





は「名鉄線」からも「旧街道」からも離れた、少しひっそりとしていました。 現地で違和感を感じたのは
はためく幟には「切通聖観音」と書かれている事、そして「切通陣屋跡」と記載された案内。 この場所って
何がどんな経緯で存在していたんでしょうね?
「切通観音」の傍らに置かれていた石碑には『切通観音は長森城跡』の文字。 続けて記されている文章を
要約しますと、ここは「江戸時代」に「平藩(現在の福島県いわき市)」の「安藤氏」が「切通陣屋」を設置
した場所だそうで「方県郡(かたがたぐん)」と「本巣郡(もとすぐん)」を支配していました。 さらに
この場所は「長森城」が存在していた場所とも伝えられていて、後に「川手城(岐阜市)」に移るまでは
「土岐氏」の居城だったんだそうです。 これだけではちょっと分かり辛いですね。
「岐阜県」の歴史を紐解くと、確かに「文治年間1185年」に「切通」の地に「長森城(ながもりじょう)」は
築かれており、「美濃国」から「土岐氏」が移ってきていました。 その後、代々「土岐氏」によって治め
られてはいましたが、新たに築城された「川手城」へと移った後は「戦国時代」の頃に廃城されたそうです。
その跡地に「切通陣屋」が置かれる事となるのですが、それがかつて「加納藩藩主」に就いた事がある「安藤
信成氏」でした。 一度「平藩」に移った後、今度は「美濃国」を治める事となり、この地に「陣屋」が必要
とされたようです。 残念ながら「長森城」の遺構も「切通陣屋」の以降も残されていないそうです。
ここまで「長森城」と「切通陣屋」の説明をしましたが、肝心の「切通観音」に関しては現地でも何の説明も
ありませんでした… 「岐阜市」によって『市史跡』としるされている割には、ちょっぴり不親切ですね。