(なごやじょう)」を
拠点としていたものの、翌年には「織田信長(当時2歳)」に城主の座を引き継いだ後に「古渡城」を拠点として
います。 また「織田信長」が「元服(げんぷく、成人となる儀式)」したのも「古渡城」でした。
平地に築かれた「平城」で、東西140m×南北100mほどの敷地を二重の堀で囲っていたそうです。 しかし
天文17年(1548年)に「織田信秀」が「末森城(すえもりじょう、現在の名古屋市千種区城山町付近)」を築城し
移り住んだため、僅か14年ほどで「古渡城」はその役目を終えています。
現在、「東本願寺名古屋別院」の境内の西端には「古渡城跡碑」が建てられ、かつて城を囲んだ堀の一部は
同院の東側にある「下茶屋公園」に転用されているそうです。