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「神宮東公園(名古屋市熱田区)」は広大な敷地を誇る公園で、市道の通る都合により「北園」と「南園」とに分かれ
ているほど。 都会の真ん中にも関わらず敷地が確保できたのは「日本車両製造」や「東洋プライウッド」の工場
があり、それらが移転した事によるのですが、それらも広大な敷地が空いた事によりこの場所に工場を設ける
事となった訳です。 その広大な敷地には「名古屋陸軍造兵廠」という軍事施設が存在していたそうで…

ぱっと見は「コイン」か「メダル」のような作品、と説明するのは誤りのようで、この作品は「記念碑」にあたる
物でした。 この場所には明治37年(1904年)から昭和20年(1945年)にわたって「名古屋陸軍造兵廠(りくぐん
ぞうへいしょう)」が存在していたそうで、多くの「歩兵銃」や「弾薬」の類が生産されていたそうです。 時代の
流れの中で何度か所属する「廠」は変わりつつも、この場所こそが日本軍の武器製造を担う重要施設という事も
あって幾度も集中的な攻撃を受け、多くの犠牲者が発生したとのことでした。 殉職者の冥福と世界平和を
祈る為、昭和54年に「名古屋陸軍造兵廠 記念碑建立委員会」によってこの「記念碑」が設けられたそうです。

台座に鎮座しているものは「名古屋陸軍造兵廠」の「シンボルマーク」だったそうです。 添えられている碑文に
よりますと、このデザインは「名古屋城」の天守閣にある「金の鯱」を象ったものと言う事です。 ちょっと想像
が出来ない仕上がりではありますが… ちなみに「名古屋陸軍造兵廠」は「第二次世界大戦」の末期には「高蔵」
「千種」「楠」「柳津」「鳥居松(現在の春日井市)」「鷹来(現在の春日井市)」などにも存在し、延べ3万5千人もの
奉職者が日々国家の要請に応じていたとの事です。 同じく「鷹来製造所」の跡地にも同様の「記念碑」が設置
されているそうです。