



正式名称は「医王堂(いおうどう)」と言うそうです。 ここには鉈彫りの像があるそうなのですが…
お寺の敷地前に建てられていた「名古屋市教育委員会」の立て札によりますと、「寛文九年(1669年)」に
亡命により明国から帰化した「張振甫(ちょうしんぽ)」が、元々は「上野村陽光院(現・千種区上野にある
永光院」にあった「薬師堂」を、尾張藩2代目藩主「徳川光友(とくがわみつとも)」の協力の下でこの地に
移したものだそうです。
本尊の「薬師仏」はおよそ1.2mの高さの座像で、その両側には「円空(えんくう、寛永~元禄にかけての
行脚僧)」が「鉈(なた)」で彫ったと言われる「日光」「月光」の2菩薩の姿も。 同じく鉈彫りの「十二神将像
(十二支を象った菩薩像、観音像、如来像)」なども併せて安置されています。 これらは毎月21日にのみ
開帳されるのですが、その日はここより東に位置する「日泰寺(にったいじ)」の縁日でもあります。
ご開帳には巡り合えなくとも、せめて境内の散策だけでもと思って現地へ向かいましたが… なんと
現在は"防犯上"の都合により、毎月21日にしか境内への立ち入りさえ許されなくなってしまっていました。
山門へと辿り着く手前には、近代的で堅牢な金網門&屈強な有刺鉄線が行く手を遮っていました。 その
境内には「中林竹洞(なかばやしちくとう)」や「山本梅逸(やまもとばいいつ)」らの碑もがあるそうです。